レオナルド・ダ・ヴィンチが大大大好きで、
30年以上に渡って研究を続け、
独自の「ダ・ヴィンチ論」を築き上げた、
金沢にお住まいの向川惣一さん。
仲間たちから、親愛を込めて、
ダ・ヴィンチ研究の奇人と呼ばれる、向川さん。
ダ・ヴィンチと誕生日が同じのみならず、
ダ・ヴィンチの生まれた日から、
きっかり500年後に生まれた、向川さん。
言ってることの難解さも込みで、
仲間たちから愛されている、向川さん‥‥。
「ほんの一端」ではありましょうが、
その巨大細密画のような
独自の「レオナルド・ダ・ヴィンチ論」を、
しかと全身で、受け止めてきました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
5回の連載にまとめるのに、
正味の話、2ヶ月半くらいかかりました。
向川惣一さんと楽しい仲間たち
のプロフィール。
- ──
- 向川先生が、さきほどチラッと、
「ダ・ヴィンチは、
数学の証明を絵でやっていたんだ」
みたいなことを‥‥。
- 向川
- そうですよ。レオナルドは、ぜんぶ。
- ──
- そのへん、詳しく聞かせてください。
- 向川
- レオナルドは、
みずからの数学的理論の証明として、
絵を描いてるんですよ。
- ──
- へぇ‥‥。
- 松岡
- 他の研究者で、
そんなこと言ってる人って、います?
- 向川
- いない、たぶん、誰も。
そんなこと考えてもいないでしょう。
- ──
- では、「そういう理由」で、
絵を描く人って他にもいるんですか。
- 向川
- レオナルド以前もレオナルド以降も、
いないでしょうね、ひとりも。
- ──
- そうなんですか。
- 向川
- たとえば、
いまは「√(ルート)」の記号があるから、
平方根の表記ができたり、
数式にして計算できたりするけど、
レオナルドは、それが、できなかった。
- なぜなら、
「√(ルート)」記号が生まれたのって、
もっと後の時代だから。
- ──
- つまり、ダ・ヴィンチの頭の中に、
概念としての平方根があったとしても‥‥。
- 向川
- 数式では、表現できなかったわけ。
だから、それを、絵で表現していたんです。
- ──
- つまり、ダ・ヴィンチの絵画作品とは、
彼なりの「数式」であり、
自らの理論を証明する「方法」だったと。
- 向川
- ぼくは、そんなふうに考えています。
- レオナルドは、絵を、
絵描きとしては描いてないんです、つまり。
- 松田
- ああー、やっぱり、おもしろいなあ。
向川先生の言うことは。
- 向川
- レオナルドにとって、「絵」とは、
自分の「理論の証明」としての役割を
持つものだったんです、第一義的に。
- だからこそ、
自分のなかで理論化できてないものを、
作品に入れようとした場合は、
どこか中途半端で、
仕上げずに終わってる感じの絵が多い。
- ──
- それは、理論的に弱かったから、
描ききれなかった‥‥ということですか?
- 向川
- レオナルドは、絵の依頼が来たら、
自分が、その時点で到達している理論を、
入れ込もうとするわけ、そこにね。
- ところが、たとえレオナルドといえども
ぜんぶがぜんぶ、
納品時期までに、
考えをキレイにまとめることはできず、
そんな場合、
中途で放り出した絵みたいになっちゃう。
そんな感じかな。
- ──
- かの有名な「モナ・リザ」なんかも?
- 向川
- 黄金分割を使って、描かれています。
- あの絵について言うと、
一説には、
実際にレオナルドが依頼者に渡した絵は、
いま「モナリザ」として
知られている絵ではないとされてますが。
- ──
- 一回、ルーヴル美術館から盗まれてたり、
作品そのものも、
どこか謎めいた雰囲気がありますよね。
- 向川
- いま「モナ・リザ」と呼ばれている絵は、
本物が描かれてから10年くらいあとに、
レオナルドが「モナ・リザ」を見ずに、
「モナ・リザ」のデッサンを元に描いた、
「モナ・リザ」というよりは、
自分の母親に対する憧憬を描いた作品だ‥‥
とか言われてたりしますよね。
- ──
- へえ‥‥。
- 松田
- ともあれ、レオナルドという人は、
人の顔の造作も、
黄金分割で決めていますから、
その点「モナ・リザ」も例外ではないです。
- 末松
- これ、逆に言えば、
もし、レオナルドの絵が下手クソだったら、
まったく名を残さなかったのかな。
- 向川
- そうだろうね。
- ──
- 考えていることはものすごいんだけど、
表現する術を持たない人‥‥。
- 向川
- うん。
- ──
- そういう人って、現代でもいそうですね。
- どこか地球の片隅で、
ひそかに、すごいことを考えている人が。
- 松岡
- ここにも、ひとり‥‥。
- ──
- あ(笑)。
- 向川
- ぼくの場合は、もう、しょうがないです。
- ──
- だって、思いついちゃったから?
