「今年の藝祭に来てくださいませんか?」
東京藝術大学の学生のみなさんから
そんなご連絡をいただき、糸井重里が
「藝祭2022」のトークショーに登場しました。
控室でのおしゃべり+1時間強のトークという
短い時間でしたが、フレッシュなみなさんからの
さまざまな質問に、糸井が真剣に答えました。
これからのAI時代に、人間はどう生きたらいいのか。
「作りたい」と「売れる・売れない」の兼ね合いは。
ゲーム『MOTHER』と「母性」の関係について。
新しい手帳のアイデアを考えてみました‥‥など。
前半は、東京藝術大学の日比野克彦学長と
3名の学生というみんなでのトーク、
後半は4名の学生による糸井への質問の時間。
大学の授業のあと、学生と先生がほんとうに
話したいことを素直に話すときのような、
あたたかなやりとりになりました。

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(3) 「売れる・売れない」よりも、 「何が喜ばれるだろう?」で考えたい。

金子さん
さきほど話に出たジブリの「生きろ。」という
キャッチコピーですが、
わたしはそこに大森さんとは真逆の
とても前向きなメッセージを受けとっていて。
人間って、自然破壊をしたり、争いをしたり、
すごく醜い部分がたくさんあると思うんです。
だけどわたしはあの言葉で、
「あんな素敵な作品をつくれるなら、
人間は生きなきゃいけない」と思えたんですね。
また、それ以外にも、
糸井さんの作られた「MOTHER」をプレイしていると、
ほかのゲームだと
「モンスターをたおした」と表記するようなときに
「おにいさんはわれにかえった」とか
「おとなしくなった」とか、
前に進む希望をもたせてくれる表現が
使われていることが多い気がするんです。
そういったことについて、
糸井さんにもし信念のようなものがあれば、
お聞きしてみたいです。
糸井
ゲームって、その遊び方のイメージは、
作る人がけっこう作れるんですね。
そして、絵を描く人がどんな色を使うか、
音楽をやる人がどんな音色を作るかと
いったことと同じように、
ぼくはことばの響きだとかについて
自分が好きな世界を作りたいんですね。
いまって
「相手をゾンビに見立てたら何やってもいい」
というゲームも、
戦いが生々しくなりすぎないように、
バトルをたとえば
「おもちゃ同士が遊んでるだけ」みたいに
しているゲームも、どちらもありますよね。
そのときに自分が作りたいのはどっちなのか。
自分の好きな子どもたちと
どういうふうに遊びたいのか。
そのあたりを考えたときに、
ぼくは自分の「これが好きなんだ」
「こういう世界でみんなと遊びたいんだ」を
ことばで表現したんじゃないかなと思いますね。
金子さん
ああ。
糸井
とはいえぼくにしても、いつでもかならず
「MOTHER」で使っていたようなことばだけを
使いたいというわけでもないんです。
たとえば格闘技を見てるときには、ぼく自身も
「もっといけ!」みたいに、
心のなかで相手にすごいダメージを与えることを
望んでいる場合だってありますから。
だからもし違う機会がもしあったとしたら、
ぼくもすごく悪いものを作ってるかもしれない(笑)。
つまり、そこは
「世界観として、そういうものが
欲しい・作りたいということはあると思うから」
なんですけど。
金子さん
ありがとうございます。
あと、もうひとつ聞いてみたいことで、
糸井さんは自分が作りたいものがあって、
「でもこれは売れないんじゃないか?」
という可能性が見いだされたとき、
ビジネスの感覚と、アーティストとしての感覚を、
どう使い分けていらっしゃいますか?

糸井
これはさきほど「デザイン」と、
いわゆる「純粋芸術」みたいなものって、
ほんとは簡単に線が引けないんじゃないの?
と言った話とちょっと似てるんですけど。
「売れないもの」って、
大雑把に言えば、
「人に支持されない」「喜ばれない」
「遊んでもらえない」場合が多いわけです。
そしてぼくは
「これを作っても支持されないだろうな」
というときに
「それでも俺はこれを作りたいんだ!」
というような衝動って、
自分のなかにはないんですよね。
「誰も理解しなくても平気で詩を詠むぞ」
とは、ぼくの場合はならない。
自分が、ほかの誰も理解しない場所に立ちたいとは
思わないんです。
だからその部分については、
「売れない」ということばだと
全部ビジネスの話みたいになっちゃうから、
もう少しことばを転がして
「支持されない」「喜ばれない」みたいな切り口で
考えてみたらどうでしょうかね。
たとえば自分が子どもとか、あるいは犬や猫に、
おやつを「あげるよ」って差し出したとき、
相手がこっちを見向きもせずに通り過ぎたら、
いやじゃない? 
そんなことがあったら、
「自分はそんなにこのおやつをあげたかったのか」
とか思いますよね。
もし、それほどまでに
「これをあげたい!」という気持ちがあるなら、
それを持って、
ずっと待ってればいいと思うんです。
でも、そこまでそれ自体をあげたいわけでも
なかったんだとしたら、
「もっと喜んでもらえそうなものを作ろう」
とかにいくと思うんです。
だからぼくの場合は
「売れないものは作らない」というより、
「やっぱり喜んでもらえるものがいい」
ということが、まずありますね。
あるいは自分も誰かが作ったものに
喜んだ経験があるから
「自分もそういうものを作りたいな」とか。
そういう感覚が最初にあるような気がします。
だからそのあたりって、
「作りたい」と「売れない」の二項対立で
考えることじゃないかもしれない。
とにかく普段から
「みんなは何を喜ぶだろう?」
「あなたはこんなのが好きだよね」
みたいなことを考える癖がついていれば、
それでいいんじゃない?
ぼくはそんなふうに思いますね。
あと、ぼくは美術に詳しくないけれど、
ピカソがその後の抽象絵画のもとになる
『アヴィニョンの娘たち』を描いたとき、
知り合いに「この絵はまだ早い」と言われて
しばらくの間、発表せずにとっておいた
という話を聞いたことがあるんです。
絵は、もう描けてた。
技法もすでにできてた。
けど「これはまだ早いぞ」って言われた。
だから時期が来るまで、自分でお蔵入りさせてた。
ほんとかどうか知りませんけど、
その話をぼくは「いいな」と思うんです。
やっぱり、出会いたいんで。
向こうから伸びてくる手と
こっちから伸ばす手を、握手させたいんで。
向こうがこっちを見てる視線と、
こっちが向こうを見てる視線とが
交流電源みたいにずーっと
行ったり来たりしている、
その関係のなかにあるのが自分だと思うんです。
だから完全に閉じきって、
「俺の表現はこれだ」と出すようなことって、
ほんとはないんじゃないかな、とぼくは思います。
ただ、自分も結果的に売れないものを
作ることは多々ありますよ?(笑)
それは残念だったなと思います。
──
いまのお話、日比野学長はいかがでしょうか?

