写真家が向き合っているもの‥‥について
自由に語っていただく連載・第12弾は
伊丹豪さんにご登場いただきました。
伊丹さんの写真は、
画面の隅から隅までピントが合っています。
奥行きのある風景の写真もです。
そして、すべてが「タテ」なんです。
まず、ビジュアルとして大好きだったので、
取材を申し込んだのですが‥‥。
どうやって撮っているのか(驚きでした)、
どうしてそういう写真を撮っているのか。
深くて、おもしろかったです。
全5回、担当は「ほぼ日」奥野です。

>伊丹豪さんプロフィール

伊丹豪(いたみごう)

1976年、徳島県生まれ。主な作品集に『this year’s model』『photocopy』(共にRONDADE)など。

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第4回 中心と周縁。

伊丹
この写真家に話を聞く連載の中では、
田附(勝)さんの「時間」の話が、
ぼく自身にとっては、
ある意味でもっとも距離感を感じて、
おもしろいと思いました。
──
おお。どういうところが、ですか。
伊丹
田附さんは、時間を撮ると言うけど、
写真で「時間を撮る」というとき、
実際にはどうやって撮っているのか、
その肝心な部分を、田附さんは、
あえて話していない気がするんです。
──
ああ、同じ感覚かわかりませんけど、
田附さんの創作の姿勢には、
「近寄れない感じ」はありますね。
伊丹
ぼくは、田附さんのことを、
すごい写真家だと思っているんです。
でも、田附さんの言う「時間」って、
ぼくの考えでは、
写真では見せれないと思っています。
だから写真に「時間を撮る」とき、
具体的には
どんなふうにアプローチするのかを、
ぼくは、知りたいと思っていて。
──
田附さんは
「写真」と「時間」というテーマを、
観念のやりとりに終始せず、
実際に、自分で縄文土器のかけらを
掘り出して撮ったり、
地方の古い蔵の中を
持ち主にお願いして撮ったりして、
あくまで作品として、
時間を見せようとしていますよね。
そこが机上の「写真の時間論」とは、
決定的に違うなあって思うんですが。
伊丹
いや、だから「想像」はするんです。
田附さんは、どんなふうに
時間を撮ろうとしているんだろうと。
昭和の新聞紙の上に縄文土器を置いた
『KAKERA』を見て思ったのは‥‥
たしかに、
縄文土器の時間、昭和の新聞紙の時間、
それを撮ってる田附さんの時間、
3つの時間のレイヤーがあるんだけど、
ぼくの目には、
前に出て来たのは「新聞」なんですよ。
──
なるほど。
伊丹
もちろん、結果として、
すごくおもしろい作品だと思うんです。
でも、新聞が前に出て、
縄文土器が
ある意味で後退してしまっているのは、
田附さんの思惑とは、
ちょっとちがったんじゃないのかなと、
ぼくは思ってしまうところがあって。
──
田附さんには、縄文土器という
みんなに大切に扱われているものと、
ある日の新聞という、
とくに大切にされないものとを
同等に扱いたいという気持ちがあって、
そういうところは、
伊丹さんと似ている気はしますけどね。
伊丹
ええ、近いですよね。
──
上下関係をフラットにする、みたいな。
それで新聞が前景に出てきたなら、
何でもないものに光を当ててるわけで、
その1点では、
伊丹さんと何かが共通してる気がする。
伊丹
だから、悔しかったんですよね、最初。
ああ、田附さん、
おもしろいテーマを見つけたなあって。
そういう気持ちもあって、
自分が、あの3つの時間のレイヤーを
写真で見せるとしたら、
どうするだろうって考えちゃうのかも。

