若くして老舗の文芸誌『新潮』の編集長に
抜擢された矢野優さんは、
東浩紀さんの『存在論的、郵便的』をはじめ、
阿部和重さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』、
平野啓一郎さんの『日蝕』など、
いくつもの、個人的に思い入れの深い作品の
担当編集者でもありました。
矢野さんのようなすぐれた編集者は、
輝く才能を、どうやって見極めているのか?
矢野さんにとって「物語」とは?
編集とは「選んで、綴じる」ことであり、
それは脳と肉体が一体化したな営みだ‥‥等々。
とにかく、刺激に満ちた2時間でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。
矢野優(やの・ゆたか)
1965年生まれ。1989年、新潮社に入社。「
- ──
- かつて東浩紀さんが著したデリダ論、
『存在論的、郵便的』って、
自分が学生のときに
何度もチャレンジした本なんですが、
あれって、
矢野さんがご担当されたそうですね。
- 矢野
- そうなんです。手にしたきっかけって
何だったんですか?
- ──
- 当時、講談社から出ていた
「現代思想の冒険者たち」シリーズを、
よく読んでいたんですけど。
- 矢野
- ええ。
- ──
- 今村仁司さんの『アルチュセール』や
中岡成文さんの『ハーバーマス』、
川崎修さんの『アレント』、
高橋哲哉さんの『デリダ』‥‥とか、
そのあたりの話を、
必死で「わかろう」としていたんです。
- 矢野
- はい。
- ──
- そんなときに、大学の生協で
『存在論的、郵便的』を見つけまして。
申し訳ございません、
完全に「ジャケ買い」だったんです。 - なにしろ装丁がカッコ良かったので。
- 矢野
- ああ、うれしいですね(笑)。
- ──
- あ、うれしい。本当ですか?
- 思想関連のコーナーでも、
もう何だか、断然カッコよかったです。
- 矢野
- ありがとうございます。
- ジャケットにも思い入れがあったので
素直にうれしいですね。
手掛けたのは、
田中隆博さんというアーティストです。
- ──
- 装丁家の方じゃないんですね。
その雰囲気は、たしかにありますね。
- 矢野
- 当時、田中さんの作品がすごく好きで、
本の内容にも合っていると思って、
東さんに、作品を見てもらったんです。 - 田中さんは現代美術作家で、
装丁はやったことなかったようですが。
- ──
- いま見ても、洗練されてます。
- 矢野
- すばらしいカバーを、
デザインしてくださったなと思います。 - あの模様は、机の傷のあとなんですよ。
- ──
- 抽象的なグラフィックに見えますけど、
そうなんですね。なるほど。
- 矢野
- たぶん、傷だらけの机を写真で撮って、
コントラストなんかを細かく調整して、
幽霊的というか、
ああいう幽かな線が誕生する瞬間‥‥
みたいなイメージを、
つかまえてくださったんだと思います。
- ──
- 自分と同じ70年代の生まれで、
そんなには年齢も変わらない東さんが、
デリダ論という、
当時「わかりたい」と思っていた話の
究極みたいな本を、
あんなにもカッコいい装丁で‥‥って、
大げさでなく、
鮮烈デビューという感じがしてました。 - 当時、東さんって、
まだ20代の若さだったわけですけど。
- 矢野
- ええ、27くらいかな。
- ──
- 矢野さんはおいくつだったんですか。
- 矢野
- 33ですね。
- ──
- 編集者も若い。すごいなあ。
たしか何かの連載だったんですよね。
- 矢野
- 柄谷行人さんや浅田彰さんが手掛けていた
『批評空間』に連載されていました。 - デビュー時から注目していましたが、
第1回を読んで、すぐに
「これはすごい」と思って連絡して。
- ──
- おお。
- 矢野
- 通常は版元の太田出版にあたるのが
筋かと思いますけど、
「もし書籍化されるようなときには、
ぜひ自分に担当させてほしい」
というふうに、
東さんに直接、お願いをしたんです。
- ──
- 第1回目を読んだだけで‥‥ですか。
- おもしろいことがわかったんですか。
