爆笑問題の太田光さんが
大の『MOTHER』ファンだということで
開発者・糸井重里との対談をセッティングしました。
休日の昼下がり、のびのび話すふたりの話題は、
『MOTHER』から始まってあちこちへ。
予告しておきますが、最後は落語の話になります。
最近、糸井重里に同行していて気づくことは、
対談相手と糸井重里の共通の話題が、
どうも、いつも落語になっているなぁということです。

第5回

オーソドックス

太田
ゲームボーイアドバンスって、
こないだ初めて買って、
うちのカミサンがやってんのを
ちょっと見てたんですけど。
ぼくは最新のゲームに、ちょっと、
「違うんだよな」って感じてたんで、
ゲームボーイアドバンスの画面を見て、
「あ、これこれ」っていう感じがあったんです。
だから、『MOTHER』が
ゲームボーイアドバンスのあの画面で
できるのは、すごくいいなあと思う。

2Dの、ドット絵の画面。

糸井
おれたちのゲーム観って、
あのドット絵の世界なんだよね。
「遅れてる」っていう人が
いるかもしれないけど、
「あと」「さき」の問題じゃないよね。
太田
あー、そうですね。
糸井
いま、映画の世界でも、
なんでもかんでも
コンピューターグラフィックス
使うのはどうか、っていう
風潮があるじゃないですか。
太田
ああ、はいはい。
糸井
『マトリックス』なんかもそうなんだけど、
すごいすごいって言ってるけど、
じつはCGじゃなくて
ワイヤーアクションのほうに
目が行ってたりするんですよね。
いっそ着グルミのほうが有効だったり。
太田
そう思いますねえ。

つまり、ゲームファンとしての旬な時代に
ドット絵のゲームに親しんでいたから
という個人的な思い入れではなくて、
ゲームという娯楽の軸を
何処がいちばん最適かな、
って合わせていくと、
じつは「2Dのドット絵」なんじゃないか
っていうことですよね。

糸井
うん。マンガもそうじゃないですか。
どんどんリアルになってったら、
それはもうマンガじゃなくて、
写真物語になっちゃうじゃないですか。
ゲームもね、なんか、写真が立体で動く、
みたいな方向にどんどん行くと、
「もう俳優連れてこいよ」ってなるでしょう?
ぼくは個人的には、
ゲームに「声の吹き替え」が出始めたとき、
やっちゃいけないことやってるなーって思った。
でも、やりたくなる気持ちはわかる。
わかるし、実際、自分でも、
やりたくなるときがあった。
『MOTHER2』にコーヒータイムって
入れたんだけど、あれなんかは、
「さて、みなさん‥‥」っていう
ナレーションにあたるような部分を
ゲームに入れたら、
そうとう自由にできちゃうぞと思って
組み入れてみたんだ。
だから、それと同じように、
「声を入れたらあれもこれもできるぞ」って
思いついた人がいるから、
みんなやってるわけなんだよね。

ゲームを、ずっとつくってらっしゃる人に
お話をうかがってみると、そういう感じです。
好みとしては、やっぱり、
「2Dのころがよかったなあ」みたいなことを
おっしゃる人も多いんですけど、
いざ機材がよくなって、
いままでできなかったことが
できるようになると、
やっぱり「つくってみたい!」っていう
欲のほうが勝ってしまうみたいで。
もちろんそれは
悪いことではないとは思いますけど。
やっぱり、できることが広がる喜びで、
どんどん進んでしまうみたいな感じで。

糸井
そうやって原子爆弾ができてくんだよね。
太田
(苦笑)
糸井
ある一線を超えてしまう科学者と
同じことなんだよね。
ゲームを進化させる意義を
考える以前の問題として、
「ここで止めとこう」ができないんだよね。
太田
でも、そうじゃない方向にも
進化はできると思うんですよね。
たとえば映画だと、いまは
SFX(特殊視覚効果)が入ってきて、
要するに、SFXを見せるために
いちばんそれに合った映画をつくるっていう
「技術が先で作品があと」みたいな
傾向があると思うんです。
うまい人って、そこであえて、
SFXをSFXじゃないように見せたり、
すごく地味な部分に使ったりっていう、
贅沢な使いかたをするじゃないですか。
いまはまだそこまでの余裕がないから
SFXを見せる方向に行ってるものが
多いんだと思うんですよね。
‥‥まあ、進化って、そういうふうにして
進んでいくものかもしれないですけど。
糸井
まさにそうですね。
だいたいメディアが進化するときって、
やっぱり、進化したハードに合わせて、
コンテンツを作るんですよね。
典型的な例を挙げると、
カラーテレビが出始めたときに、
画面に映る場所のあらゆるところに
花が置いてあったんですよ。
対談でも何でも、花を置くわけですよ。
「カラーでしょう?」って。
太田
へええーー。
糸井
ぼくはそこで「必要ないものは置くな」
っていう気持ちになるタイプで。
たとえば『MOTHER2』のときもそう。
当時、スーパーファミコンになって
技術が進化して、
画面の絵を回転させたり、
拡大縮小したりできるようになったから、
みんなしてそれを
「どういうふうにゲームに組み込もうか?」
って考えてたんですよ。
でもぼくは「どうでもいいじゃん」って
思ってましたから。

