国内最大級のクラウドファンディングサービス
「CAMPFIRE」の創業者、
家入一真さんに、糸井重里が会いに行きました。
「現代の駆け込み寺」を目指すシェアハウス「リバ邸」や、
誰でも簡単にネットショップを開設できる
「BASE」の共同創設など、
「CAMPFIRE」以外にも
次々とユニークなサービスを生み出し続ける家入さん。
「ちょっと、近いところがあると思っていました」
そんな糸井の言葉から始まった対談は、
さまざまなアイデアをかたちにしてきた、
ふたりの「社長」の言葉が交わされます。
共鳴し合うのかと思いきや、
じわじわと浮かび上がる、「まるで違う部分」。
まさにそこにこそ「家入さんの根っこ」が待っていて、
とても面白いのです。
「絶対うまくいかない」と、
「それ、お前にしかわかんないよ」と、
何度も言われながら、ここまでやってきた。
全5回でお届けします。
家入一真(いえいりかずま)
1978年生まれ。国内最大級のクラウドファンディングサービス、CAMPFIREの創業者。「paperboy&co.」創業、「BASE」共同創業、「リバ邸」創設など、数々の事業を手掛ける連続起業家でもある。2014年には政治団体「インターネッ党」を立ち上げ、都知事選に出馬したことも。
- 糸井
- あの、「インターネット」というものに対する僕の考えは、
『インターネット的』を書いたころと
あんまり変わってないんですよ。
もちろん枝葉のところでいろんな変化はあるんだけど、
おおもとのベースにあるのはやっぱり変わらず、
「インターネットは人間が使う道具だ」ってことで。
- 家入
- はい。
- 糸井
- 僕は、その「枝葉」の部分に
流されないようにしたい気持ちがすごく強いんです。
僕がやりたいことっていつも、
「どっかの片田舎で、おばさんがタバコ売りしてる」
みたいな、とてもシンプルなところに帰ってくるので、
「いまの時代、これやんないとダメだよ!」
というニュースにできるだけ巻き込まれたくないんですね。 - だから僕はあんまり、
いわゆる「ネット業界」との繋がりが
なかったんじゃないかと思うんですけど、
一方で、
「新しいもの」に対する僕のアレルギーみたいなものが
邪魔だったなあっていう気持ちもあって。
たとえばぼく、YouTubeが出てきたときも、
「すごい」と思いつつ、
「最初はみんな飛びつくだろうけど、潰れるだろうな」
と思っていたんですよ。
- 家入
- へえ!
- 糸井
- 違法なアップロードだらけに見えたから、
いろんな動画が訴えられていくだろうし、
訴える側もきりがないから
代表的なものだけ訴えるようになって、
きっと潰れていくだろうなと思った。
でも、結果的に「メディア」になっちゃったじゃないですか。 - なので家入さんがクラウドファンディングを始めたときも、
やっぱり僕は「ここからどうなるんだろう?」
という目線があったんですけど、
家入さん自身は当時、
どういうことを考えていたんでしょうか。
- 家入
- あの、CAMPFIREはもちろんなんですけど、
最初に作った「paperboy&co.」という会社や、
そのあとの「BASE(ベイス)」も含めて、
「個人が活躍できる世界を作る」ということを、
インターネット黎明期の自分は‥‥
いや、あの頃のプレイヤーはみんな、
それを本気で夢見てたと思うんです。 - インターネットが普及したら、誰もが声をあげられて、
言語とか、肌の色とか、宗教とか、性別とか、
いろんなものを超えてみんなが繋がれて、
平和な世界が来るっていうのを本気で思ってた。 - だけど、実際にインターネットが普及したこの数十年は、
YouTubeの「好きなことで、生きていく。」みたいな
キャッチコピーにも代表されるように
むしろ「個の時代」と言われる時代が来て、
YouTubeでもクラウドファンディングでも
何でもいいんですけど、
何か声を上げて活動を始めてみた結果、
「うまくいかなかった大多数の人たち」の存在は
見ないふりをされていて、
「失敗したのはその人の責任だよね」という、
