糸井重里がこれまでにやってきた仕事には
いろんなジャンルがありますが、
やっぱり、いちばんの根っこには
コピーライターとしての経験が活きています。
「ほぼ日」の社内でもあまり語ってこなかった
自身の手がけた広告コピーについて、
糸井重里本人がたっぷり10本分を語りました。
訊き手は東京コピーライターズクラブの会長で、
糸井のコピー直撃世代でもある谷山雅計さん。
どんな状況でそのコピーが生まれたのかを、
なによりも大切にしたい糸井のコピー解説です。

※宣伝会議『アドバタイムズ』の企画記事を
「ほぼ日」編集バージョンでお届けします。

この対談の動画は 「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。この対談の動画は後日「ほぼ日の學校」で
ご覧いただけます。

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(3)「不思議、大好き。」

谷山
次にご紹介するコピーが西武百貨店の
「不思議、大好き。」がありまして、
その後に「おいしい生活。」が続きます。
その2本が連続していることは印象的でした。
糸井
はいはい。

1981 不思議、大好き。(西武百貨店)

谷山
ご本人の前で言うのもあれですけど、
1980年代のコピーライターブームの
真ん中にあったのが、
連続するこの2本だった気がするんです。
西武百貨店のお仕事は、
それ以前にも書いてらっしゃいますよね。
糸井
西武百貨店ではその前に
「じぶん、新発見。」もあったよね。
赤ちゃんが水泳してるポスター。
谷山
ありましたねえ、はいはいはい。
糸井
西武百貨店の仕事は、
浅葉克己さんとの仕事がほとんどなんです。
浅葉さんのキャリアに比べると
年の差が8つぐらいあって、
ぼくなんかは新人みたいなものです。
谷山
あ、けっこう離れているんですね。
糸井
浅葉さんはすでに、業界のスターだったんですよ。
そんな浅葉さんのさらに先輩というか、
先生にあたる場所に田中一光さんがいました。
田中一光さんは、西武の仕事で
堤清二さんとデザインや広告のやりとりをする時の、
言ってみれば千利休の役をしていたわけです。
浅葉さんは、田中一光さんに
ピックアップされた選手の1人で、
ほかにも山口はるみさんとか、
いろいろな人が西武の仕事をしていたんですよね。
浅葉さんがそこにぼくを入れたのか、
それが一光さんなのかもしれないんだけど、
「ちょこちょこっと出てきた
コピーライターいるじゃない?」
というのが、ぼくだったわけです。
谷山
「ちょこちょこっと出てきた」(笑)。
糸井
だってさ、最初に入った会社の社長から、
「おまえはなぁ、地方競馬出身だから」って
よく言われていたんだから。
谷山
前にも言ってらっしゃいましたねえ!
糸井
ぼくは褒められたような気がしてたんだけど、
べつに褒めてなかったなって、あとで気づくんです。
最近のSNSを見ていても、
何々の仕事をやっていたって名乗ってるみんなは、
たいした会社にいるんですよ。
電通だの博報堂だの何だのって会社名を言うと
「ああ、そうですか」って感心してもらえるの。
でも、ぼくは地方競馬なんで(笑)。
谷山
はい(笑)。
糸井
だから、仕事で「ああ、いいですね」っていうのを
作るしかないんで、ある意味で野心的なんですよ。
浅葉さんと最初に組んだ仕事も、
西武の仕事よりも前があるんですよね。
当時の松下電器の宣伝部は事業部制で、
他の部から予算をもらって仕事をしていたんです。
だから、広告賞を受賞することで
社内での仕事を受注したがっていたんですよね。
賞を取って箔をつけていくような時代に、
「イトイちゃん来ない?」って言われたのが‥‥。
谷山
「おねしょ」ですか?
糸井
それもあった。
それも、きっかけです。
谷山
「おねしょ」だけじゃ、若い方には通じませんね。
「100万人の、おねしょともだちへ。」という
新聞広告があったんです。
糸井
最初に浅葉さんと作ったのは、
「ゾウの脚。原寸大。」っていう
大型テレビの広告だったかな。
谷山
あっ、それでしたか。
糸井
松下電器の仕事は、企画から全部できたんです。
西武百貨店の「じぶん、新発見。」でも
プランナー的な仕事もやってましたよ。
コピーライターとして入ってるんだけど、
赤ちゃん水泳の場面を先に考えたの。
谷山
へえーっ、そうだったんですか。
その他のお仕事でも、
糸井さんがビジュアルのアイディアを
けっこう考えていたと聞いたことはあります。
糸井
仕事としてギャランティになるわけじゃないから、
ほんとは考える必要もないんだけど、
じれったいから出しちゃうんだよね。
「だったらさあ」って提案すると、
そのアイディアを実現するための資料が集まって、
もうコンテが書けちゃうんですよ。
そこにどんなコピーが入るといいかなって
考えるのが、自分の仕事の順番でした。
で、そういう時代の中だったけれど、
「不思議、大好き。」は
めずらしくコピーが先にできたんです。
谷山
へえー、そうでしたか。
糸井
西武百貨店の年間キャンペーンを頼まれて、
この年の夏の目玉は
エジプト展の開催だって話を聞いたんです。
その展示で、ピンとくるようなものを
年間でやった方がいいなっていうのが、
まず最初に思うことですよね。
その打ち合わせをしている時に、
世界の七不思議でやろうかって話したんです。
それから出てきたのが
「不思議、大好き。」っていうコピー。
いま覚えていることで言うと、
ピラミッドに行って、ピラミッドから降りてって、
アブシンベル神殿に行って、
その後はストーンヘンジとか、
そんなに追っかけきれないんだけどね。
でも、理屈できゅうきゅうとしてるものより
不思議の成分があった方がいいよねって、
デパートの広告として
それを年間テーマでやりましょうって話したんです。
思えば、30歳ぐらいの若造が、
そんなことをやりましょうって言って、
「そうですね」って言ってくれる
クライアントがすてきですよね。
谷山
それは堤清二さんがご判断されたわけですよね。
糸井
そうですね。
谷山
エジプト展がきっかけだったという話は
聞いたことがあるんですけども、
広告を見た時には、決してエジプト展だからとか、
そういうことは全然思わなかったんですよ。
当時の大学生が言うのもなんですが、
ものすごく時代を切り取った言葉を、
百貨店が腰を据えて言い出したなあって。
「私は不思議が大好きなんですよ」って
世の中に宣言してる感じがしたんです。
大学生だから、1回の広告だとか年間テーマだとか、
わかってるわけじゃなかったんですけどね。
今の若い人はどう思うかわかりませんが、
その時の二十歳ぐらいの人間からしたら、
「うわっ、すごい新しいことを言いはじめた!」
というのが感じられたんですよ。
糸井
この広告はね、秋山具義くんが、
通学途中の池袋駅に貼られる
西武のポスターを見るのが楽しみで、
デザイナーになろうと思ったって話してましたね。
谷山
「これもアリなんだ!」って感じが本当にしました。
1980年ごろって、漫画やお笑いみたいな、
いわゆるサブカルチャーと言われてきたものが、
勢いを持ってメインに変わっていく時代でしたよね。
それらと一緒に広告も変わってきて、
その広告の先頭がこれなんだって理解していました。
雑誌の『宝島』にも、忌野清志郎やYMOと並んで
糸井さんが同列で出てくるんですよ。
そういうことも含めて、
もう単純に「かっこいい!」って思ってました。
糸井
そういう時代だったのはあるだろうけど、
環境がないと仕事にはならないんでね。
その意味で、ちょっと余計にがんばらないと
西武百貨店の仕事は突破できなかったんですよね。
つまり、ぼくが大尊敬する土屋耕一さんが
伊勢丹の広告ですばらしい仕事を
ずっと作っていたんですよ。
ぼくとしては土屋さんと同じ土俵で
勝負しちゃいけないから。
谷山
当時大学生だったぼくとしては、
土屋さんの伊勢丹がズバリの時代ではなくて、
糸井さんの西武がズバリの時代なんで、
ちょっとわからないところもあるんですが。
糸井
同じラインだって思わせちゃったら
ぼくは勝てないんですよ。
ほら、ぼくは地方競馬出身だから(笑)。
谷山
(笑)
糸井
すばらしい先輩に教わってないから、
「これだったらいいよ」って言ってくれる人が
2人ぐらいいればもっと普通の広告が
作れたかもしれませんね。
ぼくの場合は、そういうことをやってたんじゃ
商売にならないから、もうお届けは早いし、
デザイナーと一緒に徹夜するし。
そんな仕事ばっかりしてましたよ。

