こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
かつて、読者のおだやかな日常に、
静かなつむじ風を巻き起こした
「巴山くんの蘇鉄」
というコンテンツがありました。
ウンともスンとも言わない蘇鉄の種に
数ヶ月も水をやり続けた青年が、
もの言わぬ蘇鉄の種に導かれるように、
人生を切り拓く‥‥そんな実話です。
あれから数年。
巴山くんから、連絡が来ました。
人生の転機が訪れているようすです。
そこで、取材とも決めず、
久しぶりに、会いに行ってきました。
思いもよらない展開が、
ぼくを待ち受けているとも知らずに。

>巴山くんのプロフィール

巴山将来(はやま・まさき)

1985年生まれ。
和田ラヂヲ先生をはじめ
そうそうたるギャグ漫画家を集めた
「ギャグ漫画家大喜利バトル」
を開催してみたり、
尊敬するロビン西先生の
『ソウル・フラワー・トレイン』を
映画化すべく奔走したり、
線の細い見た目や
後ろへ後ろへと引き下がる物腰とは
うらはらに、
大変、思い切りのいいことをする人。
2015年、ハヤマックス名義で、
ギャグマンガ家として鮮烈デビュー。
ヤングアニマルで
「ハヤマックスのスキマックス」を
今でもスキマ連載中。

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第2回 公文式が辞められない。

──
ハヤマくん、公文を習っていたと。
でも、それがどうかしたんですか。
ハヤマ
ぼくが生まれ育ったのは商店街で、
商売人の家が多かったんです。
そこで、あるていどの歳になると、
近所の子どもたちは、
こぞって公文に行かされてまして。
──
ご実家、パン屋さんでしたっけ。
ハヤマ
そう、あんまり小さいころに
子どもだけで留守番させてても危ないし、
みんなも公文行ってるし、
おまえも行っておいでみたいに。
──
なるほど。
ハヤマ
ただ、それくらいの感じなので、
学校に上がるくらいの歳になると、
みんな、辞めていくんですよ。
幼稚園で入って小1小2とかで。
──
あ、そんなですか。
ハヤマ
でも、ぼくは、ずっとやってまして。
──
へえ。なんでです?
ハヤマ
せっかく親が通わせてくれたものを、
自分から「辞める」って
言ってはいけないと思ってたんです。
──
両親が「もう辞めろ」と言うまでは、
辞められないと思っていた?
ハヤマ
自ら「辞める」と言っていいなんて、
知らなかったんです。

──
まわりの友だちは、
小1小2でバタバタ辞めていくのに?
ハヤマ
みんななんでいなくなったんだろうと
思ってたくらいです。
──
ハハハハ‥‥はあ(笑)。
ハヤマ
だから、だいぶ「いい年」になるまで
公文に通ってたんです、ぼく。
──
いい年‥‥って、何歳?
ハヤマ
小6とか。
──
それって公文界では「いい年」なんだ。
ハヤマ
少なくとも、ぼくの実家のあたりでは
異例の年齢でした。
──
「異例の年齢」(笑)。
ハヤマ
商売やってる家の、幼稚園から
小2くらいまでの子どもらが通うのが
公文である‥‥という土地柄で、
アタマ5個とか6個分とびぬけた‥‥。
──
小学6年生が。
ハヤマ
なにしろキャリアがぜんぜん違うので、
かなり難しい問題も解いてました。
計算式の中に、XとYだけじゃなくて、
5個くらい
アルファベットが入ってるようなのを、
猛烈に解いていたんです。

──
すごいじゃないですか。
ハヤマ
難易度も、A、B、Cからはじまって、
G、H、Iくらいまではいっていて。
──
それって、極めてるってこと?
ハヤマ
そうですね、恥ずかしながら。
──
恥ずかしくはないでしょうが(笑)。
ハヤマ
でも、あの当時、まわりから見たら、
「なんであいつ、
いつまで公文やってんねん?」って。
だって、みんな、サッサと卒業して、
野球だサッカーだバスケだと、
好きなクラブを見つけていくんです。
──
それが、ひとりだけ公文に残って。
なんだかんだ言って、
楽しかったんじゃないでしょうか。
ハヤマ
いや‥‥楽しいって言うより‥‥
同年代の友人もいませんでしたし。
何度も言いますが、
ただただ、
辞める方法を知らなかったんです。
──
それで、ズルズル続けてしまった。
ハヤマ
同じようなことは食事のときも‥‥
そのぅ、ぼく、昔、
めちゃくちゃ太ってたんですよ。

