「『MOTHER2』音楽工場」
僕は「MOTHER2」ほど
音楽が素晴らしいゲームを他に知りません。
新しい音楽を早く聴きたくてゲームを進めていました。
そしてエンディングで涙しました。
思い出してる今も泣きそうです。
(シド)MOTHER2以外に、
夜の街の不気味さ不思議さを表現できているゲームは
他にありません。
あんなに明るい曲が鳴る戦闘シーンがあるゲームを
他に知りません。
音量をミュートにしてプレイしたくなったゲームは
他に存在しません。
(知恵のリンゴ)BGMをサントラに、
小学生の頃いっしょにプレーしていた妹と
皆さんのメールを読んでいます。
「サマーズ大好きだったなー」
「ひしょちのジェラードにはマジでよだれがたれたよね」
などと思い出話をしつつ、
みんなにこんなに幸せをふりまいているこのゲームに
出会えて、ホントよかったなー!
って感謝のきもちです。
今かかってるエンディングの曲とか、もう泣きそう・・・。
(21歳学生、みたま)
『MOTHER2』の音楽をつくるときも
基本的には前作と同じやりかたで?
- 糸井
- うん。いっそう拍車がかかる感じですよね。
もう、相手ができる人だってことを
信じ切ってやれるから、
注文の出し方もふざけてできるんだよね。
だから、例えばホテルの音楽なんかさ、
『オリーブの首飾り』を入れ込んでくれとか。
サマーズは避暑地だから、「バカラック入れてくれ」とか。
意味わかんないけど、ぼくの勝手な想像を、
ひょいひょい入れてもらってた。
- 鈴木
- それを受けて、私とひろかっちゃんは
二人で、今度は、糸井さんのオフィスで、机並べて、
どんどんどんどんつくっていった。
もう、音楽工房というか、ファクトリーだったね。
作曲家やプログラミングする人も二人ほど、
加わったし。
金津くんとかね、音色提供してもらったり。
- 田中
- 最初の頃は、僕と慶一さんの他に
金津さんとか上野くんとかに、
いろいろ手伝ってもらいましたね。
で、最終的には慶一さんとすりあわせして
糸井さんへプレゼンするみたいな流れで。
- 糸井
- そんな感じだったね。
『MOTHER2』はね、
ふたりができたものを持ってくるとき、
表情が、ぜんぜん違うのよ。
ちょっと得意そうに持ってくるんだよ(笑)。
- 鈴木
- 『MOTHER2』のときは、
つくるシステムや環境も進化したからね。
- 田中
- そうですね。
パソコンのOSもMS-DOSからUNIXへ。
音楽の機材もいろいろ増えました。
『MOTHER2』は
ハードがスーパーファミコンになりましたし。
- 鈴木
- 音色が増えたんだ。
- 田中
- でも8音(笑)。
- 鈴木
- でもさ、3音から8音って、大きなことだよ。
しかもステレオ。
- 糸井
- おっきいよねえ。
- 鈴木
- それと、私がおくればせながら
シーケンサーを使えるようになって、
作ったデータを、特殊な読み取りかたで
PCに取り込めるようになった。
それも大きかったんじゃないかな。
- 糸井
- あ、データのやり取りで、アレを使うんだよね。
いまでは懐かしい──。
なんだっけ?あの、ちゃっちい皿‥‥。
- 鈴木
- フロッピー、フロッピー(笑)。
- 糸井
- フロッピー(笑)!
ドクター中松の自慢のタネ。
- 鈴木
- ドクター中松さんって、フロッピーの、
どこかのパーツの部分に
関わっただけじゃないのかなあ。
未確認情報だけどね。
で、そのころ使ってたのは、
Performerってソフトなんだけど、
ひろかっちゃんは、
そのソフトからスーファミの音に
変換するツールをつくっちゃったんだ。
「つくりましたよ!」って、
すごくうれしそうに言ってたのをおぼえてるよ。
やったー、と思ったね、
時期でいうと、半分終わったくらいかな。
でも、おかげで、家で作って
フロッピー持ってくるわって言えるようになった。
ファクトリーに通い詰めなくてよくなった。
超ミニ・シリコン・ヴァレーな感じ、
酔うね、環境に。
- 糸井
- この人、そういうの好きだから(笑)。
- 田中
- (笑)
- 鈴木
- それですごく作業が楽になったんだよ。
要するに、それまでは
口伝えか譜面化しないと伝わらなかったものが、
データでやり取りできるようになったわけだから。
確実だし。
ただ、まだフロッピーを手渡し時代。
- 糸井
- ひろかっちゃんが、そういう、
作業環境の改善にかけた時間っていうのは、
けっこう大きいよね。
- 田中
- うん、なんか、
ゲームが最初イメージしていたものより
どんどん広がっていったんで、それにともなって
曲も量産していかないと駄目だったし‥‥
時間短縮や作業効率をあげるため、
いろいろツールが増えて行きましたね。
- 鈴木
- うん。そのへんの手間暇はすごいと思うよ。
みんなが寝てるか、飲んでる間に。
- 田中
- でも、最後はけっきょく手作業なんですよね。
変換作業なんかは楽になったけど、
最終的には手作業(笑)。
スーパーファミコンになって
スペックがあがったってことは、
田中さんの手作業も倍増したんじゃないですか?
