|
僕が提案したものに対して
「あ、そう。」みたいな。
生活に関して、物干しはどこに、
というようなことについては奥さまがおっしゃいます。
家事室をもう少し広くして欲しいとか、
ここ棚どうなるのとか、
いろいろ細かくたずねるのは奥さまでした。
内田先生は掃除がしやすいとか、
すごく具体的な箇条書きはあったけれども、
家よりも道場に対する思いのほうが圧倒的に強かったです。
畳はどうとか、最大限広くしてくれとか、
柱に当たらないようにしてくれとか、
角が無いようにしてくれとか、子どもも来るとか。
いっぽう、鈴木さんと家づくりが始まったのは、
ほんの2週間前ぐらいで、
まだ2案、3案提案したところですが、
帰って来るレスポンスの精度が
内田先生の10倍ぐらいあります。
|
|
(笑)。
|
|
鈴木さんと仕事を始めて、
いろいろ考えていたなかで、
住まうことについてのリテラシー
(適切に理解・解釈し、分析し、記述・表現する能力)
というものがあるんじゃないかと思ったんです。
例えば、引き戸がどうこうとか、
部屋と部屋のつながりとか、
それってリテラシーだと思うんですよ。
すごく分かりやすかった。
例えば場所の使い方ひとつ取っても、
鈴木邸にはベッドルームが無いんです。
そこがハッキリしていた。
|
|
あ、布団派なんです。
割と最近布団に変えたんですが。
|
|
これって、ちょっとしたことのようで
すごく大きいんですよ。
20坪の家なんですけれど、
ベッドルームっていうのが存在しなくていいんですよ。
図面にベッドを描いたら、
そこはもう揺るぎないベッドルームじゃないですか。
住宅の中で、寝る時間が一番長いから、
普通の人は寝室を優先するんです。
鈴木邸はそこをフレキシブルにできる。
布団をしまってしまえば、子どもの勉強部屋になる、
奥さんの家事室になる。
そのことが最初にわかっているというのが、
住宅設計において、すごく大きいんですね。
|
|
いや、ただそれってほんとに、
かみさんと話してきたなかで出た答えだったんです。
当然違う家に違う住み方をして来たわけで、
かみさんは都心に近いわりと恵まれた住環境だった。
僕は昭和の貧乏だった時代の
市民の暮らしをよく知っている。
ので、狭いとか子ども部屋は個室がないとか、
全然平気なわけですよ。
三畳間に寝りゃいいじゃんみたいな感じです。
冷房や暖房だって別にそんなに完璧じゃなくても、
ま、なんとかなる‥‥。
|
|
|
開けっぴろげにすれば、隣の部屋の冷房が
こっちの部屋まで効くみたいなことって、
おおいにあり得る‥‥。
|
|
子どものころからの体験って
すごく根強いですよね。
もう染み付いちゃってるって言うか。
|
|
大豪邸に住んでいつも自分の部屋があって、
みたいな住まい方をしてきた人と、
家族で協力し合うとか共有し合う住まい方を
してきた人とでは、
住宅のリテラシーがすごく変わってくるわけですよ。
|
|
その感覚の違いで、
「こうしたい」「ああしたい」が
ずいぶん違っちゃうんですよ。
まだ別に喧嘩には至ってませんけど(笑)。
それはやっぱり、どう育ったか、
どういう家にどういうふうに住んでたかが、
ものすごく強く影響するんだなと思いました。
そっから抜け出すのは大変って言うか。
|
|
うちは、父親が187cmあって、
母親が155cmぐらいなんですよ。
で、家を建てたかったのは父親で、
父の理想の家っていうのがあったんでしょうね。
ドアとかは全部父が通り抜けられるぐらいの、
2メートルの高さで作られてあります。
いっぽう台所が狭くて、
なのに調理台は父が立ってもOKなぐらいの高さがある。
それじゃ母が大変なんですよ。
|
|
|
踏み台がいるじゃないですか。
|
|
はい、踏み台を使っていましたね。
さらに巨大なオーブンとか、
食器洗い機とか、昭和50年代初めに、
当時一所懸命頑張った設備が全部入っていました。
|
|
すごく早いですね、食洗機って。
|
|
はい。なんか、見た目はおしゃれなんですけど、
母はとんでもなく使えないと。
家って、そんなふうに、
誰が主導権を握るかが‥‥
|
|
すごく大事なんですね。
けれども、高さとか面積とか、
機能的に食器洗い機をつけるとかって言うのは、
ある意味比較もできるし、数値化できる。
天井を高くする、低くするっていうのも、数値化できる。
でも、数値化できない部分をいかに大切にして、
家を造っていくかって言うのが、
これからの住宅リテラシーを広げていく
ひとつのポイントだと思うんですよ。
建築空間に含まれてる物語みたいなものを、
どうやって受け継いで行くかっていうことだと思うんです。
|
|
そうですね。細かいことで言えば、
うちの父親はもともと農家ではないので、
開けっ放しっていうのがダメなんですよ。
ドアとかも全部、きっちり閉まってないといやなんです。
ドアを開けっ放しとかすると
ものすごく叱られたんです。
|
|
その、ドアっていうのは、窓や玄関だけじゃなくて。
|
|
ええ、もちろん、もちろん。
個室やリビング、キッチンのドアも閉める、と。
閉まるものはきちんと閉まってないと叱られました。
だらしがないって言われて。
でも、農家育ちだった母親は、
結局全部のふすまを外せば
一つの大きな家になるっていう家だから、
開けっぱなしの状態がデフォルトです。
|
|
そのデフォルトにやっぱり
リテラシーのずれがある。
|
|
|
そうなんです。
|
|
やえさんはどっちですか?
|
|
わたし、開けっ放し派です。
もう、ドアいらない、みたいな。
|
|
武井家はどうでしたか。
|
|
商売家で育つと常に人がいて、人が来ます。
開けっぴろげなんですよね、ある意味。
で、プラス人が来るわけです。
松風堂(屋号)として来る人と、
武井家としても本家だったので、
親戚がわんさか、毎日のように来る。
叔父が来て酔っ払ったり
祖母に愚痴言って泣いたりしてる。
気がつくと近所のおばあちゃんが
うちのおばあちゃんとご飯食べてたりする。
それが当たり前だったんですよ。
‥‥それが非常にイヤで!
|
|
あ、イヤだったんだ。
|
|
落ち着かないってこと?
|
|
落ち着かないです。
自分の部屋はあったんですが、
それは「部屋のようなもの」であって、
これ自分の部屋じゃないんだよなっていう‥‥
押入れは親のものが入ってるし、
母の鏡台があるし、
自分のベッドと机はあるものの、
ドアはなくてふすま一枚だし。
|
|
居心地が、なんかこう‥‥
|
|
そう、居心地がなんとなく悪かったんですよ。
実家は好きですけど。
で、東京に出て来たときに、
やっと自分の場所ができたと思って嬉しくて、
そのまんま何十年ですよ(笑)。
|
|
分かります。私、冷蔵庫から出した牛乳をこぼして
床が牛乳だらけになったときに、
誰からも叱られないって
気持ちがいい! って思いました(笑)。
|
|
それもどうかと思いますけれど(笑)。 |
(つづきます) |