作家の川上弘美さんは
『MOTHER2』を何回となくやったファンで、
『MOTHER2』をつくった糸井重里は
川上弘美さんの小説やエッセイのファンで、
ゲームを切り口にいろんな話が盛り上がりました。
前回大好評いただきました
「男女が同居するということ。」に続き、
ふたりの放談をたっぷりお届けします。
『MOTHER』ファンも、そうでない人も、
ごいっしょにその場にいる気分で、
ほんわりとお読みくださいませ、なんですよねー。
そうそう。

第9回

結果へのヤキモチと
可能性へのヤキモチ

糸井
ポーキーはね、ヤキモチ妬きなんです。
川上
そうですね。かわいそうな子ですよね。
糸井
ええ。で、実際、男の社会のなかには、
すごい分量のヤキモチがが含まれてるんです。
競争心っていうのも、じつは、
ベースにヤキモチがないとできないから。
で、それをどう昇華するかっていうのが、
男の子の課題だとぼくは思うんですよ。
川上
あー。それ、大人になっても
ずっとついて回りますよね。
糸井
そうです。だって、ヤキモチって、
おおもとは自負ですから。自負がないと、
「俺が生きている理由」ってなくなってしまう。
だから、ひじょうに根源的なものなんです。
川上
そうですね。
糸井
そういうヤキモチの気分を、
ポーキーというひとりの子どもに
押しつけて書いてるもんですから、
彼はかわいそうなんですよ(笑)。
川上
(笑)
糸井
ポーキーは、どこかのところで
主人公に勝つ道みたいなものを
探すわけですよね。そうすると、
いわば社会的成功に近いもののほうに、
グーッとよっていくわけです。
川上
そうですね。ほんとそうですね。
糸井
あれはね、きっと、
あらゆる男のなかにブラブラしてる(笑)。
川上
そうですね。どっちの価値観を選ぶか、
っていうことですね。
ポーキー的な、社会的成功の価値観か、
死んじゃっても世界を救うような価値観か。
でも、それって、ほんとはひとりの人のなかに、
いっしょにあるものですよね。
糸井
はい。だから、やっぱり苦しむんですよ。
嫉妬と自分ということについては。
ぼく個人もそうだったんですけど、
ぼくはそれを自分でずーっと探っていって、
人よりも「モノ」や「コト」に
嫉妬してるってことがわかったんで、
すっかり楽になっちゃったんですが。
川上
「モノ」や「コト」っていうのは?
糸井
たとえば川上さんっていう人を
どんなに好きでも、
川上さんの書いたものには
ヤキモチを妬けるんです。ちゃんと。
つまり、「すばらしいな」って思うことと、
「俺にはできない」って思うことって、
これはもうヤキモチなんですね。だけど、
その人に対してヤキモチ妬くんじゃなくて、
できちゃったものに妬けばいいんです。
川上
結果に対してってことですよね。
それはそうですよね。
赤ん坊はすごい可能性を持っているけど、
赤ん坊に対してはヤキモチは妬けませんもんね。
糸井
そうなんです。そこがスッキリすると、
人どうしががものすごく楽になるんです。
川上
そうか、そうか。なるほど。
糸井
まあ、恋愛におけるヤキモチっていうのは、
また別なんでしょうけど。
川上
そうですねー。恋愛の場合、
「コト」や「モノ」がなくても、
可能性にヤキモチを妬きますからね。
糸井
あーーー、そっか。
川上
恋愛になると、妄想的ヤキモチになる。
糸井
そうですね、うんうん。
川上
それは違う種類のヤキモチなんですよね。
糸井
川上さんの小説のなかでは、ヤキモチって、
「存在しない」みたいに扱われてますよね。
川上
そういう印象ありますか?
書いてるものからは、
排除しちゃうんですかね。
糸井
あんなに排除してるっていうことは、
お考えになってるってことですよねえ。
川上
そうそうそう(笑)、あるんですよ。
ヤキモチ、嫌いなんですね、きっと。
ほんとはヤキモチ妬いている自分が、
ヤキモチを嫌いなんですよ(笑)。
糸井
嫌いなんですねえ(笑)。
川上
ヤキモチって、事を面倒にするでしょ?
だから、反対にいうと、
ぜんぶヤキモチのせいにできちゃうんですよ。
たとえば、お話を書いてるとすると、
男女の三角関係があったとしたら、
ヤキモチだけで話が進んでいけちゃうんです。
それはちょっとつまんない、
っていうところがあるんですよね。
糸井
あー、そっか。ヤキモチで進むと、
どの話も同じになっちゃうんですね。
川上
そうそうそうそうそう。
すごくわかりやすくなっちゃうから。
そこをあえて排除して、
そこからさらにヤキモチを書けたら
おもしろいんでしょうけど。

(続きます!)

2003-08-14-THU