美術館の所蔵作品や
常設展示を拝見する不定期シリーズ、
第8弾は、DIC川村記念美術館さん。
専用の部屋にただ1点だけ飾られた
レンブラントの静かな迫力。
マーク・ロスコの7点の壁画に
囲まれるように鑑賞できる
通称ロスコ・ルームの、ドキドキ感。
モネ、シャガール、ピカソ‥‥から、
ポロック、コーネル、
フランク・ステラなどの現代美術も
たっぷり楽しめます。
都内からは少し距離があるので、
小旅行の気分で訪れてみてください。
庭園などもすばらしいし、
心が新しくなる感じが、するんです。
前田希世子さん、中村萌恵さん、
海谷紀衣さんに話をうかがいました。
担当は「ほぼ日」の奥野です。

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第5回 絵という営みの、長い旅。

──
マーク・ロスコは、
絵で世界中の人たちと通じ合いたいと
思っていたって話ですけど、
そういう人が、
ああいう絵を描いていたんですね。
前田
そうなんです。
──
これまで抽象絵画というものに対して、
ちょっと近寄り難いというか、
突き放されるようなイメージでしたが、
じわじわ親しみが湧いてきました。
いいお話を聞かせてもらったので、
これからは、
いつでもロスコさんの絵の扉を開けて、
入っていけそうな感じです。
前田
ふとしたきっかけで、
急に、作品と親しくなれることって、
ありますよね。
ロスコの購入を決めた
初代館長の川村勝巳も、
はじめは、
あまりピンときてなかったそうです。
──
あ、そうでしたか。
前田
でも、弊社の本業では、
顔料やディスプレイなど
まさに「色」を扱っているんです。
そこで、同じく色を大切に考えている、
色で何かを伝えようとしてるロスコに
共感を抱いて‥‥
購入しなければって思ったようですね。
──
色で、通じ合っていた。
海谷
タイミングも、よかったんです。
買いたいから買える絵でもないですし。
──
ああ、そうでしょうね。
海谷
当館が購入を決めたのは、
1990年にオープンする直前だったんです。
このとき、
じつはヨーロッパの美術館も手を上げていた。
でも、ロスコの作品を恒久的に展示する場所、
つまり「ロスコ・ルーム」は、
ヨーロッパの人たちなら
ロンドンのテート・モダンで見られるけれども
まだアジアにはないから、
ぜひ日本の美術館にと、
作家のご遺族が
口添えしてくださったそうなんです。
──
ある作品が収蔵されるいきさつには、
めぐり合わせという面も、
けっこうあるんだろうなと思います。
前田
さっきのジャクソン・ポロックの絵は、
3代目の社長が
ぽんとニューヨークのギャラリーに入って
購入を決めてきたんです。
そしたら、その後も、ポロックが好きなら
こういう作品もいかがでしょうかって。
よい作品に出会うと、
その作品が、
別のよい友だちを連れてきてくれるんです。

ジャクソン・ポロック《緑、黒、黄褐色のコンポジション》1951年 家庭用塗料、エナメル塗料、カンヴァス、メゾナイト(硬質繊維板) 50.8 × 139.7cm ジャクソン・ポロック《緑、黒、黄褐色のコンポジション》1951年 家庭用塗料、エナメル塗料、カンヴァス、メゾナイト(硬質繊維板) 50.8 × 139.7cm

