オーソドックス
- 太田
- ゲームボーイアドバンスって、
こないだ初めて買って、
うちのカミサンがやってんのを
ちょっと見てたんですけど。
ぼくは最新のゲームに、ちょっと、
「違うんだよな」って感じてたんで、
ゲームボーイアドバンスの画面を見て、
「あ、これこれ」っていう感じがあったんです。
だから、『MOTHER』が
ゲームボーイアドバンスのあの画面で
できるのは、すごくいいなあと思う。
2Dの、ドット絵の画面。
- 糸井
- おれたちのゲーム観って、
あのドット絵の世界なんだよね。
「遅れてる」っていう人が
いるかもしれないけど、
「あと」「さき」の問題じゃないよね。
- 太田
- あー、そうですね。
- 糸井
- いま、映画の世界でも、
なんでもかんでも
コンピューターグラフィックス
使うのはどうか、っていう
風潮があるじゃないですか。
- 太田
- ああ、はいはい。
- 糸井
- 『マトリックス』なんかもそうなんだけど、
すごいすごいって言ってるけど、
じつはCGじゃなくて
ワイヤーアクションのほうに
目が行ってたりするんですよね。
いっそ着グルミのほうが有効だったり。
- 太田
- そう思いますねえ。
つまり、ゲームファンとしての旬な時代に
ドット絵のゲームに親しんでいたから
という個人的な思い入れではなくて、
ゲームという娯楽の軸を
何処がいちばん最適かな、
って合わせていくと、
じつは「2Dのドット絵」なんじゃないか
っていうことですよね。
- 糸井
- うん。マンガもそうじゃないですか。
どんどんリアルになってったら、
それはもうマンガじゃなくて、
写真物語になっちゃうじゃないですか。
ゲームもね、なんか、写真が立体で動く、
みたいな方向にどんどん行くと、
「もう俳優連れてこいよ」ってなるでしょう?
ぼくは個人的には、
ゲームに「声の吹き替え」が出始めたとき、
やっちゃいけないことやってるなーって思った。
でも、やりたくなる気持ちはわかる。
わかるし、実際、自分でも、
やりたくなるときがあった。
『MOTHER2』にコーヒータイムって
入れたんだけど、あれなんかは、
「さて、みなさん‥‥」っていう
ナレーションにあたるような部分を
ゲームに入れたら、
そうとう自由にできちゃうぞと思って
組み入れてみたんだ。
だから、それと同じように、
「声を入れたらあれもこれもできるぞ」って
思いついた人がいるから、
みんなやってるわけなんだよね。
ゲームを、ずっとつくってらっしゃる人に
お話をうかがってみると、そういう感じです。
好みとしては、やっぱり、
「2Dのころがよかったなあ」みたいなことを
おっしゃる人も多いんですけど、
いざ機材がよくなって、
いままでできなかったことが
できるようになると、
やっぱり「つくってみたい!」っていう
欲のほうが勝ってしまうみたいで。
もちろんそれは
悪いことではないとは思いますけど。
やっぱり、できることが広がる喜びで、
どんどん進んでしまうみたいな感じで。
- 糸井
- そうやって原子爆弾ができてくんだよね。
- 太田
- (苦笑)
- 糸井
- ある一線を超えてしまう科学者と
同じことなんだよね。
ゲームを進化させる意義を
考える以前の問題として、
「ここで止めとこう」ができないんだよね。
- 太田
- でも、そうじゃない方向にも
進化はできると思うんですよね。
たとえば映画だと、いまは
SFX(特殊視覚効果)が入ってきて、
要するに、SFXを見せるために
いちばんそれに合った映画をつくるっていう
「技術が先で作品があと」みたいな
傾向があると思うんです。
うまい人って、そこであえて、
SFXをSFXじゃないように見せたり、
すごく地味な部分に使ったりっていう、
贅沢な使いかたをするじゃないですか。
いまはまだそこまでの余裕がないから
SFXを見せる方向に行ってるものが
多いんだと思うんですよね。
‥‥まあ、進化って、そういうふうにして
進んでいくものかもしれないですけど。
- 糸井
- まさにそうですね。
だいたいメディアが進化するときって、
やっぱり、進化したハードに合わせて、
コンテンツを作るんですよね。
典型的な例を挙げると、
カラーテレビが出始めたときに、
画面に映る場所のあらゆるところに
花が置いてあったんですよ。
対談でも何でも、花を置くわけですよ。
「カラーでしょう?」って。
- 太田
- へええーー。
- 糸井
- ぼくはそこで「必要ないものは置くな」
っていう気持ちになるタイプで。
たとえば『MOTHER2』のときもそう。
当時、スーパーファミコンになって
技術が進化して、
画面の絵を回転させたり、
拡大縮小したりできるようになったから、
みんなしてそれを
「どういうふうにゲームに組み込もうか?」
って考えてたんですよ。
でもぼくは「どうでもいいじゃん」って
思ってましたから。
当時のソフトは意味なくグルグル回ってたり、
ぎゅんぎゅん拡大縮小したりしてましたねえ。
- 糸井
- そうそう。
もちろん排除したわけじゃないし、
『MOTHER2』でも
どっかに使ったかもしれないけど、
せいぜいそのくらいの、
「必要なら」っていう意識ですよね。
その代わり、モノクロを入れてみたりっていう
一見、退化したように見せて豊かさを出す
みたいなことはわざとやりますねえ。
その意味でいうと、ひらがなを使い続けたりね。
- 太田
- ああ!
