若くして老舗の文芸誌『新潮』の編集長に
抜擢された矢野優さんは、
東浩紀さんの『存在論的、郵便的』をはじめ、
阿部和重さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』、
平野啓一郎さんの『日蝕』など、
いくつもの、個人的に思い入れの深い作品の
担当編集者でもありました。
矢野さんのようなすぐれた編集者は、
輝く才能を、どうやって見極めているのか?
矢野さんにとって「物語」とは?
編集とは「選んで、綴じる」ことであり、
それは脳と肉体が一体化したな営みだ‥‥等々。
とにかく、刺激に満ちた2時間でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>矢野優さんのプロフィール

矢野優(やの・ゆたか)

1965年生まれ。1989年、新潮社に入社。「ゼロサン」編集部、出版部(書籍編集)を経て、2003年より「新潮」編集長をつとめる。担当書籍に阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」、東浩紀「存在論的、郵便的」、平野啓一郎「日蝕」など。「新潮」では、大江健三郎「美しいアナベル・リイ」、柄谷行人「哲学の起源」、筒井康隆「モナドの領域」などを担当。

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第1回 道ばたで光っている宝石。

──
かつて東浩紀さんが著したデリダ論、
『存在論的、郵便的』って、
自分が学生のときに
何度もチャレンジした本なんですが、
あれって、
矢野さんがご担当されたそうですね。
矢野
そうなんです。手にしたきっかけって
何だったんですか?
──
当時、講談社から出ていた
「現代思想の冒険者たち」シリーズを、
よく読んでいたんですけど。
矢野
ええ。
──
今村仁司さんの『アルチュセール』や
中岡成文さんの『ハーバーマス』、
川崎修さんの『アレント』、
高橋哲哉さんの『デリダ』‥‥とか、
そのあたりの話を、
必死で「わかろう」としていたんです。
矢野
はい。

──
そんなときに、大学の生協で
『存在論的、郵便的』を見つけまして。
申し訳ございません、
完全に「ジャケ買い」だったんです。
なにしろ装丁がカッコ良かったので。
矢野
ああ、うれしいですね(笑)。
──
あ、うれしい。本当ですか?
思想関連のコーナーでも、
もう何だか、断然カッコよかったです。
矢野
ありがとうございます。
ジャケットにも思い入れがあったので
素直にうれしいですね。
手掛けたのは、
田中隆博さんというアーティストです。
──
装丁家の方じゃないんですね。
その雰囲気は、たしかにありますね。
矢野
当時、田中さんの作品がすごく好きで、
本の内容にも合っていると思って、
東さんに、作品を見てもらったんです。
田中さんは現代美術作家で、
装丁はやったことなかったようですが。
──
いま見ても、洗練されてます。
矢野
すばらしいカバーを、
デザインしてくださったなと思います。
あの模様は、机の傷のあとなんですよ。
──
抽象的なグラフィックに見えますけど、
そうなんですね。なるほど。
矢野
たぶん、傷だらけの机を写真で撮って、
コントラストなんかを細かく調整して、
幽霊的というか、
ああいう幽かな線が誕生する瞬間‥‥
みたいなイメージを、
つかまえてくださったんだと思います。
──
自分と同じ70年代の生まれで、
そんなには年齢も変わらない東さんが、
デリダ論という、
当時「わかりたい」と思っていた話の
究極みたいな本を、
あんなにもカッコいい装丁で‥‥って、
大げさでなく、
鮮烈デビューという感じがしてました。
当時、東さんって、
まだ20代の若さだったわけですけど。
矢野
ええ、27くらいかな。
──
矢野さんはおいくつだったんですか。
矢野
33ですね。
──
編集者も若い。すごいなあ。
たしか何かの連載だったんですよね。
矢野
柄谷行人さんや浅田彰さんが手掛けていた
『批評空間』に連載されていました。
デビュー時から注目していましたが、
第1回を読んで、すぐに
「これはすごい」と思って連絡して。
──
おお。
矢野
通常は版元の太田出版にあたるのが
筋かと思いますけど、
「もし書籍化されるようなときには、
ぜひ自分に担当させてほしい」
というふうに、
東さんに直接、お願いをしたんです。
──
第1回目を読んだだけで‥‥ですか。
おもしろいことがわかったんですか。
その時点で、すでに。
矢野
正確には、それより以前に、
「ソルジェニーツィン試論」という
デビュー論稿があり、
そのときに、
「これは、ものすごい人が出てきたなあ」と、
しびれていたんです。
で、そのデビュー論考のあとに、
デリダ論という大きな仕事をスタートされた。
だから、楽しみにしていた。
で、読んだら、初回から「これはすごい」と。
──
ただ、その時点では、
会社に企画が通ってたわけじゃないですよね。
矢野
そうですね。
いつか本をつくらせてほしいです‥‥って、
お伝えしてきただけです。
──
まだ、連載1回だったわけですもんね。
矢野
はい。当時の新潮社には、
出すか出さないかを決めることのできる人が、
複数人いたんです。
「デスク」というふうに呼んでいたんですが。
──
ええ。
矢野
ぼくら編集者は、自分で出したい本の企画を、
そのデスクにプレゼンするんです。
ただ、その際、デスクAに断られても、
デスクBがオーケーしてくれればいいんです。
──
あ、なるほど。復活戦に挑める。
矢野
そう、誰かに引っ掛かればいいんです。
OKしてくれたデスクは、
「ぼくには1行もわかんなかったけど、
キミがいいなら、いいんじゃない?」
と言ってくださいました。