その時点で、すでに。
- 矢野
- 正確には、それより以前に、
「ソルジェニーツィン試論」という
デビュー論稿があり、
そのときに、
「これは、ものすごい人が出てきたなあ」と、
しびれていたんです。 - で、そのデビュー論考のあとに、
デリダ論という大きな仕事をスタートされた。
だから、楽しみにしていた。
で、読んだら、初回から「これはすごい」と。
- ──
- ただ、その時点では、
会社に企画が通ってたわけじゃないですよね。
- 矢野
- そうですね。
- いつか本をつくらせてほしいです‥‥って、
お伝えしてきただけです。
- ──
- まだ、連載1回だったわけですもんね。
- 矢野
- はい。当時の新潮社には、
出すか出さないかを決めることのできる人が、
複数人いたんです。 - 「デスク」というふうに呼んでいたんですが。
- ──
- ええ。
- 矢野
- ぼくら編集者は、自分で出したい本の企画を、
そのデスクにプレゼンするんです。 - ただ、その際、デスクAに断られても、
デスクBがオーケーしてくれればいいんです。
- ──
- あ、なるほど。復活戦に挑める。
- 矢野
- そう、誰かに引っ掛かればいいんです。
- OKしてくれたデスクは、
「ぼくには1行もわかんなかったけど、
キミがいいなら、いいんじゃない?」
と言ってくださいました。
- ──
- たしか博論になったんですよね、その後。
東さんが東大に提出した博士論文に。
- 矢野
- そうですね。
東京大学での口頭試問も見にいきました。
- ──
- その当時、博士論文になるような文章が
大学の出版会とかじゃなく、
老舗の文芸誌を出している出版社から、
カッコいい装丁で出てる‥‥というのが、
すごいことだと感じていました。
- 矢野
- 浅田彰さんの『構造と力』という本が、
あるじゃないですか。 - あれ、高校の終わりに読んだんですが、
おおげさでなく、
人生の方向が大きく変わったんですよ。
- ──
- ニューアカデミズムの潮流の中で。
- 矢野
- それまではずっと理科系だったものの、
いろいろ挫折を経験して、
自分の行き場をなくしていたんです。
そのとき『構造と力』に出会いました。 - 言葉のロジックによって、
世界のダイナミズムを精密に表現して、
世界を説明することができる。
そのことに、すごく感動したんですね。
- ──
- 高校生のときに、ですか。
- 矢野
- 理科系に進んでも将来が厳しそうだし、
文系に進路転換して、
浅田さんのいる京都大学に行きました。 - 1冊の本って、そんなふうにして、
人ひとりの人生を変えてしまうんです。
- ──
- 自分にも思い当たる本があります。
- 矢野
- 東さんの本って、帯、ついてます?
- ──
- あ、なくなっちゃいました。
- 矢野
- その本の帯には
「『構造と力』が完全に過去のものとなった」
というような、
浅田さん自身のコメントがついていて。
- ──
- おお‥‥!
- 矢野
- わたし自身『構造と力』という本によって
人生を大きく変えられ、
流れ流れて編集者になったわけですけど、
やがて、その本を書いたご本人から
「完全に過去のものとなった」
とコメントをもらえる本をつくることができた。 - このことには、感無量でした。
- ──
- そうですよね‥‥それは。
- 簡単に説明できないとも思いますが、
矢野さんは、編集者として、
東さんの作品の
どこがおもしろいと感じたんですか。
- 矢野
- われわれの生きるこの世界とは、
どんなメカニズムで動いているのか。 - ものすごく大づかみに言えば、
そういうことが、示されていたから。
あるいは、新しく、
世界を見るためのレンズをつくった、
ということでもあると思います。
- ──
- 新しいレンズ。
- 矢野
- 世界を新たに映し出すレンズ‥‥を。
- ──
- 連載の第1回を読んで、
いまのようなことを読み取ったわけですか。
- 矢野
- そうですね。
- ──
- 今日、ぜひ、聞きたかったことのひとつに、
矢野さんのような優れた編集者は、
どうやって
才能を見抜くのかということがありました。 - それって、どういうふうにわかるんですか。
