特集「色物さん。」第7弾は、
横浜にぎわい座の布目英一館長に
ご登場いただきました。
高校生のときに、
浪曲の舞台・浅草の木馬亭の2階で
ドジョウすくいの安来節に
打ちのめされ、ハタチくらいからは
会社づとめの傍ら、「趣味で」(!)
落語や浪曲の会を主催するなど、
数多くの芸人さんを見てきた館長に、
色物さんとは、寄席とは、
たっぷりとおうかがいしてきました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>布目英一さんのプロフィール

布目 英一(ぬのめ えいいち)

1960年、横浜市生まれ。演芸研究家。横浜にぎわい座の館長を務める。高校時代から浅草・木馬亭に出入りし、浪曲研究家の芝清之に師事。安来節、浪曲、落語をはじめとする演芸に親しみ、木馬亭を中心に演芸会を催す。横浜にぎわい座には開館プレイベントから携わり、企画コーディネーターを経て、2019年7月から館長・チーフプロデューサー。現在、国立演芸場演芸資料展示室で開催中の「浪曲展」の展示監修をつとめる。

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第1回 安来節に、圧倒されて。

──
布目さんは、こちら横浜にぎわい座の
三代目館長でらっしゃいますが、
初代が玉置宏さんで、
二代目が(桂)歌丸師匠なんですよね。
布目
ええ。
──
前のおふたりのころから、
こちらに、いらっしゃったんですか。
布目
はい、立ち上げからいました。
オープンを挟んで前後2年は
『花王名人劇場』プロデューサーだった
澤田隆治先生が
企画アドバイザーでいらっしゃいまして。
先生の下で、
おもに番組づくりをやっていたんですよ。
──
にぎわい座に入るまでは、
サラリーマンとしてお仕事をされながら、
個人プロデューサーみたいな感じで
落語や浪曲の会を開いていたそうですね。
布目
そうなんです。
浅草の木馬亭って浪曲の寄席なんですが、
そこで
落語や浪曲の企画を立ててやってました。
で、横浜にぎわい座ができるときに、
実際に動ける人間が必要だろう、
ってことになり、
じゃあ、あいつヒマそうだから‥‥って。
──
個人で落語や浪曲の会を主催するって、
当時でもめずらしかったと思うんですが、
はじめたきっかけは‥‥。
布目
高校2年のときに、
木馬亭の2階の木馬館で、
安来節一座のさよなら公演ってのを見て。
それ、安来節の民謡をメインとしつつも、
合間合間に落語家の師匠や
漫才師などの色物さんも出てきたんです。
──
ええ。
布目
その日の落語は
先代の(入船亭)扇橋師匠をはじめ、
とにかくおもしろい人たちが
たくさん出てきて楽しかったんですけど、
安来節自体は、はじめてだったんです。
でね‥‥熱気がものすごかったんですよ。
──
安来節というと、ドジョウすくいの。
布目
そうそう。踊ってるお姉さん方‥‥って、
みなさん60歳以上なんだけど、
年齢を感じさせないどころか、
はじけるような若々しさも感じたんです。
木馬館の場内が一体化しちゃうんだよね。
もう‥‥圧倒されちゃって。
──
高校2年生を圧倒する、安来節。
布目
そう。そのときに八木節もやったんです。
──
群馬とか栃木の、盆踊りの。
布目
お姉さん方の八木節を遮るようにしてね、
客席でうたい出す人がいるんです。
それも、正しい八木節の文句じゃなくて、
お姉さん方を茶化すような感じなんです。
それを受けて、お姉さん方も、
その客をやり込めるような文句を歌って。
──
そうなんですか。故郷が桐生のあたりで
八木節は身近なんですけど、
はあ‥‥そんなことになってたんですか。
たしかに昔は、八木節も
寄席演芸だったと聞いたことがあります。
布目
寄席で自然発生的にうまれた、
芸人とお客さんとの「遊び」なんですよ。
唄げんか、って言うみたいですけど、
常連で通っていた通の人が、
