爆笑問題の太田光さんが
大の『MOTHER』ファンだということで
開発者・糸井重里との対談をセッティングしました。
休日の昼下がり、のびのび話すふたりの話題は、
『MOTHER』から始まってあちこちへ。
予告しておきますが、最後は落語の話になります。
最近、糸井重里に同行していて気づくことは、
対談相手と糸井重里の共通の話題が、
どうも、いつも落語になっているなぁということです。

第6回

爆笑問題のおもしろさの核

糸井
いま思ったけど、爆笑問題って、
ふたりの落語家なんだね。
太田
あああー。
糸井
漫才っていうかたちかと思ってたけど、
体質の違う落語家をふたり舞台に置くと、
ああなるんじゃないかっていうふうに思う。
これ、いま思いついたんだから、
無理のある話なのかもしれないんだけど、
ひとりづつ落語家ですよね。
ひとり喋りしている人たちが、
いっしょにたまたまいて、
「やじさんきたさん」やってるみたいな。
田中さんって、じつは
ひとり喋りできるんだよね。
太田
ええ‥‥ん?
いや、そうっすか?
ええっ、どーですかねえ?

(笑)

糸井
だって、やってるじゃないですか、実際(笑)。
太田
ま、そうですね(笑)。
糸井
あの、毒蝮三太夫さんと立川談志さんが、
一時期、組んでたというか、
ふたりで連れだって同じテレビに出たり
ラジオに出たりってしてた時代があって。
あれに近いような感じがするなあ。
太田
うん、まあ、でも、我々は、
そういう意味では、なんていうか、
ふつうの漫才じゃないかもしれないですね。
っていうのは、僕ら、
誰に習ったわけでもないんですよ、漫才って。
だから、「漫才なのかな?」って
思いつつやってる(笑)。
たぶん、伝統的な漫才ではないんですよね。
やすしさんときよしさんの漫才なんか観てると、
「ああ!」って思いますもんね。
ほんっとにうまくできてるし、
バッチリはまってるんですよ、
ふたりの役割っていうのが。
そういう意味で言うと、ぼくらのは
ちゃんとした漫才じゃないんですよね。
近代漫才っていわれているものを観ると、
それこそボケとツッコミっていうのが
ちゃんとかみ合ってるんですよね。
台本もうまーくできてて。
ぼくらのは、ただ単に、
ネタをしゃべってるだけですから(笑)。
その意味では、やっぱり、
漫才師じゃない部分はあると思いますよ。
糸井
ホン(台本)は、やるまえに
できてるんですよね、基本的に。
太田
そうですね。
糸井
田中さんの役割っていうのは、
僕はプレーヤー型の漫才師、
落語家だと思うんだけど。
つまり、アドリブとは関係ない次元で、
古典落語って、最初に
ぜんぶおぼえるわけじゃないですか。
おぼえて、それの自分の味つけをやるのが
落語家の仕事ですよね。
田中さんはそれをやってると思うんです。
そういう意味で、
田中さんは落語家に見えるんですよね。
一方、太田さんも、
やってることは落語ですよね。
あの、多事争論のマネするじゃないですか。
あれなんて、完全に落語ですよね。
談志さんがやろうとしたことの
謙虚版ですよね?
太田
あははははは。
糸井
たとえば談志さんは、
社会風刺っていうものの扱いが
あの人の個性として
定着していったと思うんですけど。
爆笑問題がおもしろいのは、
時事ネタを入れてるフリをして、
もうひとつ引いたところで、
じつは笑いをつくっている。
時事ネタっぽい単語を
入れてるだけなんですよ、意識的に。
ほんとうにやっているのは、
風刺じゃなく、笑いで。
あれ、古い価値観を持った人が見ると、
「なんにも風刺をしてない」って
怒ると思うんですけど、
そりゃそうだと思う(笑)。
そこが、じつはものすごく大事なことで、
爆笑問題をぼくが信用している
いちばんの核もそこなんですよ。
つまり、「ほんとはオレはわかってない」
っていう構図をとっているんです。
あれはね、できないんですよ。
ある時期できたとしても、
それを守り続けることがむつかしいんです。
だって、「フセイン」って言葉を入れても
あれ、入れてるだけだからね。
太田
(笑)
糸井
最初はそれができるかもしれない。
ところが、偉くなっちゃうと、
妙に現実とジョイントさせるように
なっちゃうんですよ。
「正しいことを言うオレ」
みたいなことになっちゃうんですよ。
そうするとね、たいてい、
たんなるコメンテーターになっちゃう。
それを太田さんは絶対やらないですよね。
「オレは何もわかってないのに言ってる」
ってかたちで必ずまとめてあるんですよ。

だからこそ、逆に知性を感じるという。

糸井
そうなんですよ。要するに、
「つまんないことは言わない」ってことを、
絶対に守ってるんですよ。
でも──これ、太田さんに言わせちゃ
いけないことかもしれないけど──
あれ、苦労するんですよね、じつは。
太田
うん、そうですね。
糸井
ねえ。へたすると、
もっと教えてくださいとか
いうことにもなるしね。
太田
あの、それは、ほんとに、
自分で言いたくなっちゃうときがある(笑)。
糸井
(笑)
太田
それはやっぱりね、
気をつけようと思いつつやってますよね。

太田さん、文章をお書きになるときは、
そっちにちょっと振れたりしますよね?

太田
そうですね。だから、なるべくほんとに、
「目的は笑い」っていうだけにしとけば、
そこになにもね、
メッセージを込める必要はないので。
っていうか、
メッセージはジャマになりますからね。
だけど、なんか、たまに、
その、自分の気分によっては、
メッセージを伝えたく
なっちゃってるときがあったり(笑)。
そうすると、「あー、いかんな」って思ったり、
っていうことは、ありますね。
糸井
だから、端から見てると、
わかる範囲で、
メッセージが入っちゃうのは
構わないと思うんですよね。
「タマちゃんをどう扱うのか」くらいの
どっちに転んでもなんにもなんないことは(笑)。
それは、たぶん、入れられるし、
入れても問題ないんですよね。
だけど、たぶん太田さんは、
書くものも含めて、
危ないことを絶対にしてないんですよ。
ギリギリでメッセージにはしてないですよ。
タマちゃん的なことも、白装束のことも。
「ここまで!」とか、
絶対大丈夫な範囲のところは、
やっちゃってますよね。
太田
そうですね。
糸井
そのへんはすごく共感するんです。
ぼくもそれは、ものすごく気をつけてる。
「わかんないことは言わない」
っていうだけでも、守り続けるのは
人間としてむつかしいんです。
太田
はい。

おふたりが共通して、
そういうメッセージを出口のところで
キュッと締めるのって、
リスクヘッジじゃなくて、
クオリティーを高めるためですよね。

糸井
そう。わかんないこと言うと、
自分がへんなとこ連れてかれるし、
間違った人になるってわかるから。
それ、苦労いるよね、正直言ってね。
太田
そうですね。
糸井
あんだけ単語でちりばめてるとね。

スリリングな話ですねえ。

糸井
あれが逆に「田中角栄」くらいの人だと
扱うときにありがたいんだよ。
どっちに転んでも、
よくわかんないっていうことが遊べるんです。
ところが、いまって、
政治家にしても原寸大すぎるんですよ。
だから、つい、触りたくなくなっちゃう。
「鈴木宗男」とかは遊べたけど、
あれは顔で助かってたよねー。
あれで顔が「亀井静香」だったら
かなりきつかったでしょ(笑)。
太田
そうですね(笑)。

(続きます!)

2003-06-23-MON