──
たしか博論になったんですよね、その後。
東さんが東大に提出した博士論文に。
矢野
そうですね。
東京大学での口頭試問も見にいきました。
──
その当時、博士論文になるような文章が
大学の出版会とかじゃなく、
老舗の文芸誌を出している出版社から、
カッコいい装丁で出てる‥‥というのが、
すごいことだと感じていました。
矢野
浅田彰さんの『構造と力』という本が、
あるじゃないですか。
あれ、高校の終わりに読んだんですが、
おおげさでなく、
人生の方向が大きく変わったんですよ。
──
ニューアカデミズムの潮流の中で。
矢野
それまではずっと理科系だったものの、
いろいろ挫折を経験して、
自分の行き場をなくしていたんです。
そのとき『構造と力』に出会いました。
言葉のロジックによって、
世界のダイナミズムを精密に表現して、
世界を説明することができる。
そのことに、すごく感動したんですね。
──
高校生のときに、ですか。
矢野
理科系に進んでも将来が厳しそうだし、
文系に進路転換して、
浅田さんのいる京都大学に行きました。
1冊の本って、そんなふうにして、
人ひとりの人生を変えてしまうんです。
──
自分にも思い当たる本があります。
矢野
東さんの本って、帯、ついてます?
──
あ、なくなっちゃいました。
矢野
その本の帯には
「『構造と力』が完全に過去のものとなった」
というような、
浅田さん自身のコメントがついていて。
──
おお‥‥!
矢野
わたし自身『構造と力』という本によって
人生を大きく変えられ、
流れ流れて編集者になったわけですけど、
やがて、その本を書いたご本人から
「完全に過去のものとなった」
とコメントをもらえる本をつくることができた。
このことには、感無量でした。
──
そうですよね‥‥それは。
簡単に説明できないとも思いますが、
矢野さんは、編集者として、
東さんの作品の
どこがおもしろいと感じたんですか。
矢野
われわれの生きるこの世界とは、
どんなメカニズムで動いているのか。
ものすごく大づかみに言えば、
そういうことが、示されていたから。
あるいは、新しく、
世界を見るためのレンズをつくった、
ということでもあると思います。
──
新しいレンズ。
矢野
世界を新たに映し出すレンズ‥‥を。
──
連載の第1回を読んで、
いまのようなことを読み取ったわけですか。
矢野
そうですね。
──
今日、ぜひ、聞きたかったことのひとつに、
矢野さんのような優れた編集者は、
どうやって
才能を見抜くのかということがありました。
それって、どういうふうにわかるんですか。
矢野
才能って、はじめから
クリアに磨かれた宝石みたいなもの。
その状態で道ばたに落ちてるんです。
だから、誰が見てもわかるんですよ。
──
それが「宝石」であるということが。
矢野
そうです。で、最初にそれを見つけて、
駆け寄った人が、
運よく担当の編集者になれる。
磨けば光る原石、みたいな才能の発掘には、
たしかに眼力がいると思いますが、
東さんみたいな宝石が道ばたに落ちてたら、
誰でも「わっ!」と気づくと思う。
──
キラキラ光っているんですね。最初から。
矢野
うん。見つけちゃった、みたいな感じです。
──
そんなに滅多には落ちてないでしょうけど。
矢野
それは、そうですね。もちろん。
──
