まくしたてるような過剰な実況で
プロレス業界のみならずスポーツ実況に
革新をもたらした古舘伊知郎さんと、
みじかいことばのキャッチコピーを
仕事にしてきた糸井重里が前橋でついに激突!
‥‥って、むりやり対決仕立てにしましたが、
先日開催された「前橋ブックフェス」で
たくさんのお客さんをたのしませたトークショーを
文字で(できるだけ)再現してみました。
古舘さんのあの声を思い浮かべながらどうぞ。

>古舘伊知郎さんプロフィール

古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)

フリーアナウンサー。立教大学を卒業後、
1977年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。
「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、
フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし
「実況=古舘」のイメージを確立する。
一方、3年連続で「NHK紅白歌合戦」の司会を務めるなど、
司会者としても異彩を放ち、
NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。
その後、テレビ朝日「報道ステーション」で
12年間キャスターを務め、
現在、再び自由なしゃべり手となる。
2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。

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第3回 しゃべりたいけど黙ってた5年間

古舘
でもね、ぼく、局に入ってから4年、5年は、
ぜんぜんおもしろいなんて言われないです。
糸井
はぁ、そうですか。
古舘
だいぶ経ってからです。
糸井さんとか、お亡くなりになりましたけども
直木賞を獲った景山民夫さんとか、
放送作家の高田文夫さんとか、
そういう、ことば関連の人たちが
ぼくをおもしろいと言ってくださったのは。
5年ぐらい経ってからかな。
糸井
それまではおもになにをなさってたんですか?
古舘
それまでは、きちっとした
スポーツ実況を中心にやってました。
あの時代は、アナウンサーのなかでも
スポーツ実況だけは職人の世界というか、
徒弟制度に近いものがあって、
先輩アナウンサーの鞄を持って、
ずーっとあちこちついて行き、
その人が飲んで帰るところをお見送りするまで
ついてるっていうような感じでした。
だから、しゃべりの実況芸も、
先輩たちの言うとおりにやんなきゃいけない。
糸井
はい。
古舘
そうすると、ラジオだと、
たとえばラジオの野球中継、
「ニッポン放送、ショーアップナイター!」
とか、いまだにね

『3回の表のジャイアンツの攻撃。
 さあ、ここから、一巡いたしまして‥‥』

ってバーってしゃべるじゃないですか。
ラジオだったら、2秒以上、間があくと放送事故、
みたいな世界だけど、
テレビっていうのはビジュアルが肝だから、
ぼくなんかが薫陶を受けた昭和52年当時なんかは、
「テレビのスポーツ実況たるものは、
 間をいっぱいつくれ」と言われてたんです。
だから、間をつくって、
きちっとしゃべんなきゃいけなかったんで、

『‥‥猪木。‥‥入場して参りました。』ってまた黙る。
糸井
はい、はい(笑)。
古舘
『そして、ヘッドロックの体勢。
 ‥‥ロープに振った。』
って、
しゃべりたいけど黙る。そんな5年間ですよ。
糸井
かえっておもしろいですね、いま聞くと(笑)。
古舘
いま聞くと、おもしろいと思います(笑)。
だけど、その当時はそれが普通なんですね。
そのオーソドキシーをやってました。
だからその間、ずっと自分のなかに内圧が高まって、
「暴れたい暴れたい暴れたい」と思ってて、
プロレスが第二次黄金期ってブームになったあたりで、
局アナになってから5年も経ったこともあって、
うるさく言う人が一瞬いなくなったんです。
その隙を縫って、鬼の居ぬ間の洗濯とばかりに、
バーっとしゃべり出したんですよ。
そしたら、糸井さんとかが振り返ってくれたんです。
糸井
ああー(笑)。
その時代の古舘さんについては、
きっといろんな人が解説をしたと思うんですよ。
ぼくも雑誌かなにかでコメントを求められて、
書いた覚えはあるんですけど、
その当時のことを思い起こすと、
とにかくトゥーマッチだったわけです。

