暮らしの中の小休止のように、
夢中になって没入できる編みものの時間。
ぎゅっと集中して、気がつけば
手の中にうつくしい作品のかけらが
生まれていることを発見すると、
満たされた気持ちになります。
編む理由も、編みたいものも、
編む場所も、人それぞれ。
編むことに夢中になった人たちの、
愛おしい時間とその暮らしぶりをお届けします。

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50歳を過ぎて見つけた“これが私”。 渡辺裕子さん

 
読者のみなさんが、
どんなふうに編み物に夢中になっているのか。
特別編「Miknitsとの個人的な記憶の記録」では、
愛用されているニットとともに思い出を聞きました。
特別編の最終回は山口県に住む渡辺裕子さんです。
祖母の姿からあこがれを募らせ、
50歳を過ぎて棒針編みに初挑戦。
海をバックにニットを着こなす様はとてもカッコよく、
大好きなものに囲まれている
渡辺さんの日々が映し出されています。

ご自身で編まれたセーターを着て。海の日差しとよく合うニットです。 ご自身で編まれたセーターを着て。海の日差しとよく合うニットです。

 
「セーターは海とわたしをつなげてくれる大切な存在。
三國さんの本と出会っていなかったら、
絶対に編めなかった」と渡辺さん。
海とセーターをテーマに、
ニットを見せてくださいました。

 
実家が本屋さんで、
両親はお店の仕事で忙しかったため
祖母が私の遊び相手でした。
普段着として着物を着るような
明治生まれのしっかりとした女性で、
背筋がしゃんとしている姿に
子どもながらあこがれていました。
今でも、年を重ねていくことを楽しみに思えるのは、
祖母の存在があったからだと思います。
手仕事が得意で、かぎ針編みに長けている人でした。
祖母から教わったのは花札とかぎ針編みです。
手取り足取り教えてもらうことは
ありませんでしたが、
祖母の編む姿を見ながら私も見様見真似で、
延々と鎖編みを編んでいましたね。
多感な時期に入ると、
多趣味だったこともあり
編みものからしばらく離れてしまいました。
50歳を迎えたころでしょうか。
なにか一つ、「これが私」と自信を持てるものが
あるといいなと思っていたときに思いついたのが、
編みものだったんです。
時間差ではあるのですが、
「海とセーター」の歴史について書かれた本を
目にしたことがありました。
そこには、アランニットは
別名フィッシャーマンズ・セーターとよばれ、
漁師たちの仕事着として活躍した歴史がまとめられていました。
網目の模様が家紋の役割を果たしていて
不慮の事故にあっても判別できること、
厳しい海風にも負けないタフなニットであること……
私自身、海が大好きで、
海にかかわる仕事をしていたこともあり、
海と編みもののつながりに運命的なものを感じたんです。
そして、編みものをはじめるなら
いいタイミングだと思いました。
かぎ針編みしかやったことがありませんでしたが、
本やYouTubeをみながら棒針編みを習得しました。
三國さんに出会ったのは、
大物にはじめて挑戦したとき。
それまで編みたいと思えるものがなかったのですが、
三國さんの本に載っていたニットに一目惚れして、
紺色のフェアアイルのニットを編みました。

 
私は、気に入ったパターンを見つけると、
同じものを色を変えたりすこし形を変えたりして、
いくつも作るのが好きなタイプです。
ゲージをとらないので、
指定の針と糸で編んでいくのですが、
手の加減で思い通りの形にならないことがほとんど。
グレーベースで一度編んで、始末がうまくいかず、
納得できなかったので2枚目を編みました。
2枚目が完成したとき、感動しました。
「わあ、私でも編めるんだ」と。
これは言い切れるのですが、
私は三國さんの本でなかったら編めなかったと思います。
初めての人にもわかりやすいように
とても親切に説明してくださっていて、
編み図が美しいのでそのまま編めばいいだけ。
しかも、着たくなるデザイン、というのが
私が編みものを続けるうえでとても大事なことでした。
80歳の母も「かわいい!」とよろこんでくれますから、
世代を越えて着られる作品だと思います。

 
そこからは、一気にハマっていきまして、
編み始めるともう止まりません。
家族のお弁当をつくる前に一段だけ編もう、と
思って棒針をとったら永遠に終えられない(笑)。
50歳を過ぎて、こんなに夢中になれるものに
出会えるとは思っていませんでした。
次に、アランのカーディガンを編みました。
娘がセイリングの選手で、
海に出る機会が多くなったことで、
フィッシャーマンズセーターの話を思い出したんです。
漁師が荒れた海に出ていく時代の様子とは違いますが、
やっぱり海には怖さがつきもので、
娘も風速何十メートルのところに船で出ます。
「無事に帰ってきてね」という思いが常にあり、
私は娘と一緒に海に行くことはできないけれど、
思いを託す意味でセーターを編みたいと思ったとき、
三國さんのアランセーターの作品を見つけました。
アランのカーディガンは、
最初に編んだ赤いものは私が着るには小さくて、
手の加減と針を変えてもうひとつ編みました。
赤いニットは小柄な母に贈りました。

 
娘は、日々ハードな練習を続けています。
危険と隣り合わせの状況でも
海に送り出さなきゃいけない日々はストレスで、
考え込んでしまうこともありますが、
編んでいると目の前のことに集中できるんですね。
私にとって、編むことは癒しです。
ウール100%でしか編まないのですが、
毛糸の手ざわりが心地よくて
触っているだけでも気持ちが楽になっていくんです。
そこに、三國さんの作品世界が合わさると完璧。
作品の背景には三國さんの知識や思いが
たっぷりと込められていて、
その世界観にときめく気持ちが
遠くまで連れて行ってくれるような気がします。
すこし、勉強のために他の方の作品も編みましたが、
ほとんど三國さんの作品しか編んでいません。
自慢げに着ていますよ、
「これは私が編んだのよ」って(笑)。

 
余談ですが、震災があった2011年の秋に、
山口県で国体がおこなわれました。
私もセイリングの競技の準備に携わっていましたが
開催できるか危ぶまれるような状況で、
しかも、宮城県の選手たちは
ヨットが津波にやられてしまっていました。
震災当時、テレビで間接的に見ていただけですが、
海のあまりの変貌ぶりにショックを受けて、
私自身とても辛くなってしまい……
テレビの前でずっと、ずっと、泣いていました。
ただ、娘を練習のために海に連れて行かねばならず、
私のそんな姿を見ていた当時中学1年生の彼女が
「津波がきたら、私は死ぬ?」って聞いたんです。
私は、死なないとは言いきれないと思いました。
海に出たら助けに行くこともできないから、
行く、行かないは自分で決めていいよと娘に伝えたのですが、
彼女はそれ以来ずっと海に出ています。
いろんな思いを抱えながら国体を開催したこと、
娘との会話、当時の記憶が忘れられず、
ニットに願いを込める理由になっていると感じます。

 
娘のサポートといっても
編むことしかできないのですが、
編むことで彼女の競技とつながっている気がします。
レース競技はどれだけ頑張っても
結果が出ないこともありますが、
編みものは編み図さえ間違えなければ必ず完成する、
という安心感があります。
複雑で遠いつながりですが、
セーターは海と私をつなげてくれる大切な存在。
だから、私はこんがらがった糸をどうしても切れなくて、
一つひとつほどいています。その時間がとても好きです。
時間はかかりますが、からまった糸がほどけて一本になると、
些細なことも諦めず続けると
次の一歩につながるんだよ、と
編みものに教えてもらっているような気がします。

(特別編は終わります。ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。)

写真・川村恵理

2024-05-31-FRI

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