あるときにやりはじめたんだと思います。
それが、だんだんひとつの形になった。
たしか、キングとコロムビアから出てる
レコードにも、収録されていたはずです。
──
ブルースとかのコール&レスポンス、
みたいな感じ‥‥?
とにかく、ライブの熱狂ってことですね。
その日、布目少年を圧倒したのは。
布目
そう、こんな世界があるのか‥‥って。
──
安来節って、すごいものなんですね‥‥。
布目
マジックの世界にも、
ダーク大和ってマジシャンがいますよね。
──
いま、寄席に出てらっしゃる
ダーク広和さんのお師匠さん。
布目
あの人もマジックやりながら踊り出して、
本当のドジョウを出したりするんです。
安来節というものの豊かさがわかります。
ようするに、ある意味、
演芸の原点みたいなところがあるんです。
──
ちなみに「さよなら公演」ということは、
その日で安来節がお終いだったんですか。
布目
安来節の興行自体をもうやめる日でした。
文化庁の芸術祭で賞を獲ったり、
最盛期の安来節は人を集められたけれど、
お姉さん方も高齢化してきて、
そのころにはもう、
さほどお客さんが入らなかったんですね。
なので最後、思いっきり盛り上げて、
あがりをお姉さん方の退職金にしようと。
──
なるほど。
布目
小沢昭一さんや永六輔さん、
昭和の有名人が、応援してくれたんです。
新聞にも取り上げられたし、おかげで
連日たくさんのお客さんが来たんですよ。
1日2回か3回まわしにしてたほどです。
それくらい、いっぱい来たの。
──
その最後の熱気の中に、布目少年もいた。
布目
それから、
1階の木馬亭に通いはじめたんです。
上の階は、安来節から大衆演劇に変わり、
下の階では浪曲をやっていたので、
浪曲のおもしろさにも、そこで目覚めて。
──
そのさよなら公演は、いつのことですか。
布目
1977年。
──
じゃ、昭和52年。
布目
そう、わたしは1960年の生まれなんで、
高校2年‥‥17歳のときです。
──
まわりに「同好の士」っていたんですか。
布目
いませんよ(笑)。
──
いませんか(笑)。
布目
いませんよ(笑)。
当時だから、同級生はみんな、
何だか、ロックのアレを聴きに行くとか、
そんなことやってた時代だから。
──
70年代ってことは、若者たちは、
ヒッピーだとかパンクだとかでしょうか。
布目
俺だけひとりだけ、変わり種でした。
──
布目さんだけ、安来節や浪曲を聞いてた。
布目
そう(笑)。
──
どうしてひとりだけ、
そこへ興味がいったんでしょうかね?
布目
どうしてかなあ‥‥。
小沢昭一さんや永六輔さんが愛している
「日本の芸能」って、
いったいどんなものなんだろう‥‥とは、
ずっと思ってはいたんですけど。
──
ええ。
布目
木馬館では、安来節だけじゃなくて、
浪曲師や落語家も出てきたんですが、
それもまた、おもしろかったし‥‥。
さよなら公演では、さっき言ったように
(入船亭)扇橋師匠が出てたんですが、
日によっては
先代の(林家)正蔵師匠のお名前もあり、
初代の(林家)三平師匠のお名前も、
たしか、見たような。
漫才師だってね、いろいろ出てきて‥‥。
「宝大判・小判」って、あの当時で
兵隊漫才をやってた人たちもいたりして。
──
兵隊漫才。見たことないです。
布目
いやあ、見たことないでしょう。
当時でさえ、めずらしかったと思います。
ペーペーの兵隊さんが、
軍隊の上官にずっと怒られてるっていう、
ただ、それだけなんだけど。
──
「おもしろい」んですか‥‥それ?
布目
いや、別におもしろくはないと思います。
実際に戦争に行った経験のある人たちが、
こんなふうに理不尽に怒られたなって、
そういう思いで見るから、
ググーッと入っていけるわけであってね。
──
なるほど。
布目
その兵隊漫才をやってたのが、
宝大判・小判ってふたりだったんですよ。
いまだに、すごく覚えてます。
──
宝大判・小判。