- 矢野
- 才能って、はじめから
クリアに磨かれた宝石みたいなもの。
その状態で道ばたに落ちてるんです。 - だから、誰が見てもわかるんですよ。
- ──
- それが「宝石」であるということが。
- 矢野
- そうです。で、最初にそれを見つけて、
駆け寄った人が、
運よく担当の編集者になれる。 - 磨けば光る原石、みたいな才能の発掘には、
たしかに眼力がいると思いますが、
東さんみたいな宝石が道ばたに落ちてたら、
誰でも「わっ!」と気づくと思う。
- ──
- キラキラ光っているんですね。最初から。
- 矢野
- うん。見つけちゃった、みたいな感じです。
- ──
- そんなに滅多には落ちてないでしょうけど。
- 矢野
- それは、そうですね。もちろん。
- ──
- 東さんを最初に見つけたのって。
- 矢野
- 柄谷行人さんや浅田彰さん、ですよね。
- たしか、東さんが
柄谷さんのレクチャーを聞きに行って、
終了後に話しかけたんだけど、
阪神タイガースの話しかできなかった、と。
- ──
- ええ、ええ。
- 矢野
- で、柄谷さんともっと知的な会話がしたい、
と思って書いたのが、
東さんのデビュー論稿なんですよね。 - その論考のクオリティが高かったからこそ、
柄谷さんや浅田さんは、
東さんの連載を『批評空間』でやろうって。
- ──
- ちなみにですが、これまでの編集者人生で、
矢野さんご自身が、「わっ!」って、
見つけることのできた輝ける才能というと、
どんな方がいらっしゃいますか。
- 矢野
- まだ無名だった時代に知り合って、
デビュー作を担当した‥‥という意味では、
柳美里さんや、朝吹真理子さん。
- ──
- おお、なるほど。
柳美里さんは、『石に泳ぐ魚』でしょうか。
- 矢野
- そうですね。
- 柳さんが演劇ユニットを立ち上げて、
その売り込みで会ったときに、
柳さんがしゃべる「私の物語」に圧倒されて
- ──
- ちなみに、平野啓一郎さんは‥‥。
- 矢野
- 平野さんの場合は、
デビュー作の本をつくらせてもらいましたけど、
本当の意味での発見者は、
ぼくの前の『新潮』編集長だった人ですね。 - まず、平野さんが、
前の編集長に宛てて手紙を送ったんですよ。
まあ、編集部には、
そういうものっていっぱい届くんですけど。
- ──
- でしょうね。
- 矢野
- そこには、文学論が書いてあったんですね。
平野さん独自の。
だから、小説が書けるかはわからなかった。
- ──
- ああ、なるほど。
- 矢野
- 平野さんの文学観がつづられていた。
- でも、前の編集長は、返事を書いたんです。
そして関西出張のときに、
平野さんと直接に会う機会を設けたんです。
- ──
- 当時、まだ学生でしたよね。平野さん。
- 矢野
- そうです。京都大学の学生だったんですが、
前編集長は、平野さんに会い、
小説を読ませてくれないかとお願いした。 - で、結局、それを『新潮』に掲載したのが、
平野さんのデビュー作になったんです。
- ──
- それが『日蝕』ですか。
- あの作品もリアルタイムで読んでいますが、
最終的に芥川賞を獲りましたよね。
平野さんも、当時「最年少受賞」とかで、
「ああ、すごい人がいるんだ」と憧れました。
- 矢野
- 光ってたんですよ。道ばたで。
- ──
- キッラキラに。
- 矢野
- そう。
(つづきます)
2021-10-11-MON
-
応募総数2396篇!
最新の『新潮』は新人賞発表号
矢野優さんが編集長をつとめる
文芸誌『新潮』の最新号は、
第53回を数える新潮新人賞発表号です。
「小説の未来のために
編集部の総力をあげて取り組んでおり、
2396篇の応募作すべてを
検討する作業は
『業務』『損得』というより
『文学の営み』という感じです」
(矢野さん)
2396篇!
物語が、全国から、そんなにも!
いつもながら、表紙もかっこいいです。
誌名を手がけたのは大竹伸朗さんです。
Amazonでのおもとめは、こちら。
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「編集とは何か。」もくじ