こんにちは。ほぼ日の永田泰大です。
オリンピックのたびに、
たくさんの投稿を編集して更新する
「観たぞ、オリンピック」という
コンテンツをつくっていました。
東京オリンピックでそれもひと区切りして、
この北京オリンピックはものすごく久しぶりに
ひとりでのんびり観戦しようと思っていたのですが、
なにもしないのも、なんだかちょっと落ち着かない。
そこで、このオリンピックの期間中、
自由に更新できる場所をつくっておくことにしました。
いつ、なにを、どのくらい書くか、決めてません。
一日に何度も更新するかもしれません。
意外にあんまり書かないかもしれません。
観ながら「 #mitazo 」のハッシュタグで、
あれこれTweetはすると思います。
とりあえず、やっぱりたのしみです、オリンピック。

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14 テレビ観戦

ひとりでオリンピック。

 
オリンピックファンは
テレビを観ながら応援しているので、
基本的に、ひとりである。
あっ、あなたのことを
ぼっちだと揶揄しているわけではありません。
でも、基本、ひとりですよね?
昔から家族でオリンピックを観ているという
一家でワイワイなタイプは別として、
だいたいは家族のなかにあってさえ、
ひとりで静かに熱狂している人が多いのではないか。
そもそも、オリンピックといえば時差である。
ここ3大会が日本と時差のほとんどない
アジアで開催されているから忘れがちだが、
オリンピックといえば
深夜まで眠い目をこすりながら観戦したり、
夜明け前に目覚ましをかけて起きて観て
そのまま起きていようと思ってたのに
うとうとしてハッと起きて
「もうめちゃくちゃだよ」とか思いながら
会社行ったりするのがふつうである。
ああ、なんか、懐かしいなあ、時差。
そういう状態でオリンピックファンどうしは
物理的につながりようがない。
夜になったら寝るんです。
夜になったらひとりでオリンピックを観るんです。
というか、そういうふうに、
「部屋でひとりで内面的に盛り上がる」のって、
じつはとてもたのしいし、
そのひとりの心のなかの熱情こそが、
オリンピックを観ることの正体なのかもしれない。
そういう意味で、ひとりですよね、基本。
だから、まあ、ぼくはこの有様だから
明らかにそれと認識されているわけだけれども、
自分が熱心にオリンピックを観ているということを
周囲に知られていない人って
じつはけっこう多いのではないかと思う。
あるいは、とてもライトな感じで、
羽生くん残念でしたね、ええそうですね、
くらいの感じで認識されてるとかね。
ほんとは
「いやあれってメダルがとれなかったら残念とか
そういうことじゃなくってクワドアクセルにしたって
認識されただけでもとんでもないことで」と
どんどん行きたいところだけど、
もちろん言わずにのみこんでニッコリ笑って
「でも、銀と銅がとれてすごかったですね」
って返したりするような、そんな感じ。
夕方からの競技を集中して観るために
日中の仕事を早めにてきぱきと片付けて
観ながら食べられるような夕食と
観ながら食べられるような軽食を準備して
どかんとテレビの前に座るあなたを
知らない人が多いのではないか。
誰も知らない知られちゃいけないのではないか。
テレビとスマホとPCを駆使して
オリンピックをマルチに観戦しているあなたを
誰も知らない知られちゃいけないのではないか。
渡部といえばアンジャッシュではなく暁斗なあなたを
誰も知らない知られちゃいけないのではないか。
いや、だからどうだということではないのですが、
昨日はカーリングのアメリカ戦はあったものの、
メダルをかけた大勝負、みたいな試合が少なくて
わりとのんびりと観戦していたので、
妙にそういうことを思ったんです。
もっと具体的にいうと、
アメリカ戦のはじまりを待っているとき、
バイアスロンとかカーリングの
録画放送なんかをのんびり眺めていたら、
急に「はっ!」としたんですよ。
「いま、俺、なんか大事な競技の
すごい瞬間を見逃してるんじゃない?」って。
で、慌てて番組表を確認したり、
Twitterの動向をチェックしたりして。
まあ、大丈夫だったんですけど。
みんな同じようにのんびり観戦だったんですけど。
そのときに感じたイメージが、
「みんなが集まってるところに慌てて駆けつける」
ような感じだったのがちょっとおかしくて。
この、ひとりなんだけど、ひとりじゃないという、
不思議な連帯感がオリンピックだよなあと思ったんです。
観ているのはテレビの前の私だし、
盛り上がってるのは私の内面だし、
鼓動が速まるのも手に汗握るのも
思わず涙腺がゆるむのも不条理だと憤るのも
私ひとりのなかのことだとわかっているけれど、
でも、たしかにいま、この瞬間、
私以外も同じものを受け止めているのだとわかる。
それが相互に感じられる。
なんなら、私のこのいまの内面も、
遠くの誰かに作用しているのだと錯覚する。
そんなふうに感じることはありませんか。
まあ、いまはSNSがあるから、
そういう「いまのひとりの内面」も
リアルタイムで共有できちゃうわけですが、
TwitterもInstagramもなかった何年か前も、
ひとりどうしの共感覚ははっきりとあった気がするんです。
オリンピックという焚き火が
ひとりひとりの部屋を暖めているような、
セントラルヒーティングなイメージ。
それってSNSがなくてもわかるものだった。
思えば、自分が情熱を注ぎ込む趣味って、
すべてそういうものなのかもしれない。
まずはひとりであったほうがむしろ心地よくて、
私というひとりをこんなに熱狂させるものが
ほかの誰かにも作用しないわけがないと確信できて、
だからこそみんなが同時に
体温を上げるようなチャンスを逃したくない。
そんな感じがしませんか。
さあ、今日は、トピックの多い日ですよ。
カーリングの予選突破が決まるスイス戦があるし、
高木美帆選手と小平奈緒選手の1000メートルもあるし、
坂本花織選手がフィギュア女子フリーもあります。
オリンピックの炎が
ひとりひとりの部屋を明るく照らし
ひとりひとりの心を熱く燃え上がらせる日です。
あっ、聖火って、そういうことなのか。

(つづきます)

2022-02-17-THU

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