若くして老舗の文芸誌『新潮』の編集長に
抜擢された矢野優さんは、
東浩紀さんの『存在論的、郵便的』をはじめ、
阿部和重さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』、
平野啓一郎さんの『日蝕』など、
いくつもの、個人的に思い入れの深い作品の
担当編集者でもありました。
矢野さんのようなすぐれた編集者は、
輝く才能を、どうやって見極めているのか?
矢野さんにとって「物語」とは?
編集とは「選んで、綴じる」ことであり、
それは脳と肉体が一体化したな営みだ‥‥等々。
とにかく、刺激に満ちた2時間でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。
矢野優(やの・ゆたか)
1965年生まれ。1989年、新潮社に入社。「
- ──
- 矢野さんの「編集者としてのよろこび」って、
どういうところにありますか。
- 矢野
- 日本の場合、
作家が特定の出版社と独占契約するケースは、
ほぼ、ありませんよね。 - つまり、いろんな出版社、いろんな編集者と
つき合うことになるわけですが、
そのなかで、
ひとつの作品を生み出すときの伴走者として、
自分を選んでくれたことが、
まずは、単純にうれしいことだと思ってます。
- ──
- なるほど。伴走者のよろこび。
- 矢野
- はい。ただ緊張感は、つねにあります。
- 前任者からのバトンタッチであったり、
自分から口説きに行ったり、
出会いのかたちはさまざなんですけど、
一度ご一緒してダメだと思われたら、
その関係性って、
次にはもうなくなってしまいますから。
- ──
- ダメだと思われてしまうのって、
たとえば、どういう点なんでしょうね。
- 矢野
- まあ、それはさまざまあると思います。
- 自分の文学を理解してないとか、
読者に届ける力がないとか、
単に、人として好かないとか。
- ──
- 人対人の部分も、大きいんでしょうね。
- 矢野
- つくる本のピントがずれているとかね。
- ──
- 作家さんとお話をしているうちに、
新しい小説の構想が
うまれることもあると思うんですけど。 - 物語が誕生する瞬間‥‥といいますか。
それって、どういう感じですか。
- 矢野
- 本当にケース・バイ・ケースですけど、
阿部和重さんの
『ニッポニアニッポン』という作品は、
とくに思い出深いです。 - ちょうど、阿部さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』
が、ヒットして少し経ったタイミングでした。
- ──
- それまでは、デザイナーだった常盤響さんの
「はじめて撮った写真」がカバーで、
まず、見た目からしてカッコいい作品ですね。 - 解説は、東浩紀さん。
- 矢野
- で、次の作品をやりましょうということで、
『新潮』の担当者とふたりで、
阿部さんのところに会いに行ったんですよ。 - それで、何かアイディアはありますかって
聞いたら、おもむろに、
「引きこもりがトキを逃がす話」と言った。
- ──
- おおお‥‥。
- 矢野
- それだけでわかるじゃないですか。
間違いなく、すごい作品になるということが。
- ──
- その一文を聞いた側にも、
物語がうまれちゃう感じ!
- 矢野
- ふたりで同時に仰け反るみたいな感じだった。
- その「引きこもりがトキを逃がす話」という、
そのアイディアだけで、
間違いなく
すごいものになるはず‥‥ということは、
『新潮』の担当者にも、
ぼくにもわかったんです。
- ──
- なにせ、引きこもりの少年が、
天然記念物のトキを逃がす‥‥んですものね。
- 矢野
- たとえば、コンラッドの『闇の奥』を
フランシス・フォード・コッポラが撮りますと。 - すごい映画になるということはわかりますよね。
もう、それだけで。
- ──
- 事実、『地獄の黙示録』がうまれた。
- 矢野
- 阿部和重という小説家が、