東さんを最初に見つけたのって。
矢野
柄谷行人さんや浅田彰さん、ですよね。
たしか、東さんが
柄谷さんのレクチャーを聞きに行って、
終了後に話しかけたんだけど、
阪神タイガースの話しかできなかった、と。
──
ええ、ええ。
矢野
で、柄谷さんともっと知的な会話がしたい、
と思って書いたのが、
東さんのデビュー論稿なんですよね。
その論考のクオリティが高かったからこそ、
柄谷さんや浅田さんは、
東さんの連載を『批評空間』でやろうって。
──
ちなみにですが、これまでの編集者人生で、
矢野さんご自身が、「わっ!」って、
見つけることのできた輝ける才能というと、
どんな方がいらっしゃいますか。
矢野
まだ無名だった時代に知り合って、
デビュー作を担当した‥‥という意味では、
柳美里さんや、朝吹真理子さん。
──
おお、なるほど。
柳美里さんは、『石に泳ぐ魚』でしょうか。
矢野
そうですね。
柳さんが演劇ユニットを立ち上げて、
その売り込みで会ったときに、
柳さんがしゃべる「私の物語」に圧倒されて
──
ちなみに、平野啓一郎さんは‥‥。
矢野
平野さんの場合は、
デビュー作の本をつくらせてもらいましたけど、
本当の意味での発見者は、
ぼくの前の『新潮』編集長だった人ですね。
まず、平野さんが、
前の編集長に宛てて手紙を送ったんですよ。
まあ、編集部には、
そういうものっていっぱい届くんですけど。
──
でしょうね。
矢野
そこには、文学論が書いてあったんですね。
平野さん独自の。
だから、小説が書けるかはわからなかった。
──
ああ、なるほど。
矢野
平野さんの文学観がつづられていた。
でも、前の編集長は、返事を書いたんです。
そして関西出張のときに、
平野さんと直接に会う機会を設けたんです。
──
当時、まだ学生でしたよね。平野さん。
矢野
そうです。京都大学の学生だったんですが、
前編集長は、平野さんに会い、
小説を読ませてくれないかとお願いした。
で、結局、それを『新潮』に掲載したのが、
平野さんのデビュー作になったんです。
──
それが『日蝕』ですか。
あの作品もリアルタイムで読んでいますが、
最終的に芥川賞を獲りましたよね。
平野さんも、当時「最年少受賞」とかで、
「ああ、すごい人がいるんだ」と憧れました。
矢野
光ってたんですよ。道ばたで。
──
キッラキラに。
矢野
そう。

(つづきます)

2021-10-11-MON

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  • 応募総数2396篇!
    最新の『新潮』は新人賞発表

    矢野優さんが編集長をつとめる
    文芸誌『新潮』の最新号は、
    第53回を数える新潮新人賞発表号です。
    「小説の未来のために
    編集部の総力をあげて取り組んでおり、
    2396篇の応募作すべてを
    検討する作業は
    『業務』『損得』というよ
    『文学の営み』という感じです」
    (矢野さん)
    2396篇!
    物語が、全国から、そんなにも!
    いつもながら、表紙もかっこいいです。
    誌名を手がけたのは大竹伸朗さんです。
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