ある分野を深く、深く研究する人がいます。
その人たちは「研究者」と呼ばれ、
おどろくべき知識量と、なみはずれた集中力と、
こどものような好奇心をもって、
現実と想像の世界を自由に行き来します。
流行にまどわされず、批判をおそれず、
毎日たくさんのことを考えつづける研究者たち。
ほぼ日サイエンスフェローの早野龍五は、
そんな研究者たちのことを敬意をこめて
「オタクですよ(笑)」といいます。
世界中のユニークな研究者と早野の対談から、
そのマニアックで突きぬけた世界を、
たっぷり、じっくりご紹介していきます。

>森重文さんってどんな人?

森重文 プロフィール画像

森重文(もり・しげふみ)

数学者。専門は代数幾何学。

1951年、名古屋市生まれ。
京都大学理学部卒業。
同大学院修了。理学博士。
京都大学高等研究院院長・特別教授、
京都大学名誉教授。

76年に隅広秀康氏と共同研究し、
「三次元のハーツホーン予想」解決、
79年に「ハーツホーン予想」解決
(有理曲線存在定理)。
1988年に「三次元フリップ予想」解決、
「三次元極小モデル問題」を解決。
1990年に代数幾何学での功績が認められ、
日本人3人目の「フィールズ賞」を受賞する。

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第2回 ロールケーキの思い出。

早野
数学が得意ということには、
ご自身でいつ気づかれたんですか?
得意かどうかは別にして、
小学校3、4年くらいのときに、
両親が共働きだったので、
放課後に学習塾みたいなところに
通っていたんです。
そこでの成績はそこそこ。
テストで上位に入るということも、
ほとんどありませんでした。
早野
ほう。
そんなある日、
塾の先生がある問題を出したんです。
たぶん、つるかめ算だったと思います。
ふだん、成績がいい子は
部屋に名前が貼り出されるんですが、
そのときは先生が
「解けた人はこれをあげる」といって
ロールケーキを取り出した。

早野
ロールケーキ? それは、なぜ?
それが意外とよく考えられていて、
ロールケーキなら正解者が何人でも、
等分に切りわけられる。
早野
ああ、なるほど(笑)。
それで、ふだんなら適当にやるんですが、
そのときはたまたま食い意地が出て、
やる気になった。
そしたら問題が解けてしまった。
しかも解いたのは、ぼくひとり。
乗組員A
おぉーー!
乗組員B
ケーキ、ひとり占め!
ただし、それはそれで
先生は心配するわけです。
いきなりロールケーキを家に持って帰っても、
親は不思議に思うだろうと。
つまり、そう思われても
仕方ないような成績だった(笑)。
早野
あははは。
それで先生が家まで送ってくれて、
親にちゃんと事情を説明してくれたんです。
「解けたのはひとりだけだったんです」って。
そうしたら親がすごくほめてくれてね。
それがすごくうれしかった。
早野
あぁ、それはうれしいですね。
そのことはいまでも覚えてます。
早野
そこから数学が好きになったんですか?
そういうわけでもないんですが、
そのできごとがあったことで、
どこかで「数学はできる」という
自信がついたんだと思います。

早野
いまのが小学生のときの話で、
そのあと急にどこかで
数学の成績が伸びたわけですよね。
高校生になってからですね。
高校で急によくなった。
早野
それは好きだから伸びたのか、
伸びたから好きになったのか‥‥。
どっちもだと思いますよ。
それで、高校1年のときに
たまたま『大学への数学』という
雑誌を手にしたんです。
早野
大学受験生向けの雑誌ですよね。
そう。そこに載ってた問題を見たら、
案外解くことができた。
それで数学に興味が出てきて。
早野
いまの『大学への数学』の話、
いまでは伝説的に語られてますよね。
ほぼ毎回、全国トップだったそうで。
まあ、どうなんでしょうね。
私はよく知りませんが。
乗組員A
(挙手)すみません、
その『大学への数学』というのは、
どういう雑誌なんですか?
いまもまだあると思いますが、
当時『大学への数学』という
数学をあつかう月刊誌があったんです。
巻末に「学力コンテスト」があって、
その問題を解いて投函すると、
編集部の人がコメント付きで
採点してくれるんです。
乗組員A
へぇーー。
それが非常にちゃんとしたコメントで、
そのコメントに励まされたり、
まちがいを諭されたりしているうちに、
どんどん数学が好きになっていきました。
早野
補足しておきますが、
その雑誌の学力コンテストは、
高校レベルでは最高の難易度です。
そこで森先生は、
毎月ほぼ満点の「伝説の人」でした。
乗組員A
へぇーーー!
乗組員B
はぁぁ‥‥。
早野
そんな伝説の高校生も
大学受験をするわけですが、
森先生のときは
東大受験が中止になった年ですよね。
そうでしたね。
学生運動がいちばん活発なときで、
東大の入試が中止になりました。
早野
それがなかったら東大に行かれてた?
合格したかどうかはともかく、
受験はしたと思います。
当時は大学にこだわりはなくて、
「数学をもっと知りたい」くらいしか
思ってなかったので。
早野
それで京大に進まれた。
まあ、京大に入ったのはいいけど、
入学式に全共闘なんかが突入してきて、
式も1分くらいで終わっちゃいました。
早野
はぁぁ、そういう時代ですか。
すべてそういう調子でしたね。
教養部も封鎖されていたので、
4月になっても授業がないんです。
だから実家に帰っちゃう人がいたり。
早野
先生はどうされたんですか。
私は数学をやりたかっただけなので、
帰るとか、大学をやめるとかはなかった。
それで同級生のなかに
「数学をやりたい」という人がいたので、
その彼と自主ゼミをやることにしました。
早野
数学のどの分野に進むというのは、
大学生のときにすでにあったんですか。

4年生になる頃には
「代数幾何」をやろうとは思っていました。
早野
「代数幾何」というのは、
森先生の研究分野でもあるわけですが、
数学と縁のない生活をしている人は
「代数幾何」と聞いてもパッとわからない、
でしょう?
乗組員A
わかりません。
乗組員B
わかりません。
なるほど。
早野
そもそも「代数幾何」というのは、
いったいどういう数学なんでしょうか?

(つづきます)

2019-09-27-FRI

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