谷山
土屋さんは1975年に伊勢丹で、
「なぜ年齢をきくの」っていうコピーを書いていて、
いまなら普通だよって思われるかもしれませんが、
1975年にデパートがそれを発信するのって、
けっこうすごいかもしれませんね。
糸井
それとか、1977年に伊勢丹の外の地下鉄の
大きいポスターに、赤ん坊の写真があって、
「ことし生まれた赤ちゃんが、
お嫁にいくのは21世紀です。」って
土屋さんのコピーが書いてあって、
ちょっとジーンとするんですよ。
谷山
なるほど。
糸井
土屋さんのやっていた仕事って、
すてきなノンフィクションなんですよ。
ぼくが書くのはフィクションに近いんですよね。
だって、日本のデパートの広告を作るのに、
エジプトに行っちゃうんだもん(笑)。
谷山
たしか、このコピーが出る前は
「不思議」っていう言葉は、
好きとか嫌いという対象じゃなかったというお話は
聞いたことがあるんですが。
糸井
不思議って字はさ、
ぐちゃぐちゃしてるのに、みんな読めますよね。
「不」はわかるだろうけど、
「思(し)」って、すっと出ないかもしれない。
みんなの読める難しい漢字が、
ここに乗っかっているっていうのは、
ロゴみたいにコピーを考えたい
ぼくからするといいなあって思うの。
谷山
なるほど。
糸井
「大好き」については、
スポーツ大好き少年とかっていう言い方で、
いくらでもありましたからね。
だから、「大好き」っていうのは簡単で、
さっきの「世界一」と同じで、
他からいただいてきた言葉なんですよ。
谷山
たしかに、「不思議」をじっと見てると、
ちょっとゲシュタルト崩壊を起こしそうな。
糸井
そうそうそう。
自分で書けないけれど、
誰でも「薔薇」って読めるのに近いよね。
「不思議」という字は誰でも読める。
そういう違和感がよかったんです。
谷山
実は糸井さんのコピーには、
漢字が多かったんですね。
糸井
やっぱり最後はデザインなんですよ。
ここではデザイナーも聞いている前で
お恥ずかしいんだけど、
コピーライターはデザイナーなんです、最後は。
考えてみれば、コピーっていうのは
言葉のデザインをしているわけですよね。
谷山
ぼくも、若い人たちにコピーを教える時に、
コピーはビジュアルであることを
忘れないようにいつも伝えていますよ。
意外に忘れちゃうんですよね。
つい意味だけでコピーを考えちゃって、
何を発しているかを忘れちゃうっていう‥‥。
ああっ、今日はぼくが話す会じゃないのに!

糸井
谷山くんはつい、
塾の先生みたいになっちゃうんだよ。
谷山
いやいや(笑)。
糸井
すっごいよねえ。

(この流れのまま次回は、
「おいしい生活。」へとつづきます)

2024-10-13-SUN

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