こんにちは。ほぼ日の永田泰大です。
オリンピックのたびに、
たくさんの投稿を編集して更新する
「観たぞ、オリンピック」という
コンテンツをつくっていました。
東京オリンピックでそれもひと区切りして、
この北京オリンピックはものすごく久しぶりに
ひとりでのんびり観戦しようと思っていたのですが、
なにもしないのも、なんだかちょっと落ち着かない。
そこで、このオリンピックの期間中、
自由に更新できる場所をつくっておくことにしました。
いつ、なにを、どのくらい書くか、決めてません。
一日に何度も更新するかもしれません。
意外にあんまり書かないかもしれません。
観ながら「 #mitazo 」のハッシュタグで、
あれこれTweetはすると思います。
とりあえず、やっぱりたのしみです、オリンピック。

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13 ビッグエアとパシュート

ふたつのハグ。

 
ふたつのハグが忘れられない日になった。
ほかにもいろいろあったけど、
ふたつのハグが忘れられない日になった。
ひとつ目は、午前中の青空の下、
スノーボード女子ビッグエア決勝でのこと。
村瀬心椛選手の銅メダルももちろんすばらしかったし、
負傷を乗り越えて飛び続けた
鬼塚雅選手も尊敬せずにいられない。
けれども、驚かされ、興奮させられ、
そのあとの場面でポロポロ泣いてしまったのは、
岩渕麗楽選手の最後のトライだった。
女子ビッグエアの決勝は3本をすべり、
そのなかの得点が高い2本の合計点によって順位が決まる。
岩渕選手は決勝の2回を終えたところで4位につけ、
最後の3回目は逆転をかけて、
大技を仕掛けることが予想された。
つまり、岩渕選手が難度の高いトリックに
チャレンジすることは予想されていた。
具体的にいうとそれは
ダブルコーク1260だと思われていた。
十分に逆転が可能な技だ。
しかし、岩渕麗楽選手は、空中で縦に3回まわった。
アナウンサーは動揺して声を上ずらせた。
それはまだ女子選手が誰も飛んだことのない、
斜めの軸で後方に3回まわる技、
トリプルアンダーフリップだった。
「この技を持っていました!」とアナウンサーは叫び、
「練習でも一度もやってなかった」と解説者は驚いた。
世界中が驚くチャレンジは
あとすこしというぎりぎりのところで惜しくも着地を乱し、
大逆転はならなかった。
しかし会場では甲高い歓声がしばらくやまなかった。
声をあげていたのはギャラリーではなく、
そのチャレンジの意味を
いちばんわかっている選手たちだった。
滑り降りてきた岩渕選手は失敗に頭を抱えたが、
ゴーグルをはずしたその顔は
ちょっと照れたような笑顔だった。
ぼくはもう、その笑顔だけで泣きそうだったが、
そこにゼッケンをつけたライバルたちが、
どんどん駆け寄ってきてハグの輪ができたから、
昼間からポロポロ泣いてしまった。
選手のチャレンジを、勝敗を超えて讃え合う、
このすばらしい文化に呼び名はあるのだろうか。
試合後のコメントで知ったことだが、
この技を雪山で試みるのははじめてのことだったそうだ。
岩渕選手は4年前のビッグエアで4位に終わっている。
あとすこしでメダルを逃した4年前の悔しさが、
1260ではなくトリプルにチャレンジさせたのだろう。
ミックスゾーンでのインタビュー、
岩渕選手は選手たちからつぎつぎに声をかけられ、
しばらくインタビューがはじめられない。
やがてまだ興奮の残る笑顔のままマイクに向かったが、
「また4位になってしまって」と言った
自分のことばトリガーになって、
急に悔しさがかたまりで押し寄せてきた。
岩渕選手はことばに詰まり、顔をおおってしばらく黙った。
なによりもその沈黙が彼女の内面の混乱をぼくらに伝えた。
またしてもメダルではない場面が観るものの心に刻まれる。
手に入らない悔しさ、
手に入らないのに感じる清々しさ。
やれることはやったという誇らしさ、
やれることはやったけど届かなったという悔しさ。
なんというかそれは、
その瞬間でしか得ることのできない純粋な混乱で、
いいのかわるいのかわからない感情の波が
観ているぼくらにも押し寄せる。
しかし、いま、それ全体を