──
出会いって大事なんですね。連鎖する。
前田
本当に。
さて、お次はサイ・トゥオンブリーの部屋。
絵画と彫刻が展示されています。
──
この部屋には、この2つだけ?
前田
はい。トゥオンブリーという人は、
マーク・ロスコより少し後の世代の作家ですね。
彼のいちばんの魅力は、やはり線。
ちょっとぎこちなさの残る線が、
画面を、左から右に揺蕩っています。
非常に特徴的な線だと思うんですけれども、
これは、
ある訓練によって、編み出されたんですよ。
──
訓練。
前田
もともと小さいころから絵の才能があって、
美術を学んでいたトゥオンブリーですが、
兵役で軍事暗号解読部門に配属していた際、
真夜中、部屋を真っ暗にして、
視覚に頼らず手の感覚だけで、
紙に鉛筆で線を引く訓練を続けたそうです。
──
西洋絵画における「線」って、
いろんな観点から語れると思うんですけど、
トゥオンブリーさんの場合は、
いったい、何のために‥‥そんな訓練を。
前田
はい、絵画の中の「線」の役割といえば、
まずは輪郭線、
人物だとかお花を描き取る線がありますね。
でも、目を開いて描く場合、
どうしても「これはいい線、わるい線」と、
「管理」してしまいがちになる。
──
視覚とか意識によって。はい。
前田
トゥオンブリーの場合は、
視覚や意識にコントロールされない、
言わば「自由な線」を模索していたんです。
そうやって、トゥオンブリーの特徴である、
抽象的な線とかたちがうまれた。

サイ・トゥオンブリー《無題》1968年 家庭用塗料、クレヨン、カンヴァス 200 × 259cm
© Cy Twombly Foundation サイ・トゥオンブリー《無題》1968年 家庭用塗料、クレヨン、カンヴァス 200 × 259cm
© Cy Twombly Foundation

──
暗闇の中で。へえ‥‥。
シュルレアリスムの人みたいですね。
前田
たしかに、彼らのオートマティズムに
共通する部分もあります。
ですが、トゥオンブリーの線は、
なんというか、
彼らの線に較べるとたどたどしい。
そうそう、トゥオンブリーの線は
ミツバチの彷徨‥‥と
たとえられることもありますが、
ハチがゆっくりと、
直線ではなく
その軌道をずらしながら飛んでいるような、
詩情に溢れる、詩的な線だなあと思います。
──
じっと見てると、たしかに。
前田
彼は、絵画作品以外にも、
彫刻や写真なども多く手掛けているんです。
──
それが、となりにある、こちらの作品。

撮影:高橋マナミ
© Cy Twombly Foundation 撮影:高橋マナミ
© Cy Twombly Foundation

前田
トゥオンブリーの「自由な線」が、
この彫刻にも、見て取れませんか。
フォルムの組み合わせであったり、
物と物の接合部の脆弱さや脆さ‥‥みたいな部分に。
この作品のもととなった作品は、
本物の木を拾ってきてつくられていたのですけど、
それをお友だちにプレゼントしたら、
あまりに壊れやすいから、
申しわけないけどブロンズでつくってって。
──
おお(笑)。
前田
リクエストを受けて5点、つくったうちの
1点が、この作品。
トゥオンブリーはアメリカ人ですけど、
拠点をイタリアに移し制作していました。
おそらく、
ヨーロッパの芸術や古い建物などに
度肝を抜かれ、魅了され、
最終的には帰化することになるんですけど、
「古いもの」の持つ手触り、
脆そうにみえて強固なものの手触りを、
彼の彫刻作品からは感じ取れる気がします。

──
以前、彫刻家の安田侃さんに、
岩の買い方を教わったことがあったんです。
前田
岩? の、買い方?
──
安田さんは、イタリアの岩切場のふもとに
住んでおられるそうなんですが、
彫刻のための岩を「壁で買う」‥‥って。
「こんどは、あそこらへんの岩壁がほしい」
とリクエストすると、
業者さんが、そのあたりの壁を
「バターン!」って倒すらしいんですよね。
前田
へえーっ‥‥。
──
で、それが崖から何十メートルも落下して
バラバラになるんだけど、
その中から
バラバラにはならなかった岩の塊を使って、
ああいった作品をつくっていると。
前田
そうなんですか。
──
その、びっくりするような、
ダイナミックなお買いものの話を聞いて、
安田さんはもちろんですけど、
イタリアという国も、彫刻という芸術も、
とんでもなくすごいものだなと。
前田
それは‥‥壮大ですね。
この彫刻のもとになった作品は、
いまのお話のスケール感とはまったく逆で、
海辺などで朽ちていたものを拾ってきて、
このように、つくりあげたものなんですが。
──
さっきのコーネルさん、みたいに。
前田
ええ、手法としては近いかもしれませんね。
ただ、コーネルの場合は、
自分が大切にしているものだったり、
自分のお眼鏡にかなうものを厳選している。
トゥオンブリーの場合は、
すでに朽ち果ててしまってるようなものに
肯定的な意味を見出し、組み立て、
その物体としては脆弱な作品を、
こんどはブロンズでつくりなおし、
永久の生命を与えるというスタイルですね。
──
彫刻といっても、本当にいろいろですね。
前田
さて次は、いよいよ最後の部屋です。

