一枚の絵が完成するまでの過程を、
作家本人が解説するシリーズの第3弾。
今回はピクセルアーティストの
maeさんに連載していただこうと思います。
延々とつづく無限ループの世界。
やさしく、なつかしく、
どこか夢の中のようなおぼろげな風景。
maeさんのピクセルアートは、
どのようにして生まれているのでしょうか。
テーマ探しから完成までの3ヶ月間、
毎週木曜日に更新します。
- こんにちは、maeです。
ジメジメした季節になってきましたね。 - 前回につづき、
近景を描くところからのスタートです。
- あーちゃん(祖母)の家、そして、
お向かいさんの家の土台ができてきました。
陰影の具合を見るために、ところどころ仮の仮、
そのまた仮の色も付けていきます。 - こんな季節だからなのか、
今回は窓やヒサシを描きながら、
「てるてるぼうずがぶら下がってるのもいいな」と、
ふと思いました。
(そういえば、最近ぶら下がってるのを
めっきり見なくなった気がします。
いまの子どもたちはあまり作らないのかな) - そこから連想して、
「いっそ場面を雨上がりってことに
するのもいいかもしれない」と浮かんできます。
カラッと晴れた感じも捨てがたいなぁと悩みながら、
どちらにしようかまだ考え中です。
どちらにしても、描きたいのは晴れている様子です。 - こんなふうに、ひとつひとつ
描いては想像しての連続が絵になっていきます。
- 奥のほうを描いていくと、
どんな風になっていくのか楽しみです。 - そういえば最近よく考えるのですが、
絵は、完成するまでどんなものになるかわからないし、
完成したとしてもそれが
何であるのかが明確ではありません。 - それが絵のよいところでもあるのですが、
そういうものに生活を乗せるというのは、
けっこう心の力のようなものを使います。 - 大げさかもしれませんが、
自分が描き出す世界を自分自身で
最後まで信じるのは覚悟のいることです。 - 実情、ぼくは気弱な人間なので、
ときどきそういう負荷に耐えきれなくなって
起き上がれなくなる日や、
どうしていいか分からなくなる日があります。 - そんなときは尊敬する人たちを思い浮かべて、
「こういうとき、あの人ならどうするだろうな」と
よく考えたりします。 - 父母ならどうするだろう?
あーちゃんなら、じーじーなら、
川崎のおばあちゃんならどうするだろう?
さくらももこさんなら、糸井重里さんなら、
忌野清志郎さんなら、オードリーなら、
志村正彦さんなら、宮沢賢治なら、岡本太郎なら‥‥。 - 他にもたくさんの人が心の中にいて、
呼ぶとほわんと出てきてくれます。 - みんな同じ人間ということを思えば、
どこかだらしなかったり、
失敗したことも語られていないだけで、
きっとたくさんあると思います。(勝手にすみません) - でも重要なのは、いろいろな側面をひっくるめて、
そういう人たちがぼくに見せてくれた姿が、
なんだかあたたかくて、やさしくて、
おもしろくて、強く感じたということです。
そのイメージが、ぼくが困ったときに、
灯台のようにポウッと
道を示してくれることがあります。 - ぜんぶ想像の中のことですが、
それで自分が動けたのなら本当のことです。 - そんなふうにいつか自分も、
誰かにとっての火になれるかな。
いや、それにしてはいろいろ未熟すぎるな‥‥。
と思いながらも、見せる姿だけでも、
まずはあたたかくありたいです。 - いろんなものにあやまりながら、
いろんなものに感謝しながら、
どんなかたちでも続く日々を一歩ずつ。 - 来週もまたよろしくお願いします。
(つづきます)
2024-06-20-THU