1977年に作家デビューして以来、
数多くの人気小説を世に出してきた
夢枕獏さん。
がんの闘病を経て、作家活動を再開。
平安時代を舞台に陰陽師・安倍晴明が活躍する
『陰陽師』の連載も40年近く続けており、
シリーズ発行部数は700万部を超えました。
2024年4月には同作を原案にした
映画『陰陽師0(ゼロ)』が公開。
2024年は大河ドラマ『光る君へ』(NHK)にも
安倍晴明が登場し、
「令和の呪術ブーム」にも影響を与えています。
晴明を歴史上の人気スターに推し上げた獏さんに
その魅力と物語の作り方を
語っていただきました。
夢枕 獏(ゆめまくら・ばく)
1951年神奈川県小田原市生まれ。
1977年、タイポグラフィック作品
「カエルの死」でデビュー。
1982年、『幻獣少年キマイラ』(キマイラシリーズ)、
1984年、『魔獣狩り 淫楽編』(サイコダイバーシリーズ)を
刊行し、伝奇小説の新たな旗手となり、
ベストセラー作家に。
1986年、『陰陽師』を連載開始。
1989年、『上弦の月を喰べる獅子』で日本SF大賞を受賞。
1998年、『神々の山嶺』で柴田錬三郎賞を受賞。
2011年に『大江戸釣客伝』で泉鏡花文学賞、
舟橋聖一文学賞。
2012年に同作品で吉川英治文学賞を受賞。
2017年、第65回菊池寛賞を受賞。
2018年、平成30年春の褒章において紫綬褒章受章。
近著には『陰陽師 烏天狗ノ巻』、『仰天・俳句噺』、
『白鯨 MOBY-DICK』などがある。
聞き手、ライティング/小田慶子
編集/かごしま
- ──
- 『陰陽師』をはじめ安倍晴明が登場する
小説や漫画が人気で、
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)にも安倍晴明が登場し
呪術を使っています。
「令和の呪術ブーム」とも言えるこの機会に、
呪術とは何か、
そして晴明が使っていた「式神」とは何かについて、
うかがいたいです。
小説では、藤の花の精である蜜虫(式神)が人の姿になり、
お酒を運んで来たり、外出に同行したりしますね。
- 夢枕
- そうですね。どちらもずっと描いてきた題材だけれど、
「式神(しきがみ)」については、
最近、面白い考察にたどり着いたんですよ。 - 式神とは何を意味しているのかというと、
まず、昔からの古典的な解釈としては、
晴明の屋敷から近い「一条戻り橋」(京都市上京区)
という堀川にかかる橋に、
晴明が十二天将を隠しておいて、
使うときに呼び出していたと言われています。
それが式神だという説。
- ──
- その一条戻り橋は安倍晴明神社と共に、
晴明ファンの聖地巡礼スポットになっていますね。
- 夢枕
- それから「式神」の「式」は
「使役」するという意味にも取れるので、
「使う神」と考えるのが
現代的には一番納得できる解釈になるんだろうけれど‥‥。 - 私はね、資料を集めながら小説を書くうちに、
「式神」は「宿神(しゅくじん)」、
つまり「摩多羅神(またらじん)」と呼ばれている
縄文の神ではないかと考えるようになったんですよ。 - 室町時代、
世阿弥の娘婿である金春禅竹(こんぱるぜんちく)が
「宿神とは摩多羅神」と書いた本があります。
では、摩多羅神というのは何かというと、芸能の神さま。
だから世阿弥が大成した猿楽、能も、
その神様の前で演じる。
能では摩多羅神は「翁(おきな)」という面で
演じられるものに当たるそうなんです。
- ──
- 能にはその名もずばり「翁」という演目がありますし、
能面でも翁面は代表的なものですね。
- 夢枕
- そこで、ですよ。
この私の入手した翁面は、
鼻が曲がって顔が歪んでいるでしょう。
これは室町時代の狂言のお面で「うそぶき」と言うんです。 - 皆さんが知っている別名は「ひょっとこ」ですね。
この顔の歪んだ翁面が、調べてみると、
人類の起源であるアフリカからシルクロードを通って
伝わってきたんじゃないかと。
アフリカでも、インドネシアでも、
そしてアラスカまで同じ顔のものが見つかるんですよ。 - どう? そっくりじゃないですか。
- ──
- たしかに、鼻の曲がり方や額のしわなどが、
同じに見えます。
- 夢枕
- これはもう、偶然ではございません。
- 「摩多羅神とはなんぞや」ということを考え始めたのは、
昔、文化人類学者の中沢新一さんと一緒に
比叡山に行ったときから。
延暦寺の常行堂のご本尊は阿弥陀如来なんだけれど、
その後ろ戸に摩多羅神が祀られていると聞いてから、
折に触れて考えてきたんですね。 - 摩多羅神とは、
古代ギリシャ以前のミトラ神とも考えられるし、
それがこの何千年かの間に
日本まで伝播してきたどこかの段階で
摩多羅神になったのではと‥‥。 - クレタ島のミノタウロスがマレビト、スサノオを経て
摩多羅神になったとも考えられるし、
ミトラ神やミノタウロスのように
牛に関連があると考えると、
午頭天皇(ごずてんのう)や須佐之男(すさのお)も
その仲間。こういうことを調べていると、
時間がいくらあっても足りない(笑)。
- ──
- つまり‥‥ファイナルアンサーとしては、
式神とはなんだったのでしょう?
