国内最大級のクラウドファンディングサービス
「CAMPFIRE」の創業者、
家入一真さんに、糸井重里が会いに行きました。
「現代の駆け込み寺」を目指すシェアハウス「リバ邸」や、
誰でも簡単にネットショップを開設できる
「BASE」の共同創設など、
「CAMPFIRE」以外にも
次々とユニークなサービスを生み出し続ける家入さん。
「ちょっと、近いところがあると思っていました」
そんな糸井の言葉から始まった対談は、
さまざまなアイデアをかたちにしてきた、
ふたりの「社長」の言葉が交わされます。
共鳴し合うのかと思いきや、
じわじわと浮かび上がる、「まるで違う部分」。
まさにそこにこそ「家入さんの根っこ」が待っていて、
とても面白いのです。
「絶対うまくいかない」と、
「それ、お前にしかわかんないよ」と、
何度も言われながら、ここまでやってきた。
全5回でお届けします。

>家入一真さんプロフィール

家入一真(いえいりかずま)

1978年生まれ。国内最大級のクラウドファンディングサービス、CAMPFIREの創業者。「paperboy&co.」創業、「BASE」共同創業、「リバ邸」創設など、数々の事業を手掛ける連続起業家でもある。2014年には政治団体「インターネッ党」を立ち上げ、都知事選に出馬したことも。

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第1回 インターネットだけが、居場所だった。

糸井
今回の対談は、知人から
「家入さんに会ったことありますか」と言われて、
「ないんだよねえ、そういえば」
と答えたところからはじまってるんですけど。
僕はもともと、
家入さんがやってきたことの「わけのわかんなさ」って、
ちょっと自分に近いところがあるなと思っていたんですよ。
家入
あ、ほんとですか。うれしい。

糸井
というのも、実はほぼ日が『前橋ブックフェス』という、
「家で眠ったままになってる本を持ち寄って、
当日、みんなで自由に持ち帰ろう」という
「本のフェス」をやったとき、
「人から集める」という構造も含めて、
「CAMPFIRE」を参考のひとつにしていたんです。
家入
へえー! そんなことが。
糸井
ブックフェスもそうなんですけど、
僕は「競争に勝てること」というより、
「社会が納得する説明はしにくいけど、
やったほうがいいと思うこと」をやりたい人間なんですね。
で、家入さんがCAMPFIREを始めたときも、
まさにそういう「わけのわからなさ」を感じていたんです。
可能性があるのはわかるんだけど、
「実際どうやったらうまくいくんだろう」というか、
ある意味では「よくやるな」という目線で、横目で見ていて。
だから、クラウドファンディングが
今みたいに広がっていくことを、
家入さんはあの時点でどのくらいわかってたんだろうと、
とても興味があって、今日はお話ししてみたかったんです。
CAMPFIRE以外にも、全体的にそういう
「社会が簡単に納得しにくいこと」を
おやりになってきてる方なんで、
もちろん、きっと失敗もあったでしょうし。
家入
はい、たくさん。失敗もあります。
糸井
そうですよね。
僕の「わけのわかんなさ」より
家入さんの「わけのわかんなさ」のほうが本物だよって、
ずっと言ってたんですけど。

家入
いやいやいや(笑)。
むしろ、僕のほうがもうほんとうに、
ずっとお会いさせていただきたいって思っていて。
あの、糸井さん、けんすう君と対談されてますよね。
糸井
あ、けんすう君。はい。
家入
彼は僕のひとつ下の世代の経営者で、
仲良くしてくれてる後輩なんですけど、
彼が糸井さんと対談してるコンテンツを読んで
「なんか‥‥ずるい」って思ってました。
なので‥‥はい。今日はとてもうれしいです。
糸井
あの、今日はお話ししてみたいことが
いろいろあるんですけど、やっぱりまずは、
「クラウドファンディングをやろう」と思ったところから、
お聞きしていいですか。

家入
そうですね。CAMPFIREはもともと、
「クリエイターやアーティスト向けの、
支援を募るプラットフォーム」をつくろう、
ということで始めたサービスで、
2010年の後半から準備をしていたんです。
そして実際に立ち上げたのが2011年の4月、
東日本大震災の直後だったんですね。

