読売ジャイアンツの監督に復帰した原さんが、
5年ぶり37度目のセ・リーグ優勝に導きました。
いつもなら開幕前の春季キャンプを
糸井重里が訪ねることが恒例でしたが、
「今年のジャイアンツは特におもしろかったから」
と、秋の宮崎キャンプに初めてお邪魔しました。
2019年、監督がうれし涙を流したリーグ優勝と、
思うように戦えなかった日本シリーズ。
強さと弱さを見せた今年のジャイアンツは、
いつだってピンチが前提というチームでした。
「接戦上等」で戦い抜いた勝負師との対談を、
宮崎キャンプ名物「原タワー」からお届けします。

>原 辰徳 プロフィール

原 辰徳(はら・たつのり)

1958年生まれ。読売ジャイアンツ監督。
東海大相模高校の中心選手として甲子園に四度出場。
東海大学時代は2度の三冠王に輝く。
1980年、4球団の競合の末、
ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。
1995年に引退するまで、巨人の四番を担う。
新人王(1981年)、打点王(1983年)、
MVP(1983年)、
最多勝利打点(1982年、1983年)、
ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞2回。
2002年、読売ジャイアンツの監督に就任。
2003年オフにチームを離れるも
2006年から再びチームを率い、
通算12年中、8度のリーグ制覇、
3度の日本一に輝く。
2009年に開催された第2回WBCでは
日本代表チームの監督を務め、大会2連覇へ導いた。
2019年、読売ジャイアンツの監督に三度就任し、
チーム5年ぶりの優勝を成し遂げた。

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第2回 怖いものなし、が原点。

糸井
原さんはシーズン中に、
「よだれを垂らしながらいかないと」
とおっしゃっていましたよね。
(3月31日の広島戦で1点リードの8回から
勝ちパターンの投手として登板したものの、
1アウトも取れずに降板した桜井俊貴投手へのコメント)
記憶に残るセリフでしたけれど、
これもいわば「接戦上等」と同じことですよね。
えっへっへ。
マウンドは自分の演じる場所ですから。
それなのにさ、よだれ垂らして行かないで
何しに行くの? と思って。
ビクビクしながらマウンドに行くんなら、
それはもう行かないほうがいいだろう。
糸井
プロは、稼ぎに行っているわけだから。
若い選手が「接戦上等」と言えるまでには、
何が必要なんでしょうか。
阿部(慎之助)さんみたいなベテランだったら、
経験があるからわかるでしょうけど。
ぼくが思うに、ベテラン・若手ではなくて、
その選手の核というか、要するに、
その人が持っている器だと思いますね。
糸井
こんぺい糖の真ん中のところだ。

年齢、あるいは経験、
そういうもので培われることも多少はあるでしょう。
でも、本質的には、その人の持っている器があれば、
糸井さんのおっしゃる「接戦上等」を理解して、
勇敢に戦っていくでしょうね。
糸井
闘争心みたいなことと
考えてもいいのでしょうか。
闘争心というのとは、また違うような。
糸井
では、なんでしょうかね。
ポジティブさですか。
あ、ポジティブに考えることは大事だと思います。
それと、自分を疑わないこと。
自分を疑って試合に臨む、
結果が出ていないのに結果のことを考える、
それはいけません。
糸井
うんうんうん。
練習のときにはね、
疑心というものは多少あってもいいですよ。
「なぜかな? なぜかな?」と考えて
「あぁ、こうだからだ!」とわかるから。
糸井
問題意識ですね。
それでも試合になったらね、
自分を疑う心がある選手というのは、
プレッシャーかかって辛い想いをするだけ。
糸井
今年、打たれたピッチャーを
首脳陣が全然責めませんでしたよね。
降板したピッチャーに対して、
「あっ、俺はやっぱりダメなんだ」
みたいに思わせないことが、
チームとしてうまくいった感じがします。
本当に自分を疑った人たちが
集まったチームというのは弱いですよ。
それはイコール、
チームを疑っているわけですから。
糸井
うんうんうん。
自分やチームを疑わないで、
「ようし!」と、ワンゲームの2時間半、3時間、
このときぐらいは何も疑うことなく、
戦いに臨むというのが必要でしょう。
自信満々ということではないけれども。
糸井
違いますね。
そういう気持ちで、
「ようし、人事を尽くしたぜ。あとは天命だ」
というくらいの状態で試合に臨ませること、
これが大事だと思いますね。
糸井
「陰」を見るのか、
「陽」を見るのかの違いもありますね。
「陰」なんていうものはね、
出たときに考えりゃいいんですよ。
失敗なんか、起こったら考えればいい。
しかしね、伸びてこない選手っていうのは、
失敗が起きる前から考えてしまうんです。
糸井
光が強いほど、影も濃くなりますもんね。
ですです、ですです。
悪いことはね、
起きたときに考えりゃあいいんです。

糸井
そこでいくと、
“原辰徳”という選手はどうでしたか。
ぼくは心配性な選手のときもありました。
でも、怖いものなしでうまくいっている、
すごい時期ってあるじゃないですか。
ぼくは、そこが原点なんですよね。
糸井
「俺はあそこまで行けたんだ」という。
だから、失敗なんて怖くもなんともない。
失敗が怖いと思うときは、
自分を疑っているということですからね。
糸井
監督になってからは、その気持ちが
もっと強くなったんじゃないですか。
監督として経験してきた中で、
悪いことは、悪いことが起きたら考えようと。
悪いことも起きていないのに、
悪いことが起きたかのようにミーティングしたり、
教育と称して伝えたりしてもね、
決していいものは残らないような気がしますね。
糸井
ちょっと利口そうに見えるんですよね。
勝負の世界だから、状況として、
いいことと悪いことの、どっちかが出るわけです。
当然、悪いほうが出ないように戦うけれども、
悪いほうに出てしまったとしても、
それに対して、とやかく言っても仕方がない。
ゲームが終わった後だとか、
あるいはゲーム中であっても過去のことですから。
それはたとえ3分前でも過去のことなんです。
糸井
そうですね。
失敗に対しては(ポン、ポンと膝を2回叩いて)
「次、こうしようか!」って。
「あのときもこうだったろう? 
だから、今度はこうしていこうか」
ということだけを伝えるだけなんです。
そうじゃなきゃ監督なんかやってられませんよ。
糸井
そうでしょうね。
痩せちゃったりしますよね(笑)。
心配事ばっかり考えていたらね、
チームを引っ張っていく、あるいは、
チームを操縦していくというのは難しいです。
糸井
負け試合のときの原さんが
よく画面に映るんですけど、明るいですよね。
あ、そうですか(笑)。
糸井
本当にどう思っているかは知りませんけど、
少なくとも「また明日だね」という感じが
画面から伝わってくるんです。
ぼくは記者会見だって、
勝っても負けてもやりますしね。
糸井
見事にやってますね。
肝心な部分は、はぐらかすし(笑)。
(笑)

(つづきます)

2019-12-26-THU

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  • 取材協力・タイトルの写真:
    スポーツ報知(LINEでジャイアンツ情報配信中)