- 夢枕
- アフリカから伝わって、
いろんな土地を経ながら名前を変えたり性質を変えたり、
伝承上でいろんな経験をさせられながら渡ってきたのが、
摩多羅神で、宿神(しゅくじん)、つまり式神。 - それが平安時代の日本で晴明に捕まって、
式神としてうまく使われたんじゃないかなと思いますね。 - この仮説は歴史学の研究者にも話していて、
そんなに外れてないだろうと思うけれど、
学者はそう考えても、きちんと証明できなければ言えない。
私は小説家なので自由に言えるんですよ。
学者の方からは「獏さんはいいですね」と
ちょっと皮肉混じりに言われるときがあります。
- ──
- 生き生きと目を輝かせながら話してくださいましたね。
今のお話のようなことを調べている時間というのは、
小説の執筆作業より楽しそうですね。
- 夢枕
- そう、楽しくて、つい資料に淫(いん)してしまう。
そこに没頭していると、小説は書けない(笑)。 - この仮説については、もうこれだけ調べると、
スケールが広がりすぎてしまったし、
物語にしたら、ごちゃごちゃになっちゃうので、
小説で書くことはあきらめました。
今度、雑誌に歴史エッセイのような形で連載する予定です。
- ──
- 今、少年漫画のヒット作も含め、
人を呪う、呪われる、それを祓うという
おどろおどろしい物語が読まれているのは、
現代の社会に不安が満ちているからなのでしょうか。
- 夢枕
- インタビューを受けると、
「社会不安があるので、
みんなが『陰陽師』のような物語を
求めているんですかね?」
とはよく聞かれるんです。 - そこで「そうです」と言えば収まりはいいけれど、
私は単純に物語が面白いからだろうと思いますね。
現代の人が呪詛だとか呪術だとかそういうものを
欲しているのではと考える人もいますが、
そういう側面は作品の人気には
あまり関係ないんじゃないかな。
- ──
- たしかに、『陰陽師』を読むときも、
暗い気持ちで入り込むというより、
小説の世界に行って気分転換ができて、
ワクワクしながら読んでいるような気がします。
- 夢枕
- それこそ平安時代のような昔なら、
心の中に不安がある場合、本物の陰陽師に
助けを求めるんですよ。
だから現代も同じで、不安があれば、そちらへゆく。
この人気はみんな単純に
面白い物語を求めているからであって、
現代の不安とはあまり関係がないような気がします。 - 呪術にまつわる小説、漫画、アニメーションも、
たぶんその作品が面白いから売れているはず。
「社会的な不安」って、便利に使われることもあって、
現代でなくても、どんな時代でも成立する言葉なんです。 - 38年前、私が陰陽師を書き出した頃からずっと、
「今は社会的に不安だから」と言われてきた。 - でも、今も昔も、社会不安というものは変わらずにあるし、
決してゼロにはならない、消えないと思いますよ。
逆に社会から不安がなくなったら、おかしいでしょ。
そんな社会。
これまでの歴史上、
不安のなかった社会などなかったわけですから。
- ──
- では、現代における「呪(しゅ)」とはなんでしょうか。
- 夢枕
- それは一番シンプルな言い方をすると、言葉。
言葉には力があって人を殺すことができるんですよ。 - 例えば、チベットには他人を呪って殺せる呪術師がいる。
おそらく医学的には
プラシーボ(偽薬)効果の逆のようなことで、
力があると信じられている呪術師に
「お前を呪ってやる」と言われたために、
本当に呪われたと思い、
病気になって死んじゃうんだと思うんですが‥‥。 - 日本でもSNSとかで、
「死ね」とか「お前は生きる資格がない」とか
「なんで生きているんだ」とか
他人を攻撃することがあるでしょう。 - これはもう確実に「呪(しゅ)」をかけているわけですよ。
いっぱい言葉を書くことによって、
書かれた人が心を病んで死んでしまう。
- ──
- メッセージアプリでのいじめとかもありますし、
文字や言葉で攻撃される恐ろしさというのは、
インターネットが普及した今、
かえって強くなっているかもしれませんね。
- 夢枕
- それはまさに呪われて死んだということと、
完全にイコールでしょう。
だから、言葉とか物語というものは必要だけど、
時には人を死に至らしめる怖いものだろうという話ですね。
(つづきます)
2024-08-01-THU