自己責任ブームの再来みたいな波も来ていたりして。
- 糸井
- はい。
- 家入
- SNSを見たら石を投げ合ってたりするし、
僕らが目指した世界がそこに実現されたかっていうと、
「あれ? どうだっけ」みたいな感覚がすごくあるんですね。
こう言ってしまうとアレですけど、全てのものにはやっぱり、
いい面と悪い面っていうのが存在するっていうことが、
やりながらわかってきた感じで。
- 糸井
- ああ、そうか。
引きこもっていたところから光のある場所に行けたのは
もちろんうれしかったんだけど、
いざ行ってみたら日光はきついし、風は吹くし、
うまくいかないことはいかないし、
やっぱりそこはそこで、過酷だった。
- 家入
- そうですね。
自分たちがやっていることが、ネガティブなものも含めて
どういったものを生み出しているのかということに
自覚的でなければならないという感覚は、
やっていくなかでどんどん持つようになりました。
‥‥もちろん今でも信じてますけど。そういった世界を。
- 糸井
- あの、そういう思いを持っているとなおさら、
初期の頃のCAMPFIREなんかはとくに、
「どううまくいくの?」って質問されたとき、
答えにくくてもどかしかったんじゃないかと思うんですよ。
- 家入
- そうですね。
- 糸井
- そのときは、どうしてたんですか。
- 家入
- 糸井さんがおっしゃるとおり、
「クラウドファンディングなんかうまくいかない」
ということは、最初ものすごく言われて。
日本人には寄付文化がないし、なんなら
「人にお金をもらったり借りたりするのはよくないことだ」
「やりたいことがあるなら自分でお金を貯金してやりなさい」
みたいな価値観が強いから、絶対に無理だと。 - それまでに全くない市場をつくることになるから、
短期で成功するとは僕らも全然思ってなかったんですけど、
クラウドファンディングが10年、20年かけて
やがて必要とされる世界になっていくというのは、
僕のなかでは確信めいたものがあって、
「無理だ」と言われてもずっと言いつづけていました。 - 日本の寄付文化ってたしかに
世界的に見ても小さいんですけど、
頼母子(たのもし)とか無尽(むじん)みたいな、
「コミュニティでの支え合い」の経済みたいなものが
歴史的に存在してきたし、
いまだに残っているエリアもあって、
単純な「寄付」はむずかしくても、
「共同体における支え合い」っていうところでは
絶対に可能性があると思っていたので。
ただやっぱり、当時はなかなか信じてもらえませんでしたね。
- 糸井
- そうでしょうね。
もし可能性の部分をわかってもらえたとしても、
CAMPFIREって仕組みから作んなきゃなんないから、
人の数もいるし、けっこうなお金がかかりますもんね。
もし大会社で同じことを思いついた人がいても、
上の決済とってるうちに
やっぱりやめとこうってなるようなことというか。
- 家入
- ああ、そうかもしれません。
実際、いわゆる資金調達もしながらなんとか前に前に、
っていう感じで進んできたところはありますね。
- 糸井
- そのときのトップは、
家入さんご自身だったわけですよね?
- 家入
- はい。「やりたい。やるべきだ」と言っていました。
- 糸井
- 社内で、「反対」という声はありましたか。
- 家入
- あー、いえ、なかったです。
というのも、立ち上げたときは
僕ともう1人の共同創業だったので、
反対も何もなかったという感じなんですけど(笑)。
ただ、周囲の友人とかいろんな人たちからは、
「そんなのうまくいかない」とたくさん言われました。
- 糸井
- めげなかったんですか。
- 家入
- あんまり‥‥そうですね。
まあ、ムカつきはしましたけど‥‥。
- 糸井
- ああ、ムカつきはする(笑)。
なるほどね、あの、それはちょっと、僕もそうかもしれない。
めげはしないけど、「ムカつく」はあるよね。
- 家入
- はい。
どこかで、「何が何でもやってやる」って
躍起になってる部分もあったかもしれないです。