日比野
作ったものが売れなかった経験は、
ぼくにもあって。
1980年代の中ごろ、日本で家具が流行って、
いろんなメーカーがイタリア製の家具を輸入したり、
建築家が家具を作ったりしていた時期があるんです。
そのとき、ぼくにも家具メーカーから
「一緒に家具を作りませんか」
という依頼があったんですね。
それで図録を見ると、
いろんなインテリアデザイナーや建築家が、
オシャレな家具をいっぱい作ってる。
そのとき「この領域に行ってもおもしろくないな」
と思ったんです。
そしたら図録のいちばん後ろのほうに
「学習机」というページがあって、
いまだにキャラものだったんですよ。
あとは子どもの成長に合わせて
「高さの3段階調節ができます」みたいなものとか。
それでメーカーの人に
もっと自由な学習机にしたいとプレゼンして、
「じゃあやってみますか」と作ったんです。
結果的に売れなかったんだけども。
いまもキャッチフレーズを覚えてて
「記憶より発想」というんですけど。
どんなものかというと、すべての部分が変形していて、
どこにも90度の部分がない、
まっすぐ座れない学習机(笑)。
ほんとに遊具のような学習机を作ったんです。
あとは目がチカチカするぐらい、
全てに絵が描き込んである学習机とか。
4種類くらい作りました。
その学習机は、話題にはなりました。
けど、売れないんだ(笑)。
買うのは子どもじゃないんだよね。
お父さんお母さんだから、
やっぱり記憶させたいんだよね。
そこは反省しました。
でも、それは売れなかったけれども、
企業のスタンスの提示というか、
「このメーカーはすごく自由な発想を
持ってるんだな」
と表現する機能はしたんですね。
だからたとえば、そういう役割。
ほんとにきちんとした家具を作りたかったら、
プロダクトデザイナーに頼むだろうけど、
日比野に依頼するということは、
「ちょっとヤンチャやってくれ」
みたいなことでもあるかなと。
ほかにも、鞄のメーカーと一緒に
鞄を作ったこともありますけど、
それも革職人がもうヒーヒー言いながら、
ほんとに不定型なかたちで縫ってくれたもので、
単価にしたらとんでもない値段になったんです。
それも全く売れなかったんだけども、
「こんな鞄も作れるんだ」
みたいなメッセージにはなっていて。
なのでアートが入るって、
直接的に「売れる・売れない」
「売上があがりました」とか、
そういうことではないかもしれないとは思います。
あと、すこし話は違うけれども、
「地域の病人の数を減らそうと思ったら、
そこに病院を作るだけが手段じゃない」
という話を聞いたことがあるんですね。
どこかの行政は、病院を作るお金より、
公園の整備にお金を使っているらしいんです。
そうするとその公園でお散歩する人、
運動する人、ゆっくりすごす人が増えて、
結果的にその行政の医療費が
ちょっと減ったっていうんだね。
なので
「病院を作ると医療費が減る」といった
直接的なこととは別に、
「公園を作るとみんなが散歩して歩くから、
間接的に医療費が減る」
みたいなこともある。
芸術も、直接的な効果がどうかというより、
もっと人が生きることと
総合的に関係しているものというか。
そういう役割があるのかなっていう気が
ちょっとしますけどね。
──
いまのお話のような部分って、学生みんなが
常に悩むようなところだと思うので、
たくさんの示唆を与えていただいたような気がします。
そして‥‥申し訳ありません。
びっくりするぐらいはやく時間が経ちまして、
なんと、前半はこれでお時間なんですね。
まだまだみんなたくさん話したいことが
あると思うのですが、
後半の企画がございますので、
前半のトークショーはここまでということに
させていただきたいと思います。
申し訳ございません。
糸井
残念でした(笑)。

──
というわけで短い時間ではございましたが、
糸井さん、日比野学長、登壇学生の皆さん、
ほんとにありがとうございました。
後半のトークショーにつづきます。
全員
ありがとうございました。

(つづきます)

2022-11-18-FRI

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