そのアイディアで物語を書くとしたら‥‥って。 - 考えるだけで、ぞくぞくしませんか。
- ──
- 作家さんとの関係にもよると思いますけど、
文芸の編集者さんも
執筆の途中で助け舟を出したり、
サジェスチョンをしたりとかしてますよね。
- 矢野
- そういうこともありますね。
- ──
- ぼくは、それがすごいなあと思うんです。
- 作家のクリエイションというひとつの世界に、
どう「介入」するのか‥‥。
- 矢野
- まず、話の前提ですけど、
作品を書く人は、もちろん小説家なわけです。
編集者は1文字たりとも書かない。 - ただ、つねに近いところにいて、
声をかけたり、手伝ったりしているんですね。
- ──
- 手伝う‥‥というと、わかりやすいことだと、
資料を集めたりみたいな。
- 矢野
- そういう仕事も、もちろん大切です。
- 伴走者って、ランナーと一緒に走るんだけど、
走っている人の筋肉は、
1ミリたりとも代行してないですよね。
でも、してないんだけど、
ランナーが走り抜くためのサポートはしてる。
- ──
- ああ、「走り抜くため」の。なるほど。
- 矢野
- やっぱり「助ける」という行為は、
人としてベーシックですけど重要なことです。 - 資料を、徹底して集めることもそうだろうし。
コミュニケーションを通じて、
作家に決定的なアイディアをもたらすことも、
たまにはあったりするだろうし。
- ──
- なるほど。
- 矢野
- 書くということは本当に大変なので、
作家が折れそうなときに声援を送ったりとか。 - 書き上がったあとには、
いったい何が生まれたんだろうということを
ディスカッションするのも、編集者。
- ──
- 作品を前にして。
- 矢野
- そう、感想からはじまるコミュニケーション。
- そして、その作品をどんな器に入れて、
社会へ向かって差し出すのがいいだろうって、
宣伝などのプランを相談して考えたり。
- ──
- それらすべてのことを「伴走者」として。
- 矢野
- もっと言うなら、
本文の行と行の間を何ミリにするかなんかも、
編集者が決めることですよね。 - ひとつの作品が出来上がるまでには、
編集のできること、やらなきゃならないこと、
それは、さまざまな面でありますね。
- ──
- そこまで関与してうまれた小説作品は、
当然ですが、「作家のもの」なわけですよね。 - そのとき、編集者として、
「作品がうまれてうれしい」という気持ちは、
どういうところにありますか。
- 矢野
- やはり新しい何かをうみだす人を手助けして、
物語や情報や概念に「かたち」を与える‥‥。 - それが「編集」なのだとしたら、
それって原始時代からあると思うんですよね。
- ──
- なるほど。
- その役割と、そこに対するよろこび‥‥とは。
たしかに大昔からありそうです。
- 矢野
- 文字のなかった時代にだって
「編集者的な役割」ってあったと思うんです。
比喩的な言い方になりますが。 - 何かのビジョンを表現しようとする人がいて、
その実現に向けてサポートしようと、
いろんな提案をしたり、
周囲の人に広めたり‥‥という役割の人って、
原始時代からいたんじゃないでしょうか。
- ──
- たしかに!
- 本じゃなくたって、いいんですもんね。
実現したいビジョンって。
- 矢野
- で、そういう行動とセットであるんですよ。
うれしい‥‥という感情は。
- ──
- なるほど、なるほど。
- でも、縄文時代に編集者がいた‥‥と思うと、
じつに愉快な感じがするなあ(笑)。
- 矢野
- ふだんの自分は、
きわめてリアルな目の前の問題だけに
集中しているので、
「編集とは何ぞや?」みたいなことは、
あんまり考えないんですけど。
- ──
- ええ。
- 矢野
- でも、ずいぶん前のことですが、
現代美術家の大竹伸朗さんの初のエッセイを
つくらせていただいたとき、
ちょっと、そういうことを思ったんです。
- ──
- 編集とは何ぞや‥‥ということを、ですか?