ええっと、当時って漢字は──。
- 糸井
- 漢字、使えたんですよ。スーパーファミコンは。
で、よそがみんな、「使えるぞ」って感じで
喜んで使い始めてたから、けっこうしつこく
「耳からの言葉だからあえて漢字は使わない」
って言ってひらがなでつくったんだ。
ちょっとしたところには漢字も使ったけどね。
意固地になって、というよりも、
あくまで必然性を追求して、という。
- 糸井
- そうですね。
「花を置けるんだから置けばいいじゃないか」
っていうのが、ふつうの考えかたですよね。
それを頑固に拒否するわけじゃないんだよ。
ただね、「なんでそれをやるんだっけな?」
っていうところに戻りたくなるんですよね。
あの、爆笑問題にもそういうところがあると
僕は思っていて。
爆笑問題って、かたちとして、
いっつもボケとツッコミじゃないですか。
- 太田
- はい。
- 糸井
- だけど、ボケとツッコミって分け方自体は、
ほんとは、見てる人が
都合で分類しただけなんですよね。
で、そこを両方の意味でわかってて、
かつ、メディアそのものに疑いがあって、
それでもふつうに
古いかたちに見せることをやってるというのは、
体質としてぼくは共感するんですよ。
- 太田
- はい。だから、お笑いだと、
まあ、よく、いままでのお笑いと違う、
「新しい笑い」みたいなかたちが
あったりするじゃないですか。
簡単にいうと、ちょっとこう、
シュールだったり、実験的だったり。
そういうのをまあ観たりすると、
ほんとに「つまんないなあ」って
思うことが多いんです。
- 糸井
- そこに行っちゃったことは、ないの?
- 太田
- それはね、ないというか、
もともとあんまりないんですよ。
ぼくにその志向がないんですよね。
- 糸井
- ああ、それ、ぼくが前の取材で
言ったこととおんなじだ(笑)。
「オーソドックスが好き」なんですよね。
- 太田
- あー、そうですね。
「白いご飯が好き」。
- 糸井
- 「白いご飯が好き」なんですよ(笑)。
- 太田
- そうなんですよね。
だから、なんか、「新しいかたち」とか、
そういうことって、なんか、
ほんとにすごいものは別として、
多くは、「小手先のゴマカシ」みたいに
感じてしまうんですよね。
お芝居でもコントでもなんでも、
妙に奇をてらって、っていうのは、
「それ、新しいって言うの?」
っていう感じがするんですよ。
じつは簡単なだけだったり、
単純に、脅かすアイデアだったり。
で、そういうふうにしてしか
変われないんだとすると、
やっぱり、先はないだろうと思うし。
なるほど。
- 太田
- やっぱり、オーソドックスなかたちのなかで、
なおかつ新しいことをするっていうか、
ちゃんと考えて中身を新しくするほうが
ぼくは偉いと思うんですよ。
だから、まあ、僕ら自身も、
そういうものを目指すっていうかね。
中身でなんとか新しくしていこうよ、
っていうところでしょうね。
だから、ゲームも、やっぱり
そういうもののほうが好きですし。
いろんなジャンルのなかで
自分の好きなものを並べてみても、
やっぱりそういうものが多いんですね。