当時のソフトは意味なくグルグル回ってたり、
ぎゅんぎゅん拡大縮小したりしてましたねえ。

糸井
そうそう。
もちろん排除したわけじゃないし、
『MOTHER2』でも
どっかに使ったかもしれないけど、
せいぜいそのくらいの、
「必要なら」っていう意識ですよね。
その代わり、モノクロを入れてみたりっていう
一見、退化したように見せて豊かさを出す
みたいなことはわざとやりますねえ。
その意味でいうと、ひらがなを使い続けたりね。
太田
ああ!

ええっと、当時って漢字は──。

糸井
漢字、使えたんですよ。スーパーファミコンは。
で、よそがみんな、「使えるぞ」って感じで
喜んで使い始めてたから、けっこうしつこく
「耳からの言葉だからあえて漢字は使わない」
って言ってひらがなでつくったんだ。
ちょっとしたところには漢字も使ったけどね。

意固地になって、というよりも、
あくまで必然性を追求して、という。

糸井
そうですね。
「花を置けるんだから置けばいいじゃないか」
っていうのが、ふつうの考えかたですよね。
それを頑固に拒否するわけじゃないんだよ。
ただね、「なんでそれをやるんだっけな?」
っていうところに戻りたくなるんですよね。
あの、爆笑問題にもそういうところがあると
僕は思っていて。
爆笑問題って、かたちとして、
いっつもボケとツッコミじゃないですか。
太田
はい。
糸井
だけど、ボケとツッコミって分け方自体は、
ほんとは、見てる人が
都合で分類しただけなんですよね。
で、そこを両方の意味でわかってて、
かつ、メディアそのものに疑いがあって、
それでもふつうに
古いかたちに見せることをやってるというのは、
体質としてぼくは共感するんですよ。
太田
はい。だから、お笑いだと、
まあ、よく、いままでのお笑いと違う、
「新しい笑い」みたいなかたちが
あったりするじゃないですか。
簡単にいうと、ちょっとこう、
シュールだったり、実験的だったり。
そういうのをまあ観たりすると、
ほんとに「つまんないなあ」って
思うことが多いんです。
糸井
そこに行っちゃったことは、ないの?
太田
それはね、ないというか、
もともとあんまりないんですよ。
ぼくにその志向がないんですよね。
糸井
ああ、それ、ぼくが前の取材
言ったこととおんなじだ(笑)。
「オーソドックスが好き」なんですよね。
太田
あー、そうですね。

「白いご飯が好き」。

糸井
「白いご飯が好き」なんですよ(笑)。
太田
そうなんですよね。
だから、なんか、「新しいかたち」とか、
そういうことって、なんか、
ほんとにすごいものは別として、
多くは、「小手先のゴマカシ」みたいに
感じてしまうんですよね。
お芝居でもコントでもなんでも、
妙に奇をてらって、っていうのは、
「それ、新しいって言うの?」
っていう感じがするんですよ。
じつは簡単なだけだったり、
単純に、脅かすアイデアだったり。
で、そういうふうにしてしか
変われないんだとすると、
やっぱり、先はないだろうと思うし。

なるほど。

太田
やっぱり、オーソドックスなかたちのなかで、
なおかつ新しいことをするっていうか、
ちゃんと考えて中身を新しくするほうが
ぼくは偉いと思うんですよ。
だから、まあ、僕ら自身も、
そういうものを目指すっていうかね。
中身でなんとか新しくしていこうよ、
っていうところでしょうね。
だから、ゲームも、やっぱり
そういうもののほうが好きですし。
いろんなジャンルのなかで
自分の好きなものを並べてみても、
やっぱりそういうものが多いんですね。

(続きます!)

2003-06-20-FRI