- 向川
- そうです。
- 松岡
- いろいろな偉い研究者の人たちが、
ダ・ヴィンチのこの絵は
この年代に描かれたものだ‥‥ってことを
特定してくださるわけですけど、
向川さん独自の理論では、
「この年代には、レオナルドはまだ
この作図法の
この部分を理解してないから、
この絵を描くことはできない」とかって、
考えが違ってくるらしいんです。
- ──
- ふつうの研究者さんたちは、
どうやって、年代を特定しているんですか。
- 向川
- それは、これまでの500年間に書かれた
レオナルドの論文、
それらを丹念に読んで読んで読んで‥‥
その積み重ね、ですね。
- ──
- 歴史学的なアプローチ、ですか。
- 向川
- 人類の大変な努力の賜物として、
ピラミッドのように積み重ねられてきた、
壮大な営みの結果なんだけども。
- ──
- 残念ながら違ってますよ、と?
- 向川
- 歴史学の科学的な考証っていうのもね、
そりゃあ大事なんだけど、
もっとこう、
レオナルドの気持ちになって‥‥というか、
レオナルド自身になって考えたら‥‥。
- ──
- ああー、そこは、向川先生は
決して「人後に落ちない」ですよね。
- なにしろ「生まれ変わり」ですから。
- 向川
- レオナルド・ダ・ヴィンチって人はね、
ヨーロッパを体現する、
西洋文明の権化みたいな人なんですよ。
- その人について、
いままで重ねられてきた膨大な研究の、
そのピラミッドを、
いちばん下で支えている4本足の杭が
もし、ボロボロだったら‥‥。
- ──
- ははあ。
- 向川
- つまり、
「その杭、ボロボロでっせ?」
「崩れまっせ?」
「何なら崩してみせましょか、数式で?」
というようなことを、
ぼくは、やってきたのかもしれない。
- ──
- なるほど。
- 向川
- だから、食えない。
- いや、つまり、その研究では、
少々、食えない状態になっちゃってるけど、
でも、良かったなと思ってる。
- 末松
- 食えないが、悔いなし。
- 向川
- そもそも、そんなことは、
「道半ばで気がついてただろう、お前」と。
- 松田
- 食えないのは、わかってた。
- 向川
- うん。
- ──
- でも、そっちに考えがいっちゃうんだから、
しょうがないですよね。
- 無理やりに
「食える方向」に考えを持っていくことは、
むずかしいでしょうから。
- 末松
- 解剖も達者で解剖図も上手で、
北海道でいちばんの高校をお出になってて、
20代のころは、
グラフィック・デザイナーとしてもね、
ご活躍をされていた人ですよ。
- 永江
- なにしろ、この先生は
皇太子殿下に講義をしてさしあげた方です。
- ──
- え! すごい!
- 向川
- レオナルドの『最後の晩餐』の
室内空間の発表を、させていただきました。
- ──
- さっき、ぼくが聞いたあのお話を。
- 向川
- そう。
- ──
- 皇太子殿下に。
- 向川
- うん。
- ──
- はー‥‥。
- 末松
- さらには、数学の素養もおありで。
- 向川
- まあ、数学については、
大学院で論文を書くために学び直しました。
- 「俺、こんなに勉強する人だったかなあ」
とか思いながらも、
目的があると、人間、必死に勉強しますね。
- ──
- わかりたいと思えば。
- 向川
- そうです。
- 松岡
- かのビル・ゲイツが、
ダ・ヴィンチの大ファンだそうなんです。
- 向川
- そう、レオナルドの『レスター手稿』を、
高いお金を出して買ってるんですよ。
- 松岡
- だから、ここにいるみんなの目標は、
向川さんのことを
ビル・ゲイツに知ってもらうことなんです!
- ──
- おお、それは、いい考えですね!
- 松岡
- だから、この日本語のインタビューを、
どうにか読んでくれるといいのですが。
- ──
- ビル・ゲイツが。
- 向川
- そう。
- 末松
- わかりませんよ。こんな時代だから。
- 松田
- 祈りましょう。
- ──
- はい(笑)。