- 田中
- なんか、1年半くらいずっと、
モニターの前に座ってたような印象がある(笑)。
だって、全体をチェックするために、
準備してる曲きくだけで
朝10時から始めて、
終わるのが午後3時なんですよね。
デモ聴くだけで(笑)!
ちょっと休憩してご飯を食べて。
チェックするだけで5、6時間かかるの、
マジで(笑)。
- 糸井
- すごいねえ(笑)。
- 鈴木
- とにかく、『MOTHER2』のときは
機械のように大量に作曲したんだよね。
もう、どんどん。
「どこに使うかわかんないけど、
とりあえず作ろう!」って感じで。
ハイだったなあ。
- 田中
- 朝から晩まで、
来る日も来る日も『MOTHER』。
最後は実機で遊んで、
音楽をチェックしないといけないし。
- 鈴木
- とくに、『MOTHER2』のときは、
開発チームと同じ場所にいたからさ。
前作のときは自宅にこもってたわけじゃない?
それがみんなと同じ場所、
同じフロアーにいるとになると、
意欲が湧くというか、燃えるんですよ。
だって現場にいるわけだから。
マッサージ椅子で、よく寝てたけど、私は。
みんなの熱気を感じて、声を聞いて、
どんどんつくるんですね。
- 鈴木
- そうそうそう。
で、全体を整えていくのが、
ひろかっちゃんなの。
彼は私と違って、ゲーム全体を見てるから。
彼の頭の中では、つくるものが
マッピングされてるわけ。プロデューサー。
そんななかで、私は闇雲につくるわけ(笑)。
闇雲音楽家。これは新鮮だったね。
普段は自分がプロデューサーの時代で、
この時はひろかっちゃんにお任せだから。
- 糸井
- 『MOTHER2』は、
できることが増えて、そのぶんだけ、
苦労も増えたっていう感じなんだよね。
- 鈴木
- そう。できることが増えたから、こっちも、
「あ、それができるなら、これもできるよね?」
ってひろかっちゃんに頼んだりするわけ。
「ステレオでこういうふうに」とかさ。
そのぶん、苦労も増えていくわけだ。
- 田中
- そうですね。でも、おもしろさでいえば、
断然おもしろくなりましたよ。
- 糸井
- ああ、そういうふうに言ってくれると
なんだかうれしいね。
『MOTHER2』って、
制作にかなり時間がかかりましたよね?
いまだからこそ訊けるけど、
それって、音楽には負担にならなかった?
- 田中
- ならなかったです。
おお、断言(笑)。
- 糸井
- ほんとに、大丈夫だったですか?
- 田中
- ほんと、ぜんぜん、大丈夫でしたよ。
- 糸井
- ‥‥田中さんは、ほかのことまで
心配してくれてたからね。
「このままじゃできへん!」とか。
なんかことばではそう言わなかったけど、
もっと男になれ!みたいな喝を入れてたよ。
- 鈴木
- そうそうそうそう(笑)。
裏エグゼクティヴ。
彼は、全体を俯瞰してたし、
読みもあっただろうしね。
- 糸井
- ありがたいことです。
でも、当時の危うさを思い出すと、
いまでも怖い(笑)。
いちばん苦しい時期には、うなされたりしてたもん。
ちんちんも、半分になっていたような気がする。
- 一同
- (笑)
どこかクレイジーな、どこか普通じゃない、
MOTHERの音楽。2にハマった当時、サントラが出ている事
も知らずに(というか出てないと思っていた)
どうしてないんだ、なら作ろう自分達で、と
友達と二人でオリジナルサントラを作ったのを想いだします。
スーファミをMDにつないで何時間も‥‥。
僕は提案ばかりして、友達がほとんど作ったんですが、
110分におけるそのMDは今も僕らの宝物です。
心の中の。最近、サントラが出てる事を知り
ショックを受けましたが‥‥(苦笑
やっぱしMOTHER、僕の友達。糸井さんはじめ、製作者の方には本当に感謝します。
エピソードなんか聞いてても、胸にきます。ゲームをプレイした人、それとなく見ただけの人、
製作した人、そして作った人、
み~んなが「MOTHER」に対してズバっと感じる気持ちの
根本は同じ種類のような気がします。どこからか胸にクゥ~~っとくる
この気持ち。
文章では伝わらないのがほんと残念です!
(Satoshi)