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その2 フィンランドはうらやましいだろうか?
光嶋さんが「凱風館」(内田樹さんの自邸兼合気道道場)を
建てたとき、内田さんたちの希望はどうだったんでしょう。
「凱風館」は内田先生と内田先生の奥さまが
基本的にはお施主さんですが、
合気道の道場でもあるので、
その人たちの場所でもあるわけです。
まさしく「みんなの家」です。
そして内田先生は本当にびっくりするぐらい
住まいとしての家についてはノーコメントでした。
えっ!
ディテールに関してはもう、
ほんとになんにも無かったようなんです。
僕が提案したものに対して
「あ、そう。」みたいな。
生活に関して、物干しはどこに、
というようなことについては奥さまがおっしゃいます。
家事室をもう少し広くして欲しいとか、
ここ棚どうなるのとか、
いろいろ細かくたずねるのは奥さまでした。
内田先生は掃除がしやすいとか、
すごく具体的な箇条書きはあったけれども、
家よりも道場に対する思いのほうが圧倒的に強かったです。
畳はどうとか、最大限広くしてくれとか、
柱に当たらないようにしてくれとか、
角が無いようにしてくれとか、子どもも来るとか。
いっぽう、鈴木さんと家づくりが始まったのは、
ほんの2週間前ぐらいで、
まだ2案、3案提案したところですが、
帰って来るレスポンスの精度が
内田先生の10倍ぐらいあります。
(笑)。
鈴木さんと仕事を始めて、
いろいろ考えていたなかで、
住まうことについてのリテラシー
(適切に理解・解釈し、分析し、記述・表現する能力)
というものがあるんじゃないかと思ったんです。
例えば、引き戸がどうこうとか、
部屋と部屋のつながりとか、
それってリテラシーだと思うんですよ。
すごく分かりやすかった。
例えば場所の使い方ひとつ取っても、
鈴木邸にはベッドルームが無いんです。
そこがハッキリしていた。
あ、布団派なんです。
割と最近布団に変えたんですが。
これって、ちょっとしたことのようで
すごく大きいんですよ。
20坪の家なんですけれど、
ベッドルームっていうのが存在しなくていいんですよ。
図面にベッドを描いたら、
そこはもう揺るぎないベッドルームじゃないですか。
住宅の中で、寝る時間が一番長いから、
普通の人は寝室を優先するんです。
鈴木邸はそこをフレキシブルにできる。
布団をしまってしまえば、子どもの勉強部屋になる、
奥さんの家事室になる。
そのことが最初にわかっているというのが、
住宅設計において、すごく大きいんですね。
いや、ただそれってほんとに、
かみさんと話してきたなかで出た答えだったんです。
当然違う家に違う住み方をして来たわけで、
かみさんは都心に近いわりと恵まれた住環境だった。
僕は昭和の貧乏だった時代の
市民の暮らしをよく知っている。
ので、狭いとか子ども部屋は個室がないとか、
全然平気なわけですよ。
三畳間に寝りゃいいじゃんみたいな感じです。
冷房や暖房だって別にそんなに完璧じゃなくても、
ま、なんとかなる‥‥。
開けっぴろげにすれば、隣の部屋の冷房が
こっちの部屋まで効くみたいなことって、
おおいにあり得る‥‥。
子どものころからの体験って
すごく根強いですよね。
もう染み付いちゃってるって言うか。
大豪邸に住んでいつも自分の部屋があって、
みたいな住まい方をしてきた人と、
家族で協力し合うとか共有し合う住まい方を
してきた人とでは、
住宅のリテラシーがすごく変わってくるわけですよ。
その感覚の違いで、
「こうしたい」「ああしたい」が
ずいぶん違っちゃうんですよ。
まだ別に喧嘩には至ってませんけど(笑)。
それはやっぱり、どう育ったか、
どういう家にどういうふうに住んでたかが、
ものすごく強く影響するんだなと思いました。
そっから抜け出すのは大変って言うか。
うちは、父親が187cmあって、
母親が155cmぐらいなんですよ。
で、家を建てたかったのは父親で、
父の理想の家っていうのがあったんでしょうね。
ドアとかは全部父が通り抜けられるぐらいの、
2メートルの高さで作られてあります。
いっぽう台所が狭くて、
なのに調理台は父が立ってもOKなぐらいの高さがある。
それじゃ母が大変なんですよ。
踏み台がいるじゃないですか。
はい、踏み台を使っていましたね。
さらに巨大なオーブンとか、
食器洗い機とか、昭和50年代初めに、
当時一所懸命頑張った設備が全部入っていました。
すごく早いですね、食洗機って。
はい。なんか、見た目はおしゃれなんですけど、
母はとんでもなく使えないと。
家って、そんなふうに、
誰が主導権を握るかが‥‥
すごく大事なんですね。
けれども、高さとか面積とか、
機能的に食器洗い機をつけるとかって言うのは、
ある意味比較もできるし、数値化できる。
天井を高くする、低くするっていうのも、数値化できる。
でも、数値化できない部分をいかに大切にして、
家を造っていくかって言うのが、
これからの住宅リテラシーを広げていく
ひとつのポイントだと思うんですよ。
建築空間に含まれてる物語みたいなものを、
どうやって受け継いで行くかっていうことだと思うんです。
そうですね。細かいことで言えば、
うちの父親はもともと農家ではないので、
開けっ放しっていうのがダメなんですよ。
ドアとかも全部、きっちり閉まってないといやなんです。
ドアを開けっ放しとかすると
ものすごく叱られたんです。
その、ドアっていうのは、窓や玄関だけじゃなくて。
ええ、もちろん、もちろん。
個室やリビング、キッチンのドアも閉める、と。
閉まるものはきちんと閉まってないと叱られました。
だらしがないって言われて。
でも、農家育ちだった母親は、
結局全部のふすまを外せば
一つの大きな家になるっていう家だから、
開けっぱなしの状態がデフォルトです。
そのデフォルトにやっぱり
リテラシーのずれがある。
そうなんです。
やえさんはどっちですか?
わたし、開けっ放し派です。
もう、ドアいらない、みたいな。
武井家はどうでしたか。
商売家で育つと常に人がいて、人が来ます。
開けっぴろげなんですよね、ある意味。
で、プラス人が来るわけです。
松風堂(屋号)として来る人と、
武井家としても本家だったので、
親戚がわんさか、毎日のように来る。
叔父が来て酔っ払ったり
祖母に愚痴言って泣いたりしてる。
気がつくと近所のおばあちゃんが
うちのおばあちゃんとご飯食べてたりする。
それが当たり前だったんですよ。
‥‥それが非常にイヤで!
あ、イヤだったんだ。
落ち着かないってこと?
落ち着かないです。
自分の部屋はあったんですが、
それは「部屋のようなもの」であって、
これ自分の部屋じゃないんだよなっていう‥‥
押入れは親のものが入ってるし、
母の鏡台があるし、
自分のベッドと机はあるものの、
ドアはなくてふすま一枚だし。
居心地が、なんかこう‥‥
そう、居心地がなんとなく悪かったんですよ。
実家は好きですけど。
で、東京に出て来たときに、
やっと自分の場所ができたと思って嬉しくて、
そのまんま何十年ですよ(笑)。
分かります。私、冷蔵庫から出した牛乳をこぼして
床が牛乳だらけになったときに、
誰からも叱られないって
気持ちがいい! って思いました(笑)。
それもどうかと思いますけれど(笑)。
(つづきます)
2013-02-07-THU
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