肯定的に受け止めることができるのは、あのハグのおかげだ。
あのすばらしいハグの輪のおかげだ。
もうひとつのハグは、
スピードスケート女子団体パシュートだった。
ああ、書かなきゃ。
4年前の平昌オリンピックで
見事に金メダルを獲得したこの競技に、
日本は4年前とまったく同じ布陣で臨んだ。
高木美帆選手、高木菜那選手、佐藤綾乃選手。
個々の実力も3人の連携の精度も高まり、
金メダルが確実視されていた。
いや、違うな。
「金メダルが確実視」なんていうフレーズは、
メディアが表現を便利にするためにつくった
印刷の熨斗紙みたいなツールに過ぎない。
そもそもメダルが確実であることなんてない。
最終ラップに入るまで、
日本の3人はリードを保った。
最終ラップの最終コーナーに差し掛かり、
あとは最後のストレートで力を振り絞るだけだった。
行け、とみんなで叫びたかった。
スピードスケートの転倒に独特の切なさがあるのは、
絶望に包まれた選手が自分の運動を
止めることができないからだ。
美しいフォルムをもった
研ぎ澄まされたアスリートたちが、
絶対に不本意な姿を晒したまま、
なすすべなく直線運動を続ける。
せめて壁に叩きつけられる以外の方法で
それが終わればいいのにとぼくは思う。
直後に、叫んだり、おどけたり、地面を叩いたり、
失敗をじぶんで表現できればいいのに。
ゴールの場面はあまりよく憶えてなくて、
気がつくとコースの縁に選手たちが呆然と腰掛けている。
4人目のメンバーである押切美沙紀選手が
泣きじゃくる高木菜那選手の肩に手を置いている。
高木菜那選手と背中合わせになる位置に
上着の脱いだ佐藤綾乃選手がやってきて座り、
しばらく正面を向いて座っていたが、
やがて振り返るように身体をひねって、
高木菜那選手の背中をさする。
高木菜那選手の右横に座っている
高木美帆選手はなにもしない。
なにもしないでいいのは、姉妹だからだ。
へんな言い方だけど、姉妹でなければ、
かならずなにか言わなければならなかっただろう。
姉妹でよかったな、とぼくは思った。
いや、ちっともよくはないんだけど、
でも姉妹でよかったとぼくは思った。
どんなに悲劇的な状況でも
選手は会場を去らなければいけない。
それは昔、ぼくが高校野球の地方予選を
取材したときに知ったことだ。
どんな感情が押し寄せようと、
選手はその会場を去らなければいけない。
高校野球の最後の夏が終わって
部員全員が泥だらけで泣いているときも、
つぎの試合のためにベンチを空けなくてはいけない。
選手は泣きじゃくりながら、
道具を片付けなくてはいけない。
手分けして掃除しなくてはならない。
ヨハン・デビットコーチがやってきて、
座っている4人に声をかける。
4人は立ち上がり、輪になる。
レース前にも同じ円陣を組んでいたから、
このチームの儀式なんだと思う。
4人とコーチは肩を組む。
何度も何度もこの円陣を組んできたのだろうと思う。
いつもどおりの円陣は、
いつもと違うほどけかたをする。
真ん中で高木菜那選手が泣きじゃくり、
みんなが肩をなでる。頭を撫でる。背中を叩く。
高木美帆選手が
高木菜那選手の腰に手をおいたのは
とても短い時間だった。
その短い時間だけで、十分だったのだと思う。
輪がほどけたとき、
高木菜那選手を抱きしめたのは、
4人目のメンバー、押切美沙紀選手だった。
押切美沙紀選手は、わかりやすくぎゅうっと、
高木菜那選手をハグした。
そして選手は会場を去る。
バッグを持って移動しなくてはいけない。
え、もう? というタイミングで
セレモニーもはじまる。
オリンピックのそういうところってさ、
ちょっと段取りがよすぎるよな。
昨日の忘れられないふたつのハグを書き終えて、
ぼくにはこの原稿をまとめることばがない。
というか、まとめずに、あのふたつのハグを、
身体の芯のところにじっと持っておきたい。
冬の寒い日の帰り道で買った
ポケットのなかの缶コーヒーみたいに。
さあ、気がつくと今日は13日目です。
17日間の大会の、13日目ですよ。

(つづきます)

2022-02-16-WED

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