──
おお‥‥天井が高い。そして、広々してる。
前田
先ほどのロスコをはじめとする
アメリカの巨大な作品を展示するためには、
大空間が必要だということで、
こちらの最後の展示室は設計されています。
現在は、ミニマルとその周辺の作品が
展示されています。
1960年代、ロスコのあとの世代は、
ロスコやポロックのような
色や線で感情を豊かに表現するのではなく、
逆に「どれだけ削ぎ落とせるか」‥‥
という、ミニマリズムの傾向が広がります。
──
どうして削ぎ落としたんですか、みなさん。
素朴すぎる質問で、申し訳ございませんが。
前田
芸術家という人たちは、いつの時代も
常に「絵とは何か?」と考えているわけです。
その時代の「答え」があり、
作家の「答え」があるわけですけど、
このときの
多くのミニマリズムの芸術家たちにとっては、
抽象性を
どこまで極限化できるかが大切だった。
絵画に関しては、ひとつの例として言えば、
「絵とは
カンヴァスが木枠に貼られた平面をもつもの」
という
至極あたりまえの答えにたどり着いたのです。
──
はあー‥‥なるほど。
前田
いま、目の前にある真っ黒い作品。
つまらない絵かもしれません。
でも、当館のコレクションにとっては
非常に重要な作品で、
フランク・ステラという作家の初期作です。

フランク・ステラ《トムリンソン・コート・パーク(第2ヴァージョン)》1959年 エナメル、カンヴァス 213.4 × 276.9cm
©2022 Frank Stella / ARS, New York / JASPAR, Tokyo G2789 フランク・ステラ《トムリンソン・コート・パーク(第2ヴァージョン)》1959年 エナメル、カンヴァス 213.4 × 276.9cm
©2022 Frank Stella / ARS, New York / JASPAR, Tokyo G2789