古舘
はい、おっしゃる通りです。
糸井
大盛り海鮮丼ってあるじゃないですか。
その海鮮丼に、なんだったら
ステーキも乗せてしまえ! みたいな。
古舘
なんならフォアグラも乗せる!
糸井
乗せてしまえ!
とにかく、驚いてくれて、食べてくれれば、
もうそれでいいわけだから、
苦しまぎれでもなんでも乗せようっていう。
古舘
はい。
糸井
あれはつまり、
自分でなんとか生きようとして
つくった仕組みですよね。
古舘
そうですね。
そのときの記憶、意識をたどると、
リング上に猪木さんがいる試合はもちろん、
猪木さん以外の試合でも、とにかく、
その当時の新日本プロレスっていう団体が
標榜していたプロレス流儀を観ていると、
ことばが湯水のように出てきたんですよ。
糸井
ああーー。
古舘
たとえばタイガーマスクが登場する。
これがヒラリとトップロープに跳び乗り、
鳥が枝にとまるかのようにポンととまる。
そしてマットの上にストンと片足で降りてくる。
これはもうちょっと三次元空間じゃない。
だから、タイガーマスクが出てくるたんびに、

『四次元殺法!』って言うわけですよ。
糸井
うん(笑)。
古舘
もうほんとてんこ盛り、過剰で、

『四次元、五次元、入った!』

みたいなこと言ってるわけですよ。
そうすると、たとえば、
群馬の高崎の体育館で生中継が終わって
次の日、アナウンス部長に呼ばれて、
「おまえ、この世界は四次元じゃないぞ」
って言われるわけです。
「三次元だよ、ウソつくんじゃねえ」って。
糸井
ははははは。
つまり、古舘さんは、本来は、
ウソっていうジャンルに入れられるものを、
その玉手箱から現実の世界に借りてきたんですね。
古舘
そうなんです、まさにおっしゃるとおり。
それはプロレスっていうものの
特殊さもあったと思うんです。
プロレスって場外乱闘もルール内なんで、
けっこうグレーゾーンが許されるっていう。
糸井
そうだ、そうだ。
古舘
そういう、ある意味すごく不埒な世界だからこそ、
「四次元、五次元」って言えたんですね。
糸井
はい、はい。
古舘
だから、その空間では言えてるんですけど、
三次元に戻ると「違うだろ」って言われるっていう。
糸井
野球でもラグビーでもサッカーでもなく、
プロレスという、彼岸とこの世が
一緒になったような世界だから、
その混ぜ方ができたっていうことですね。
古舘
はい。おっしゃるとおりで、もう、
こっちとあっちを何回も行き来できるわけです。
だから、たとえばテレビ朝日が放送していた
「大相撲ダイジェスト」という
比較的ニュース性の高いスポーツ番組なんかだと、
ああいう実況はやっちゃいけないいんです。
糸井
はい、はい。
古舘
相撲の中継で場外乱闘とかないじゃないですか。

『東の横綱と西の横綱が、
 さあ、真っ向から土俵の下でぶん殴り合ってる』


ってことありえないわけですよ。
糸井
プロレスのおかげですね(笑)。
古舘
完全にプロレスのおかげです。
それで、プロレス中継は過剰にやって、
糸井さんたちにおもしろがってもらえたんですけど、
でも、社内はぜんぜん盛り上がらないんです。
会社ん中では、変な野郎だと言われてるわけです。
だって、テレビ局としては、きちっとニュースを、

『こんばんは。ニュースをお伝えします。』

って言うほうがいいわけですから。
糸井
そうか、「外でウケる」っていうのは、
アナウンサーにとっては、
根本的には意味のないことなんですね。
古舘
はい。だから、ぼくはその当時、
社内で虐げられて、外でウケていた。
だけど、それが、ぼくはうれしかったんですね。
糸井
外でウケてるから、
あいつにもっとあれをさせてみよう、
みたいな仕組みではなかったわけですね。
古舘
局によっては、たとえばTBSなんかは
ラジオとテレビを持っていたので、
ラジオで個性を出して売れてとか、
そういうのはあったと思うんだけど、
やっぱり、テレビ単体の世界では、
スターアナウンサーみたいな存在ができない限りは、
みんな平等に、みたいな感じだったんです。
だから、ぼくなんかがプロレス中継で
いくら過剰なことをしゃべっても、
ぜんぜん、相手にされなかった。
でも、いま思うと、その放任がね、
本当にありがたかったかなっていう。

(つづきます)

2022-12-09-FRI

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