──
え、今ガリガリですけど?
ハヤマ
それも、ぼくは「もう、お腹いっぱい」
って言っちゃダメだと思ってて。
──
えーっと、つまり、出されるがままに、
無理やり食べ続けていた?
ハヤマ
はい。
──
まわりの大人は、そのことを知らずに
「この子はよく食べる子だなあ」
みたいな感じだったってことですか?
ハヤマ
そうかもしれません。
とにかく一人暮らしをするようになって、
食べたい分だけ食べて、
お腹が一杯になったら
もう食べなくていいんだって知ったら、
みるみる痩せていったんです。
──
ハヤマくん‥‥変わってる‥‥。
前々から思ってはいたけど‥‥。
ハヤマ
おかげで昔は、完全に肥満児でした。
それは肥満届をもらうほどに。
──
肥満届。
ハヤマ
あなたは肥満ですというお知らせです。
小学4年のときに、先生から
「これをお父さんかお母さんに渡して」
と、手紙をもらったんです。
──
ええ。
ハヤマ
で、その文面を読み終えた母親が、
そっと手紙を閉じ、
「月曜は、はやめに学校行き」と。
──
いつもより、はやめに。
ハヤマ
月曜日の朝って、全校朝礼があったんです。
なので「‥‥表彰式だな」
と、子ども心に「ピン!」ときました。
全校生徒の前で、何かの受賞をした人が
賞状をもらうみたいな時間があったんです。
ぼくはそんなのとは無縁の人生だったんで、
ずーっと憧れがありまして。
それで「うわー、やった! アレや!」と。
──
俺にもついに、このときが来たかと。
ハヤマ
そうなんです。
「これは何かで表彰されるな。絵かな」
「はやく行く理由は、リハーサルかな」
と、ドキドキしながら登校したんです。
──
ええ。
ハヤマ
そしたら、
体育教師が校門で待ちかまえてまして、
「ハヤマ、校庭に出ろ」と。
──
おお! ‥‥体育教師?
ハヤマ
言わるがまま校庭に出てみると、
すでに数人の生徒が集まっていました。
それが全員、太ってるんです。

──
ええーっと?
ハヤマ
校長先生と体育教師のとなりに
スーツを着た見慣れない人が立っていて、
「全国健康ナントカ委員会の調査で、
今回対象者となったみなさんに、
健康改善プログラムを、
本日より、おこなっていただきます」
とか言い出して。
──
健康改善‥‥すなわち「痩せろ」と?
ハヤマ
それって何ですかと質問する暇もなく、
鬼のような体育教師が、
「おまえら体操着に着替えて来い」と。
ポカーンとしてたら
「はやく行け!」と怒鳴られて。
──
わあ。
ハヤマ
「絵の表彰じゃなければいったい何?」
と動揺しながら着替えて戻ると、
「この曲が終わるまで校庭を走れ」と。
徒競走みたいな曲あるじゃないですか。
──
「クシコス・ポスト」とかかなあ。
ハヤマ
そんなのがパンパカ流れるなか、
デブばっかりが、
校庭をグルグル走らされて‥‥。
──
それで痩せるとも思えないけど。
ハヤマ
はい、まったく痩せなかったし、
クラスメイトにしてみたら、
登校したら、陽気なリズムに乗せて、
大勢のデブたちが
校庭をグルグル回っているわけです。
みんな、大爆笑していました。
──
はああ。
ハヤマ
校舎から「おいデブ、がんばれよ!」
みたいな野次が聞こえてきたので、
見ると、クラスの友だちが、
窓から身を乗り出してぼくらを指差し、
腹を抱えて笑っていました。
そのときハッキリ自覚したんです。
「自分はデブやったんやな」と。
──
でも、そんな目に遭わされてるのに、
家では相変わらず
「もう、お腹いっぱい」と言えずに?
ハヤマ
出されるがまま、食べ続けていました。
でも、思春期になったら
「太っていてバカにされて悔しい」と
思うようになったんです。
──
恋もするしね。
ハヤマ
なので、
夜、人知れず、走ったりしてました。
通信販売でコッソリ買った
サウナスーツみたいなのを着込んで。
──
毎食、お腹いっぱい食べる一方で。
ハヤマ
母親が「こんな時間にどこ行くん?」
とか聞いてくるんですけど、
難しい年ごろなんで
「ああ」とか言って誤魔化していて。
──
うっせーな、みたいな感じでね。
ハヤマ
でも、いま思い返せば、そのスーツ、
背中にデカデカと
「DIET」と書いてあったんです。

──
わはは! バレバレじゃないですか。
ハヤマ
たぶん親も察しがついたと思います。
──
ご両親や世間に対して、
高らかに宣言しながら走ってたんだ。
わたしは痩せてみせます‥‥と。
ハヤマ
そうなんです。

(話の来し方も行く末も見えない‥‥
次回へつづく)

2019-08-27-TUE

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