爆笑問題の太田光さんが
大の『MOTHER』ファンだということで
開発者・糸井重里との対談をセッティングしました。
休日の昼下がり、のびのび話すふたりの話題は、
『MOTHER』から始まってあちこちへ。
予告しておきますが、最後は落語の話になります。
最近、糸井重里に同行していて気づくことは、
対談相手と糸井重里の共通の話題が、
どうも、いつも落語になっているなぁということです。

第7回

現実のなかで、つくること

糸井
そういえば、太田さんの
事務所の名前(タイタン)って、
カート・ヴォネガット・ジュニアの
『タイタンの妖女』って小説から
引用してるんですよね。
ぼくもあれがそうとう好きで、
まえに会ったときその話聞いて
かなりうれしかったんだけど、
最近、ヴォネガットみたいに
おもしろがっているものって、
なにかありますか?
太田
そうですね、いま、なかなか、
う~ん‥‥ヴォネガットほどのものは、
その後出会ってないですねえ。
なにかあります?
糸井
ひょっとしたら太田さんが
もう少しあとに興味を持つかもしれないけど、
僕がいま、ヴォネガットに近い
おもしろさを感じてるのが、
経営書を書いてるドラッカーって人なんです。
ジャンルとしては
ぜんっぜん違うと思うんだけど、おもしろい。
太田
ああ、そうですか。
それはどういう?
糸井
あの、ヴォネガットって、
いわば、どれだけウソをつけるか、
現実と遠い話を現実に見せるか、
っていうことを書いていたわけだけど、
ドラッカーって、
現実のビジネスのことを書きながらも
ヴォネガットと同じおもしろさがあるんです。
それこそ、小説読むみたいに。
太田
はぁ~、そうですか。
糸井
で、経営書ではあるけれど、
さっき太田さんの話に出てきた、
メッセージとかイデオロギーが
入り込んでいないんですよ。
「こう言ったほうがよく見えるかな?」
みたいな揺らぎがぜんぜんないんだよ。
現代の経営を論じていながら。
たぶん、太田さんも、いつか、
あっちに行くと思うな。
太田
そういう現実をテーマにしたものでいうと、
『福祉国家の挑戦』っていう
スウェーデンのことを
ふつうに紹介した本があったんです。
それが、なんか、SF小説みたいなんですよ。
糸井
ああ、そういうことです。
太田
あれはおもしろかった。
糸井
その感じなんですよ。
あの、たとえばビジネス書にしても、
半端なマーケティング知識から、
「こうしてこうするとこうなるよ」
ってことを書いてるのは
おもしろくないんですよ。
それよりは、やっぱり、
「なかなかそうなんないもんなんだよ」
ってことを、知り尽くした人が、
「どうやったらそうなるんだろう」
っていうのを、政治じゃなくて、
経営の面から現実的に考えていく
っていうほうがおもしろいんだよ。
たぶんそのスウェーデンの話でも、
バカがいるわけですよね、中心に。
で、「無理だよ」って言われるようなことを、
考えるわけですよね。そこなんだよ。
太田
はい(笑)。
糸井
でも、スウェーデンの福祉国家っていうのは、
失敗を含めておもしろそうだね(笑)。
太田
そうなんですよ。
現実なんだけど、現実の物語じゃないような。
なんか、ほんとにふつうの小説よりも、
スウェーデンって国自体のことを
淡々と語ってるだけでドラマティック、
みたいな感じで。かなりビックリしたんですよ。
たんに知識として仕入れようと思って
読み始めた本が、物語として
おもしろいってことに驚いたというか。
糸井
それの、あの、強力にデカい版が、
じつはアメリカという国の
成立なんだと思うんですよ。
だって、もともと先住民がいたところに
渡っていった人たちが入っていって、
法律とか、ルールとか、
そのバリエーションとかを
ああでもない、こうでもないって、
実験していったわけじゃないですか。
だから、アメリカの話って、
ぜんぶおもしろいんですよ。
あれ、大実験場なんですよ。大失敗もするし。
スウェーデンの話もそういうことでしょう?
太田
ええ。その本のなかでは、
スウェーデンっていう国自体が、
それこそ実験場のように書かれていて、
税金を上げて、福祉を充実させて、
理想をつくろうとしてるんだけど、
どっかにひずみが出てくるっていう。
老人たちが、みんな、
充実した老人ホームにいるんだけど、
異常に孤独だったり。
その老人ホームにいる看護婦さんが
老人をかわいそうに思って殺してしまったり。
糸井
善意で。
太田
善意で。
まあ、それがスウェーデンのすべてでは
ないにしても、そういう話って、
ほんと、SFのお話にでてくる国みたいで。
それが現実の話だっていうのが
ほんとにSFチックでしたね。
糸井
で、そっちがおもしろくなっていくと、
今度は逆に、SFでおもしろいものが
だんだんなくなっていくんだよね。
一生懸命つくった話が、
「つくれるよな」っていうふうに
見えてきちゃうんだよね。
太田
そうでしょうね。

そうなると、ゼロから物語をつくったり、
まったくのSFをつくるということが
非常に難しいし、なにより、
つくっている本人がつくっていることに
むなしさを感じてしまうのではないかと
思うのですが。

糸井
そのへんはむつかしいですよね。
太田
そうですね。まったくのつくりものを、
ゼロからワーーッとつくって、
それがおもしろいっていうのは、
おそらくそうとう途方もないし、
すんごい想像力が必要だし、
たいへんなことだろうと思う。
けど、現実にあることを、
ぼくのなかで、ほんのちょっとズラすことで
十分おもしろいものはつくれるかな
っていう気持ちもあるんですよね。
糸井
あああ、なるほどね。
太田
その、ずらし方のセンスの問題で。
糸井
うんうん。

たとえば、ゼロからつくらなくても、
1から9までが現実といっしょでも、
10コ目がトンでもないものだったら‥‥。

太田
そうですね。
糸井
それは、だから、白いご飯の美味しさを
発見することに近いですよね。
白いご飯は、どこの家で食べても
美味しいわけじゃなくって、
美味しい白いご飯があるんだよね。
干物ひとつでも、美味しい干物と、
まずい干物ってあるじゃないですか。
で、干物は干物ってメニューだから、
人によっては、「ああ、干物ね」
って言うんだけど、
「食ってみろよ」って出したときに、
「ウワァ!」って言わせるっていう。

それは、むつかしいですねえ。
なんというか、学びようがないというか。
ゼロからつくる方法っていうんなら、まだ、
メソッドとかつくれそうな気もするんですが。
「ちょっとズラす」とか、
「美味い干物を出す」とかっていうのは。

糸井
お客さんを必要としますよね。
ふつうに見えるものを、
ちゃんと味わってくれて、
しかもちゃんとその味をわかってくれる
お客さんを育てなきゃならないですよね。
太田
そうですよね。
糸井
そうだよ。

ひとりで部屋のなかにいても‥‥。

糸井
ひとりじゃ、できない。
だって、オレひとりで
「美味い美味い!」って言ってても、
しょうがないもん。
だから、ぼくにとっては
「ほぼ日」が大切なんだよ。
お客さんの声を聞いて、自分も育つっていう。

(続きます!)

2003-06-24-TUE