スーパーファミコン
電源を入れると『MOTHER1+2』はその始まりに、
『MOTHER』をプレイするのか
『MOTHER2』をプレイするのかを
プレイヤーに問いかけてくる。
その選択画面には、
『MOTHER』のファミコンのカートリッジと
『MOTHER2』のスーパーファミコンの
カートリッジが表示されていて、
プレイヤーは十字ボタンでそれぞれのカートリッジを
ぐいっと切り替えることになる。
ファミコン版の赤いカートリッジには
あまり覚えがなかった。けど、
『MOTHER2』のカートリッジはよく覚えている。
外箱は縦長で、真っ赤だった。
ロゴ以外にほとんど何も描かれていない、
無地の部分の多い印象的なパッケージだった。
スーパーファミコンのソフトは容量と大きさが独特である。
紙製の外箱は妙にかさばり、
カートリッジが入っていることを疑うほどに軽い。
客観的にとらえれば、その大きさは不必要に感じられる。
けれど、そこに詰まっている楽しさを知る者にとって、
そのかさばる箱を空虚に感じることなどなかった。
箱を開けて中身を取り出してみると、
カートリッジはビニールの袋に包まれている。
述べたようにそれは箱の容量に対してはずいぶん小さい。
両者の容量の差は、
薄いプラスティックの透明な箱によって埋められている。
ソフトの箱が大きいのにはわけがあって、
たしかビデオテープと同じ大きさになるように
つくられていたのだ。そうしておくと、
ソフトを棚に並べるときに都合がいいというわけだ。
取扱説明書はプラスティックの透明な箱の
底側の部分にしまいこまれている。
ほかに、薄い黄緑色の紙が1枚入っていて、
そこには接続にあたっての注意事項が書いてある。
たしかそれはカセットの下に敷いてあったと思う。
ひょっとしたら黄緑色じゃなくて
薄いピンク色だったかもしれない。
カートリッジ自体はそれほど重くない。
外側はグレーのプラスティック製で、
上3分の1ほどのところに、
ソフトのタイトルが印刷されたラベルが貼られている。
僕はスーパーファミコンにカートリッジを差し込むときの
ガコン、という音を思い出す。あるいは、
でっかいイジェクトボタンを押し込んだときの手応え。
パコン、と飛び出してくるカートリッジ。
スーパーファミコンは僕が初めて買ったゲーム機だった。
ファミコンは友だちがやらなくなったものを
長く借りて遊んでいた。
発砲スチロールの箱から本体を取り出したとき
とてもわくわくしたのを覚えている。
思えば僕は、あのグレーのゲーム機がとても好きだった。
ゲーム機というプロダクト自体に
そういった魅力を感じたことは、
ほかのゲーム機ではないように思う。
バイト代をやりくりして買ったということもあるし、
当時僕が触れたソフトがことごとく
高品質だったということもあるのだろう。
右側に四つのボタンが配置されたコントローラーは、
ファミコンのそれにくらべると
ずいぶん大人っぽい印象があった。
AボタンとBボタンに加えられたXボタンとYボタン。
塗り分けられた四つのボタンが織りなす色調は
とてもスマートで、両手の人差し指で
LボタンとRボタンを押し込むときは
どことなく秘密めいた感触があった。
ひとり暮らしの狭い部屋で、
その灰色のマシンが映し出したびっくりするような映像。
「Nintendo」のロゴにチャリーンという効果音。
スーパーファミコンは、当時の僕にとって
ほんとうに「スーパー」な娯楽だった。
懐古の意味ではなく、それは差異を示す。
その差異はひとり暮らしのユーザーを
ほんとうにびっくりさせたのだ。
自分の部屋にやってきた灰色のマシンは
ひとり暮らしのユーザーの娯楽を
著しく豊かにする予感をともなっていたのだ。
技術の進化がどうこういうより、
ひとり暮らしの部屋にもたらす娯楽として
それはとてもリアリティーがあった。
『MOTHER2』が出たのは
『MOTHER』が出てから5年後のことである。
つまり、『MOTHER』をクリアーしてから
数日後に『MOTHER2』を始めたとき、
僕は5年の月日を瞬時に飛び越えたことになる。
僕は『MOTHER』の世界にひどく没頭していたから、
その差異にひどく驚いてしまった。
たかだか名前を入力するというだけなのに、
なんと贅沢なこの演出。
カーソルがいちいち点滅している。
ウインドーの向こうにある背景の色は、
サックスブルーとエメラルドグリーンの
格子模様になっている。
ほどよくリバーブの利いた音楽。
サンプリングボイスと管楽器のソロ。
主人公の名前をどうしようかとずいぶん悩んだけれど
けっきょくいつもと同じ名前にした。
9年前にプレイしたときは違う名前をつけていた。
飼い犬の名前は、昔飼っていた犬と同じ名前にした。
たしか9年前もそうしたはずだ。
思い切って好きなこんだては変えることにした。
いまほんとうに食べたいものは何か、真剣に考えた。
家に帰ったときに用意されているとうれしいもの。
かといってアメリカンな世界観を損なわないもの。
それでいて6文字以内にきちんと収まるもの。
「パスタ」と入力してやめて、
「ペペロンチーノ」じゃ入らないことに気づいて、
毎日が「ボンゴレ」だと飽きるかもなと思って、
けっきょく「スパゲティー」にした。
家に帰ると夕食がスパゲティー。
うん、なかなか悪くないと思う。