いま日本でいちばん寄席に出ている、
と言われているのが
「紙切り」の林家正楽師匠です。
たしかに、寄席に行ったら
かなりの確率でお見かけしますし、
実際ほぼ毎日、
どこかの高座に上がっているそうです。
それも浅草、上野、新宿、池袋‥‥
一日にいくつもかけもちで。
理由はかんたん、寄席が、紙切りが、
「楽しくてしょうがない!」から。
本当にうれしそうにお話くださる
正楽師匠に、
元気をもらって帰ってきました。
担当は、ほぼ日の奥野です。どうぞ。

>林家正楽さんのプロフィール

林家 正楽(はやしや しょうらく)

1948年1月17日、東京都目黒区生まれ。1966(昭和41)年、二代目林家正楽に入門。芸名は「一楽」。1988(昭和63)年、「林家小正楽」を襲名。2000(平成12)年9月、三代目「林家正楽」を襲名。寄席紙切りの第一人者。気負いを見せない淡々とした芸で、客の注文に応じて、確実にそして綺麗に切り抜いていく。短いが洒落の利いた言葉の数々、注文から出来上がりまでの流れの組み立てなど、そのセンスの良さと共に今後の活躍が期待されている。出囃子は、琉球節。「日本でいちばん元気な紙切りです」