伊丹豪 伊丹豪

──
なるほど。
伊丹
あのアプローチは、
かなり美術のメソッドに近いですよね。
その意味では、田附さんって、
写真で表現するのが
いちばん難しいことに
トライしてるんだろうなって思うんです。
だからこそ、時間というものに
写真でどうアプローチをしていくか、
そこの具体的で肝心な部分を、
田附さんが、
どう考えているのか知りたいんです。
──
ずいぶん前のことですけど、
東北のシカ猟についていきたいって
田附さんに言ったとき、
「そこは見せるもんじゃないからね」
って、
やんわり断られたことがあるんです。
制作の過程や、創造物をうむ過程は
わざわざ見せるものじゃない、
というお考えは、あるかもしれない。
伊丹
作品で判断してほしい‥‥ですよね。
その気持ちは、わかるんですけどね。
──
伊丹さんの写真との向き合い方って、
技術だとかメソッドの部分の比重が
かなり高いから、
そんなふうに感じるんでしょうかね。
伊丹
誰にでも理解できる「技術」の話で、
つまり、
どんなカメラで、どういうレンズで、
何でわざわざフィルムを使って‥‥
という、
具体的なメソッドの話をしたほうが、
ぼくは、理解し合えると思うんです。
ぼくが「写真」というものについて、
「ただのコピーだ」と言って、
技術の話を前に出そうとするのは、
そういう思いが、根底にあるんです。
──
伊丹さんのそういう部分って、
ご自身が、長いこと
「自分はどうしたいか」のところで
悩んでいたご経験があるから‥‥
なんでしょうか。
伊丹
先生を頼まれることも多いんですが、
写真をやりたいって若い人に会うと、
たいていは、
自分が撮っているものが何か、
あんまり整理できていないですよね。
昔のぼくと一緒なんです。
いったい自分が何を撮っているのか、
何を撮りたいのか。
──
それを、技術とかメソッドの話なら、
たとえ五里霧中でも、
方向性は示すことができるだろうと。
伊丹
ぼくが若い人に写真を見てほしいと
言われたときは、
「写真で言いたそうなこと」を探る、
という見方は
なるべくしないようにしています。
縦位置が多いなとか、
水平・垂直のラインが強いなあとか、
ピントをここに置くのかとか、
なるべく技術的なことや、
構築的な観点から写真を理解しています。
「物語」とか「意味」とかじゃなく、
もっと単純に
「絵」を見るようにしています。
──
なるほど。
伊丹
あの「テレビの脇の壁の写真」で言ったら、
ああ、テレビの画面だ、壁だ、
そこにたわんだ紙がペタっとくっついている、
すぐ隣は別の部屋につながっていて‥‥
というように、そこから想起する意味とか
物語のほうに、
なるべく引っ張られないように見ています。
そうではなく、画面を構成する色や、光、
面とか線という構成要素が
どうなっているのかを中心に見ているんです。