その人たちは、兵隊漫才一本なんですか。
布目
わかんないです(笑)。
何せ、ぼくもそのときしか見てないから。
──
あ、そのときの一回だけ?
それから、一切見かけなかったんですか。
布目
見てないですねえ。どうしてたんだろう。
変わってるものって、覚えてるんだよね。
「おもしろい」という以上に、
「うわあー、こんな人たちもいるのかあ」
というふうに、記憶に残るんです。
落語にも
柳家金語楼師匠の「兵隊落語」があるし、
あれもやっぱり
兵隊さんが上官から怒られる話でしょう。
ブツブツ文句を言ってると、
それを聞かれてまた怒られちゃうという。
あれの漫才版なんだろうな‥‥
とは、思いながら見ていたんだけど。
──
戦争の記憶も薄れつつある時代ですしね。
布目
うん、傷痍軍人さんって、
わたしの子どものころにはいたんですよ。
鎌倉の銭洗弁天に通じる
うらさみしい道で、
戦争で片足を失くした傷痍軍人さんが、
義足を置いて、
楽器を演奏して、歌って‥‥みたいなね。
でも、70年代後半当時は
ほとんど見かけなくなっていましたから。
人出のあるとき‥‥お花見どきだとか、
お祭りとか、初詣とか、
そんなときには、まだ見かけてましたが。
──
でも‥‥その宝大判・小判さんのことは、
ハッキリ覚えてらっしゃる。
布目
もう、ビックリするくらい覚えてますよ。
なにしろ変わってたから。
あとは木馬亭で板野比呂志っていう‥‥
漫才から大道芸、
バナナの叩き売りとかガマの油とか、
物売りの口上をやってた人もいたっけな。
──
その人も、記憶に残る色物さん。
布目
民謡漫才っていうジャンルを知ったのも、
木馬亭でした。
ま、民謡を謡いながら漫才やるんだけど、
比重が民謡にあるんですよ。
あの東京太・ゆめ子師匠のお師匠さんの
松鶴家千代若さん・千代菊さんね。
──
ええ。たけしさんのお師匠さんでもある。
布目
おふたりのうち千代若師匠が旦那さんで、
千代菊師匠が奥さんですけど、
奥さんのほうが三味線を弾くんですよね。
──
はい、京太さんが、
千代若さんは声が一級品だったけれども、
千代菊さんの三味線にしか
合わせられなかったって言ってました。
ようするに「民謡漫才」という形式だと、
安来節とかの合間合間に、
おもしろい話が入るっていうことですか。
布目
そう、合間にね。かけあいで。
ちょっとダジャレを挟んだりとかしてね。
テレビとかでやってる演芸っていうのは、
本当に「一部」なんですよ。
──
世の中には、まだまだいろんな演芸が。
布目
あるとき「もういないけど」って言って、
安来節のお姉さんに教えてもらったのが、
昭和初期の「ゴリラの安来節」で。
──
ゴリラの姿で‥‥ドジョウすくい?
布目
そんな変わり種がたくさんいたんだって。

(つづきます)

2022-12-19-MON

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  • 布目さんが館長を務める
    横浜にぎわい座のお正月の公演です。

    冗談音楽や鉄道ものまね、
    和妻(日本手品)といった演芸とともに、
    漫才のルーツである
    尾張万歳や獅子舞などの祝福芸で、
    日本の正月風景を再現する、とのこと。

    出演は、尾張万歳保存会
    (門付万歳、御殿万歳、音曲万歳)、
    柳貴家正楽社中(大神楽曲芸、獅子舞)、
    ポカスカジャン(冗談音楽)、
    立川真司(鉄道ものまね)、
    元はじめ(和妻)‥‥などのみなさん。

    1月15日(日)の14時開演
    (13時30分開場)、
    一般3200円、中学生以下800円、
    仲入後2,100円、全席指定。
    より詳しくは公式サイトでチェックを。

    ※インタビューの数日後、小林のり一さんがご逝去されました。
    心よりご冥福をお祈りいたします。

    撮影:中村圭介