前へ目次ページへ次へ

第2回 切りやすいのは、命あるもの。

──
2代目の林家正楽師匠からの教えで、
いまでも覚えていることって、
たとえば、どういうことでしょうか。
正楽
うん、もうね、紙切りだけじゃなくて、
それはそれは
いろんなことを教えていただきました。
とにかく寄席の芸人というのは
寄席に出ていない芸人とはちがうんだ、
ということはよく言われたね。
──
そうですか。
正楽
うちの師匠は、
あまり細かいことは言わない人だけど、
何ていうの‥‥
師匠には似合わない言葉なんだけど、
「品がなくちゃいけない」
「綺麗じゃなきゃダメだ」とか、
そういうことはよく言われましたよね。
──
芸というものには、品が欠かせない?
正楽
そうなんでしょう。
この歳になってよく思うんですけどね、
芸というのは、
わざと笑わせる必要なんかないんです。
──
お、おおー‥‥!
正楽
そうでしょう。
その人がこれまで培ってきた芸を見て、
「ああ、いいな」
と思っていただければ、いいんだよね。
──
無理やりに笑わせなくたって。
正楽
そんな必要は、ないんだね。
自然に笑えるもの‥‥がいいんですよ。
落語でも何でもね。
寄席以外の世界で、
無理に笑わせよう笑わせようというの、
いま、けっこう多いでしょ?
──
そうかもしれません。
正楽
それは、要らないんですよ。
自然に出る笑い、
ふつうに暮らしていて出てくる笑いで、
わたしは、いいんだと思う。
──
寄席の雰囲気ですね、それはまさに。
正楽
もちろんね、
すぐ笑いたいお客さんが多かったら
こっちも
「はやく笑わせなきゃ」となります。
それは、しょうがない。
でも、それだけになっちゃいけない。
──
はい。
正楽
紙切りというのは、
別に芸術でも何でもないわけですし、
来てくれたお客さんに
少しでも
よころんでもらいたいなと思ってる。
だから、ほんのちょっぴり、
ふだんより大きな声出したり(笑)、
それくらいはやりますけど。
──
高座でよろこんでもらえるまでには、
大変な修行があるんでしょうね。
正楽
それは、わたしだけじゃなくってさ、
曲芸の人だって何だって、
ほら、失敗しちゃダメなんだもんね。
土瓶とか毬を落とさないために、
お客さんのいないとこで、
毎日毎日、あれ、稽古してるんだよ。
──
そうなんですよね。
正楽
大変でしょ?
──
はい。太神楽の翁家社中のふたりに
先日、お話をうかがって‥‥。
正楽
ああ、能天気そうにやってるけどね、
陰じゃ大変だーって言ってたでしょ。
──
はじめのうち、和助さんは、
あんまり本番で落としちゃうんで、
1回につき1000円、
師匠に取られてたんだそうです(笑)。
半年後にバイクを盗まれたとき、
師匠が、それまでの「積立」を出して、
「これで買え」って
返してくれたそうなんですけど、
それが「18万円」もあったそうです。
正楽
うん。そういう下積みがあるんだよね。
このごろ少し元気ないんだよな、和助。
何か、悩みでもあるのかな。
──
インタビューのときは、
ずっとしゃべってらっしゃいましたが。
ひとりで。
正楽
うるさいんだよ。
──
ふふふ(笑)。
正楽
コロナの前までは
よく打ち上げがあったもんだけどねえ、
あいつ、
ひとりでしゃべって、ひとりで騒いで。
──
ああ、そうなんですか。
正楽
挙げ句、ひとりで寝てね(笑)。
──
ぜんぶ、ひとりで完結してる(笑)。
神事に源を発する太神楽についての
おふたりのお話、
本当におもしろかったです。
正楽
太神楽曲芸で和助の上っていったら、
もう、
ボンボン(ブラザース)さんだしね。
──
はい、おっしゃってました。
和助さんの「イッコ上の先輩」って、
昨年、亡くなられた
「53歳上」の
鏡味仙三郎さんなんですよ‥‥って。
正楽
ボンボンさんのすぐ下の、ね。
鏡味仙三郎・仙之助という名人でね。
ぼくよりも、
ふたつ上とひとつ上のコンビだった。
そのふたりが、もう何十年も
「いちばんの若手」だったんだよね。
──
正楽師匠が若手だったとき、
2代目の正楽師匠に弟子入りされて、
どういった
紙切り修行をなされたんですか。
紙を切るコツとかですか、たとえば。
正楽
いやいや、そんなものは
いっさい教えてくれませんでしたね。
で、こっちも、聞かなかった。
──
あ、そうなんですか。
教えてくれないし、聞いてもいない。
正楽
人にものを聞くのが嫌いでね(笑)。
もちろん師匠は、
こっちから聞いたことにたいしては、
ぜんぶ答えてくれるんだけど。
でも、わたしは聞かなかった。
最初の最初は、
師匠が「馬」を切ってくれたんです。
──
目の前で?
正楽
目の前でなんか切ってくれませんよ。
──
くれないんですか。
正楽
うん、くれないの。
師匠が切ってきたのをぽんと置いて、
「このとおりに切ってきなさい」と。
ひとつだけ、
「絶対に下書きを描くんじゃないよ」
ということだけ言われて。
──
ええーっと、つまり、
「切り方」なんかもわからないのに、
「完成形」だけ見せられて。
正楽
そうそう。
でも、「どうやって切るんですか?」
なんて聞きませんでした。
だって、寄席でさんざ見てますから。
鋏を使って、
こうやって切りゃいいわけでしょと。
──
自信があった?
正楽
うちへ帰って
見様見真似で切ってはみたんだけど、
ぜんぜん切れませんでしたねえ。
まったく馬のかたちにならないの。
はじめのうちは、
かたちにするまでは大変でしたね。
──
師匠の「完成形」だけを頼りに、
その道行きは、自分で切り拓いたと。
正楽
わたし、器用じゃないんですよ。
どっちかっていったら不器用なほう。
だから、苦労したと思います。
苦労ったって、これで生活しようと
勝手に決めたのは自分だから、
それで「辞めようか」なんてことは、
思ったことはないんだけどね。
──
会社づとめされながら‥‥ですよね。
はじめのうちは。
正楽
半年くらいかな。
土曜や日曜日に師匠のお宅へ行って、
切ってきた馬を見せて、
「ここがダメ」
「はい、もう一回」
ということを繰り返していたんです。
──
ずっと「馬」ばっかりで?
正楽
最初はね。
やっぱり、動きのあるもののほうが
切りやすいんですよ。
馬が終わったあとも、
とにかく「どうぶつ」ばっかり。
タヌキ、イヌ、ネコ、キリン、ゾウ。
基本は「どうぶつ」だった。
──
なるほど。人間は‥‥。
正楽
それから。どうぶつのあと。
ほら、どうしたって寄席の芸ですから、
町人の男と女とか、
侍とか、殿さま、お姫さまとかね。
その人その人によって、
「なり」が変わってくるわけでしょう。
──
はい、服装や髪型などなどが。
正楽
そのへんをおぼえたあとに、
ようやく、いわゆる「藤娘」だったり、
お芝居のなかの弁慶とか、
紙切りの定番のお題を、
一枚一枚、覚えていったんですよ。
──
昔から、なぜ人間は、どうぶつたちを
絵に描いたり人形にしたり、
つまり、
キャラクターにして愛でてきたのかと
素朴な疑問があったんですけど、
紙切りも
やっぱり「どうぶつ」から、でしたか。
正楽
うん。われわれ人間だって、
どうぶつの仲間なわけじゃないですか。
それどころか、
何だか生意気なことを言っているけど、
どうぶつの中でも大した部類じゃない。
こーんなにちっちゃい虫のほうが、
よっぽどすごい能力を持ってたり、
美しい外面を持ってたりするでしょう。
──
本当ですね。
正楽
だから人間は、えばっちゃいけないと
いつでも思ってますよ(笑)。
えばってる人間、
いっぱいいるじゃないですか、世の中。
今日もさ、電車に乗ってたら
4人掛けのところをひとりで幅取って。
──
よくないですね。
正楽
あんな人間よりも、
どうぶつや虫のほうを切りたいですよ。
もうね、ふんぞりかえった人間なんか、
切りたくない。
──
なるほど。
キライなものは、切れませんよね。
正楽
あとね、切る方にしてみると、
動いているもののほうが切りやすいの。
こっちも、元気に切れるし。
難しいのは「建物」だな。
あれは、かたちが決まってるじゃない。
──
ええ。
正楽
イヌだったら、前足の位置が
毎回ちがってても構わないわけでしょ。
ちょっと失敗しても、
別の場所で工夫すれば、なんとかなる。
──
ああ、そういうものですか。
正楽
うん、動きのあるものはね。
でも、東京タワーとか国会議事堂とか、
ごまかしようがない。
──
かたちが決まりきってるから。
正楽
そのとおりに切らなきゃいけないわけ。
それは、つまんない。で、大変。
動きあるもののほうが、ぼくはいいね。
──
生命が宿っているもののほうが‥‥。
正楽
いいですねえ。

(つづきます)

2022-12-27-TUE

前へ目次ページへ次へ
  • インタビューでも、寄席に出ることが、
    紙切りが
    「楽しくて仕方ない」とおっしゃって、
    ほぼ1年中、
    どこかの寄席に出ている林家正楽師匠。

    新しい年・2023年のお正月も、
    浅草演芸ホール、東洋館、
    上野の鈴本演芸場に、休まず出演予定。
    鈴本演芸場(3部)と
    浅草演芸ホール(4部)は、
    1月1日から10日までの毎日、
    東洋館(2部)は1日から5日まで
    (※1日と2日のみ2部でなく3部)。

    こう書くとややこしいので、
    落語協会さんをURLを貼り付けます。
    鈴本演芸場
    浅草演芸ホール
    東洋館

    この機会に、ぜひ、足をお運びください!

    ※インタビューの数日後、小林のり一さんがご逝去されました。
    心よりご冥福をお祈りいたします。

    撮影:中村圭介