伊丹豪 伊丹豪

──
画家の山口晃さんにインタビューしたときに、
同じようなことをおっしゃってました。
山口さんは、
「意味を外す」と表現していたんですけれど、
つまりストーブならストーブを描くときも、
対象を「前景化」させない、
優劣をつけず、
他のすべての背景と等価に、「平坦」に見る。
そのようすを絵に描いているんです‥‥って。
伊丹
まったく同じです。考えかたとしては。
──
ぼくなんかが、あの光景を撮れと言われたら、
たぶん物体としていちばん大きくて、
存在感のあるテレビを主役にする気がします。
でも、「意味を外す」場合には、そうしない。
「中心」と「周縁」にわけずに、
つまり、すべてをフラットに表現していくと。
伊丹
無責任なんですけど、
たぶん、自分の仕事はそこまでなんですよね。
目の前を、できるかぎりフラットに表現する。
その中の何に反応するかは、見る人次第で。
──
中心と周縁‥‥というテーマって、
いわゆるポストモダン的な発想なんですかね。
伊丹
よく知らないです。
──
じゃ、現代思想とかとは関係なく、
伊丹さんが、写真というものを考えていたら、
たどりついたんですか。
伊丹
そうですね。すべてにピントを合わせた写真、
というだけなら、
昔からいろんな人がやっていますから。
有名なところでは、グルスキーもそうですし。
──
ああ、なるほど。
伊丹
前作の『photocopy』という写真集は、
カメラを持って、何年も、
東京をフラフラ歩いて撮ったスナップ集で、
その後、これ以上東京を撮り続けてても、
『photocopy』と
大差ないものしかできないだろうなあって
思うようになったんですね。
──
ええ。
伊丹
それが2018年とかで、
当時は東京オリンピック開催に向けて、
東京という街が、
すこしずつ盛り上がってきていました。
でも、ぼくは、
どうしてもその波に乗き切れなかった。
──
なるほど。
伊丹
まだ新型コロナが来る前でしたけど、
自分の中では、
「次も東京」とは、思えなかったんです。
実際、自分は神奈川県に住んでいるので、
ちょっと外れたところから、
中心を眺めている感じも、ずっとあって。
──
ええ。
伊丹
それは
「美術」における「写真」の位置も似てて、
「世界」における「日本」の位置もそうで、
ようするに、自分のいるところが、
いつも「周縁」だった気がしているんです。
ずーっと中心にいなかった‥‥っていうか。
──
中心と周縁に気持ちが向くのは、
そういう伊丹さんの半生も関係してるかも、
ということですか。
伊丹
写真界というものがあるとして、
そこでも自分は、
中心ではなくて外れたところにいるんです。
でも、周縁にいるから考えるようなことが、
それなりに、あるんです。
それは
自分の写真に置き換えることができるなと。
──
写真において見過ごされてしまうもの、
ピントが合ってないから
見えないようにさせられているものを、
伊丹さんの写真では、拾い上げている。
おもしろいなあと思います。
中心と周縁みたいな話をするときって、
周縁にも光を当てよう、
虐げられてた人たちの権利を認めようとか、
そういう文脈で語られることが
多いと思うんですけど、
伊丹さんにも、
そんなような気持ちがあるってことですか。
伊丹
まあ、ゼロじゃないけど、
それを言うのはおこがましいと思ってます。
もっと単純に、
現場で見えていなかったものを拾っていく、
それがおもしろいんです。
──
なるほど。
伊丹
見えるもの、わかってるものだけじゃなく、
その「周縁」で
光の当たっていないものも含めて豊かさだ、
みたいな感覚もありますね。
──
現場では見えなかったものを、
事後的に、写真の中に発見する経験って、
どういう感じなんですか。
伊丹
興奮しますよ。もう、単純に。うわあって。

伊丹豪 伊丹豪

(つづきます)

2022-11-03-THU

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  • 新しいレーベル、新しい写真集。
    伊丹豪さんの新しい活動に注目。

    まずは「ご自身のレーベル」がスタート。
    セルフパブリッシングのほかに、
    インターネットサイト上で
    「世界中のさまざまな人々と対話していく」
    とのことで、コンテンツも準備中のよう。
    伊丹さん、写真を中心としながらも、
    いろんな可能性を広げていきそうですね。
    画像は、その新レーベルから出版される
    第1弾作品集の書影です。
    詳しくは公式サイトでチェックを。
    また11月には、版元RONDADEから
    新しい作品集『DonQuixote』が出版予定。
    さらに12月2日(金)〜来年1/29(日)、
    新宿のCAVE.TOKYOで同名の個展を開催。
    会場構成は、アートプロジェクトを
    様々手掛けてきた、大阪のdot archtects!
    伊丹さん、いろんな挑戦をしてるんだな。
    大いに刺激を受けました。

    特集 写真家が向き合っているもの。

    001 浅田政志/家族

    002 兼子裕代/歌う人

    003 山内悠/見えない世界

    004 竹沢うるま/COVID-19

    005 大森克己/ピント

    006 田附勝+石内都/時間

    007 森山大道/荒野

    008  藤井保+瀧本幹也/師と弟子。

    009 奥山由之/わからない/気持ち。

    010 中井菜央+田附勝+佐藤雅一/雪。

    011 本城直季/街。

    012 伊丹豪 中心と周縁

    013 自由 平間至

    特集 写真家が向き合っているもの。

    001 浅田政志/家族

    002 兼子裕代/歌う人

    003 山内悠/見えない世界

    004 竹沢うるま/COVID-19

    005 大森克己/ピント

    006 田附勝+石内都/時間

    007 森山大道/荒野

    008  藤井保+瀧本幹也/師と弟子。

    009 奥山由之/わからない/気持ち。

    010 中井菜央+田附勝+佐藤雅一/雪。

    本城直季/街。

    伊丹豪 中心と周縁

    013 自由 平間至