震災ってやっぱり‥‥
全ての人が無関係でいられない出来事だったというか、
僕自身、価値観をすごく変化させられた出来事で、
「クラウドファンディングの本質って、なんだっけ」
というところからもう一度自分たちに問い直そう、
みたいな始まり方をしたんです。
糸井
ああー。
家入
やっぱり震災は、「地域の課題」というものが
ものすごく浮き彫りになったタイミングだと思っていて。
人口減少だとか、地域の経済だとか、
今では当たり前に言われるようになったいろんなものが、
一気に浮かび上がったのがあそこだったのかなと。
そんな時代に「クラウドファンディングをやる意味」を
考えたとき、僕は、クラウドファンディングというのは、
「名もなき個人が小さいお金を調達できる」、
ここに本質的な意味があると思ったんです。
糸井
「名もなき個人」。

家入
たとえば、
定年退職したあとにバンを買って
ホットドック屋さんをやりたいとか、
古民家を改装してカフェをやりたいとか。
そういう、名もなき個人の方々の
小さなチャレンジを支えることができる
「新しいお金の流れ」を、
日本中のいろんな地域でつくることが、
クラウドファンディングの本質だと。
どうしてもクラウドファンディングって、
大きな金額を集めたとか、
たくさんの人たちに支援されたとか、
そういうことがニュースになりがちで。
もちろんそれも素晴らしいことなんですけど、
ニュースにもならないような小さな金額だけど
それで何か声をあげることができたとか、
そういうことのほうがサービスの本質だと思って、
今でも僕らはやっているんです。
糸井
家入さんは、「みんなが使える道具」を
つくるのが好きなんですね、きっとね。
家入
ああ、そうです。本当に。
それはたぶん、僕が中学2年生のときからずっと
引きこもりをしていたことが関係していて。
糸井
うん。

家入
学校にいけなくなってしまって、ずっと家にいた時期、
自分がつくったホームページに
知らない人がコメントをくれたりとかしていて、
そのことに本当に‥‥感動を覚えて。
社会との接点が完全に断絶されていたなかで、
インターネットだけがぼくの「居場所」だったというか、
「こんな福岡の片田舎で、
学校にも行けない、何の声もあげられない人間でも、
インターネットでは知らない人たちが応援してくれたり、
つながっていったりすることができるんだ」っていう、
そこに「居場所」を感じて生きていけたことが、
すごく自分の原体験になってるんですね。
それもあって、インターネットの本質というのは
「声をあげたくてもあげられない人が、声をあげられる」
ところにあると僕は今でも考えているんですけど、
「クラウドファンディングをやる意味」を
考えたときにそこに立ち返ることができたのは、
じつは、糸井さんが書かれた
『インターネット的』という本がきっかけなんです。
僕はもう、『インターネット的』の申し子‥‥
というと変ですけど、教え子、みたいなところがあって。
あの本が出されたのはもう、23年前とかだと思うんですけど。
糸井
2001年とかに出たんじゃないですかね。
家入
そうです、そうです。
『インターネット的』には
そうしたインターネットの本質が、
その時点で、ほんとに全部書かれていて。
僕が最初に「paperboy&co.」という会社を
立ち上げたのがちょうどそのころで、
21歳ぐらいのときだったんですけど、
その会社は、個人向けのレンタルサーバーとか
ECサイトを構築できるカラーミーショップみたいなものを
誰でも簡単に作れるよっていうサービスを
作っていたんですけど、たぶん僕はずっと、
「インターネットを通じて声をあげられる人が増えていく」
ということによころびを感じていたんです。
当時はそこまで深く考えてなかったんですけど、
これまで作ってきたサービスが全部そういった、
「声をあげたい人のためのプロダクト」だったということに、
『インターネット的』を読み返して、改めて気づいて。
糸井
はあー、そうでしたか。
家入
だから本当に、糸井さんにはずっとお会いしたかったんです。
今でも定期的に読み返す、数少ない本なので。

(つづきます)

撮影協力:コードマーク御代田

2024-09-18-WED

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