──
フランク・ステラ。
前田
「絵とは何か?」という問に対し、
フランク・ステラは、
「What You See Is What You See.」と、
発言しているんですね。
あなたが見ているものは、
あなたの目の前にあるものなのです‥‥と。
──
ええーっと、つまり‥‥。
前田
「それ以外のものは見なくていいですよ」
と言っている。
先ほどのロスコは「死」とか「希望」とか、
そういった言葉や感情を
絵画の材料として持っていましたけど、
ステラにはそんなものは必要なく、
「あなたが見ているものこそが絵なのです」
と言っている。
──
物語性とか、そういうものも、考えずに。
視覚がキャッチしたものが、すべてだと。
前田
はい。そのとおりです。
この作品は彼を一躍有名にした出世作で、
23歳のときに、この絵を含む
「ブラック・シリーズ」という
ストライプだけを描いた作品を手掛けた。
その一点が
ニューヨーク近代美術館に購入されて、
一気に大スターになっていく。
──
へええ‥‥この作品で。
絵そのものもそうかもしれませんが、
ものの見方、哲学、絵に対する考え方が、
新しかったって感じなんでしょうか。
前田
まさに、そこです。
──
かつては、宗教の一場面を描いたりして
豊かな物語性を有していた「絵画」が、
時代の移り変わりで、
印象派とかピカソとかいろいろ出てきて、
目を閉じて描いたり、
ドカーンと巨大化したりしたあとに、
究極の「削ぎ落とし」にまでいきついた。
前田
はい、そのとおりです。
描かれているものも違うし、
そもそも
描く出発点、考え方が違うわけです。
このステラの作品は、
中央に「長方形」が描かれていますけど、
これを基準のモジュールとして、
等倍にしていくことで、
キャンバスのかたち、
その縦横比率、大きさを決めている。
──
はー‥‥キャンバスという
あらかじめ決められた「面積」の中を
絵の具で埋めるんじゃなくて、
最初はちっちゃな1単位から、
絵がムクムク膨らんでいく‥‥みたいな。
前田
そうそう。キャンバスの厚みも、
最初の長方形の幅と同じになっています。
ですから、彼の場合、おっしゃるように
絵を描くというより、
物体として構築する行為に、近い。
──
絵というものの「長い旅」を感じますね。
だって、同じ「絵」でも、
これほど根本から成り立ちが違ってると、
先祖は一緒でも
別々の道を進化してきた生物みたいです。
前田
たしかに。
──
他の作品も、こういう方向性なんですか。
前田
ステラの?
それがね、ぜんぜん違うんですよ(笑)。
──
え、あ、そうなんですか。
前田
彼は絵画の平面にこだわったわけですが、
この作品をじーっと観ていると‥‥
わたしたち人間の目って不思議なもので、
「平面」に「奥行」とか「出っ張り」を
見出してしまったりする。
──
たしかに。錯覚みたいに。
前田
暗い色は奥に引っ込んでるように見えるし、
明るい色は前に出ているように見える。
そこで彼は、
どうやったら平面性を強調できるか考え、
結果的に、
暗い部分をレリーフ的に飛び出たせたり、
明るい部分を奥に引っ込ませたり、
どんどん、
絵画から外れる作品を展開していきます。
──
平面を追求するために、立体化していく?
前田
はい(笑)、変でしょ。
最終的には、壁に付けられないくらいの、
大きな巨大な構造物にたどりつく。
ですから、おっしゃるように、
祖先は一緒でも、
気づけば
ぜんぜん違う生きものに、進化していた。
そんな感じがします。
──
そのステラさんの「変遷」を、
こちらの美術館では見られるわけですね。
世界でも有数のステラ・コレクションを
持ってらっしゃるってことは。
前田
はい。
当館のコレクション全体に通じますが、
極力、
一作家一点というような形ではなく、
まとまった数の作品を購入し、
展示できるようにしています。
──
なるほど。
前田
先ほど、マーク・マンダースのお話も
ありましたけれど、
やはり1点だけ観るのじゃなくて、
ある一定の数を観ることで、
作家のことを、より深く理解できる。
──
はい、やりたいことがわかりますよね。
たくさん観ると、少なくとも。
前田
そのような理由で、できるだけ一定数、
作家によっては、
初期から晩年まで通して観られるような、
そのようなかたちで
コレクションを形成してきた‥‥ことが、
当館の、
ひとつの特徴ではないかと思います。

撮影:高橋マナミ 撮影:高橋マナミ

(おわります)

2022-04-08-FRI

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  • DIC川村記念美術館の冬季メンテナンス休館が終了しました。 新たな企画展を開催中です。

    首を長くして待っていたという人も
    多いと思います。
    メンテナンスのために休館していた
    DIC川村記念美術館が
    3月19日より再オープンしました。
    現在、再開ひとつめの企画展
    「Color Field カラーフィールド
    色の海を泳ぐ」が開催中。
    カラーフィールドとは、
    50〜60年代のアメリカを中心に
    展開した抽象絵画の傾向だそう。
    フランク・ステラや
    モーリス・ルイスなど9名の作家に
    焦点を当て、
    60年代以降の新しい絵画の流れに
    触れることのできる展覧会。
    事前予約制なので、
    詳しくは公式サイトでご確認を。

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