ぜひ、おうかがいしたいです。
- 矢野
- あのとき、大竹さんに、
デビュー以来の20年に書いたものの束を、
ポンと渡されたんです。 - 「これで本をつくろう」って感じで。
- ──
- おお‥‥。
- 矢野
- そのとき、編集のいちばんの核にあるのは、
ひとつには「構成」だと思ったんです。 - つまり、何を選んで、何を選ばないか。
- ──
- それが、編集‥‥の、大きな側面。
- 矢野
- そう。
- そして、選んだものを、どうならべるのか。
どういう構造で見せていくのか。
渡された原稿の束は、
さまざまな媒体に掲載されたものの集積で、
大きさも紙もバラバラだったんです。
- ──
- ええ。
- 矢野
- そこで、会社でいちばん大きな机のうえに、
ズラーッとそれら原稿を並べて、
深夜から朝までかけて、
すべてに目を通して、順番を決めたんです。 - で、最後に、
いちばんでっかいクリップで留めたんです。
- ──
- おお。ガシッと。
- 矢野
- その瞬間に「ああ、本ができた」と思った。
- ──
- クリップで原稿の束を留めた瞬間に。
- 矢野
- そして、自分にしてはめずらしく
「編集の本質とは、何か」みたいなことに、
思いをめぐらせたんです。 - つまり「選んで綴じることが編集」だって。
- ──
- 選んで、綴じること。それが、編集。
- 矢野
- そう。
- 綴じるのは羊皮紙でもいい、
なんなら、道に落ちてる「葉っぱ」でも、
それを編集者が「選んで、綴じ」たら、
それだけでオリジナルの本になると思った。
- ──
- 一文字たりとも、書かれていなくても。
- 矢野
- 文字さえ、いらないですよ。
- 出版社のつくる本は「複製品」ですけど、
すべての本には、
「オリジナル」が存在しているわけです。
- ──
- 大竹伸朗さんのエッセイで言えば、
20年もの間に書かれた原稿を精査して、
選り抜いて、順番を決めて、
クリップで留めた束にあたるもの‥‥が。
- 矢野
- 選んで、綴じて、その束をつくることが、
編集者の最重要な仕事なんだ、と。 - とくに「綴じる瞬間」が、重要なんです。
- ──
- というと?
- 矢野
- だって、「綴じたら、もうバラさないぞ」
「誰に何と言われようが、
フィックスなんだ」ということだから。 - そこに出版の意思が宿っているというか。
- ──
- 綴じる行為は、じゃあ‥‥慎重に?
- 矢野
- 乱暴に‥‥って感じかな。
- ──
- 乱暴に。
- 矢野
- うん、無数の可能性をひとつに限定して、
ジャンプするようなことですから。 - 選んで順番に並べるという行為が、
そこで「完結する」わけじゃないですか。
もう、あと戻りできないんですよ。
- ──
- 選んで、綴じる‥‥。
- 矢野
- そこが編集の根本だって思い至れたのは、
たぶん、それが、
肉体的な作業だったからでもあると思う。 - なにしろ「20年ぶんのテキスト」って、
頭の中だけで
整理できる限界を超えているんです。
一望するのにも、
まずもって「巨大な机」が必要だったし。
- ──
- 実際に「肉体に訴える必要」があったと。
本を「編集」するために。
- 矢野
- 脳と身体が、一体化した経験でした。
- ──
- このインタビューを続けていると、
いまみたいに、
身体とか肉体というものが、
その人の編集観に
抜きがたく関わり合っているんだなあと
感じることがあるんです。 - 編集とは正しく身体的な営みなのか‥‥
というか、
脳と身体はこうしてつながっているのか、
というか。
- 矢野
- 本当ですね。
- ──
- いまのお話って、
矢野さんが何歳くらいのときなんですか。
- 矢野
- 30ちょいくらいです。
- ──
- つまり、編集者になって
10年も経ってないころの「編集観」を、
いまだにお持ちなんですか。
- 矢野
- そうですね。
- いまは文芸誌をやっていて、チーム制で、
数多くの作家に
数多くの作品を書いてもらっていますが、
最後の最後は、
校了紙の束をみんなでチェックして、
クリップで留めているんです。
- ──
- やっぱり「選んで綴じて」で終わってる。
- 矢野
- だから、
いい感じのクリップとか選んでますよ。
- ──
- おお(笑)。適当なクリップじゃ、ダメ。
- それくらい気持ちを載せているんですね。
一種の儀式のような、神聖だけど乱暴な。
- 矢野
- 大きすぎても不格好だし、
でも、ちっちゃすぎたら、綴じられないし。 - 妙に硬いやつだと、
深夜にちから尽きてるときは、
なかなか、
クリップを開けられなかったりして(笑)。
(つづきます)
2021-10-12-TUE
-
応募総数2396篇!
最新の『新潮』は新人賞発表号
矢野優さんが編集長をつとめる
文芸誌『新潮』の最新号は、
第53回を数える新潮新人賞発表号です。
「小説の未来のために
編集部の総力をあげて取り組んでおり、
2396篇の応募作すべてを
検討する作業は
『業務』『損得』というより
『文学の営み』という感じです」
(矢野さん)
2396篇!
物語が、全国から、そんなにも!
いつもながら、表紙もかっこいいです。
誌名を手がけたのは大竹伸朗さんです。
Amazonでのおもとめは、こちら。
-
「編集とは何か。」もくじ