美術館の所蔵作品や
常設展示を拝見する不定期シリーズ、
第8弾は、DIC川村記念美術館さん。
専用の部屋にただ1点だけ飾られた
レンブラントの静かな迫力。
マーク・ロスコの7点の壁画に
囲まれるように鑑賞できる
通称ロスコ・ルームの、ドキドキ感。
モネ、シャガール、ピカソ‥‥から、
ポロック、コーネル、
フランク・ステラなどの現代美術も
たっぷり楽しめます。
都内からは少し距離があるので、
小旅行の気分で訪れてみてください。
庭園などもすばらしいし、
心が新しくなる感じが、するんです。
前田希世子さん、中村萌恵さん、
海谷紀衣さんに話をうかがいました。
担当は「ほぼ日」の奥野です。
- ──
- いよいよ、この部屋にたどりつました。
- 海谷
- マーク・ロスコの7作品を展示している
ロスコ・ルームです。
- ──
- DIC川村記念美術館さんといえば‥‥という
特別な展示室ですけど、
はじめてなので、ドキドキしています。
わ‥‥大きいです! 作品、1点1点が。
- 前田
- はい。第二次大戦後、芸術の中心は、
パリからニューヨークへ移っていきます。 - そのときに起きた大きな変化のひとつが、
「作品の巨大化」です。
とにかく画面サイズが大きくなりました。
- ──
- こちらでも展覧会をされていましたが、
モーリス・ルイスさんとかも、
相当大きなの描いてらっしゃいますよね。
- 前田
- はい、人間の背丈をはるかに超える、
圧倒的なサイズ感の作品が、
広大なアメリカでつくられていきます。 - ここにあるロスコの作品も、
それぞれ幅3メートルから4メートル、
高さは2メートル半ほど。
- ──
- はい‥‥じつに、大きいです。
- 前田
- この部屋も、他と同じように、
ロスコの7点の作品を飾るためだけに
つくられているので、
ちょっと変わった、七角形なんですよ。
- ──
- 7面の壁に、ロスコの7作品が。
- はああ‥‥なんですかね。なんだろう。
こうして、この部屋で
ロスコの作品に向き合っていると、
なぜか心臓がドキドキしてくる(笑)。
- 前田
- 戦後‥‥美術の中心は
ヨーロッパからアメリカへ移行し、
それまでのヨーロッパの伝統を
継承するような絵画ではなく、
アメリカという新しい場所で、
新しい表現をはじめた
芸術家の一群がうまれました。 - 大きな画面に、具体的なものは描かず、
色彩や線などで表現する作家たち。
なかでもよく知られているのが、
このマーク・ロスコという人なんです。
- ──
- もともと、ロシアの人なんですよね。
- 前田
- はい、そうです。
10歳のときに家族でアメリカに移り、
20代で画家を志します。 - その後‥‥40代の後半になってから、
このように非常に大きな、
人の背丈を超えるようなサイズの、
ふたつの色を層に重ねたような作品で、
大変な人気を得るんです。
- ──
- へえ‥‥40代後半。
- 前田
- 美術館から展覧会のオファーが来たり、
作品の注文が入ってきたり、
非常に人気の高い作家になるんですね。 - 柔らかな輪郭をもつ矩形を
上下に重ねたスタイルが、
「ザ・ロスコ」といわれる独特の作品です。
アーティゾン美術館で
ごらんになられていませんか?
- ──
- ピンク色の、縦長の作品‥‥ですかね。
- でも、じゃ、それまでは
違う絵を描いていたということですか。
- 前田
- やはり、ロスコも若いうちは、
ヨーロッパの影響を受けていました。 - たとえば人物像だったり、
シュルレアリスム風だったり。
そこから、このような
独自のスタイルを見出していきました。
- ──
- ロスコといえば、
まずはこういったイメージですけれど、
やっぱり、
「ロスコになる前の物語」も、あった。
- 前田
- ロスコの作品においては、
何より、色彩が重要な要素になります。 - たとえば、照明の光の当て方だったり、
作品をかける高さ、
あるいは、
どういった作品がとなりに来るのかで、
自作の見え方が変わることに、
作家自身、早い段階から気づいていた。
- ──
- ええ。
- 前田
- そのため人気が高まっていくとともに、
自分の絵は、
他の人の作品と並べてほしくないとか、
照明はこれくらいに落としてくれ、
あるいは、
壁にかける高さはこれくらいで‥‥と、
かなり細かく注文を出し、
自分の作品の展示環境に注意深くなる。
- ──
- どう見えるか‥‥って、
周囲の状況に強く左右されますものね。
- 前田
- はい、それくらい気を使っていたので、
いつか、
自分の作品だけを飾る場所がほしいと、
願っていたそうです。 - で、そんな折、1958年に、
ニューヨークにあるシーグラムビルの中の
有名なレストラン
「フォー・シーズンズ」から、
あなたの作品だけで1室を設けたいと、
依頼が来るんですよ。
- ──
- わあ、念願の!
- 前田
- そこにかけるための絵を、
ぜひ、描いてほしいという依頼ですね。 - ロスコとしては、もう、二つ返事です。
快くオファーを引き受けて、
58年から翌59年、
1年半ほどの期間を費やして、
30点もの作品を制作しました。
- ──
- こんな大きなものを‥‥そんなに。
- 前田
- はい。でも、結論から申し上げますと、
それらの作品は完成したのですけれど、
さまざまな事情から、
納品せずに、終わってしまったのです。
- ──
- え‥‥せっかく描いたのに?
- 前田
- まあ、理由には諸説あるのですけれど、
簡単に言えば、そのレストランは、
自分の作品を
展示するにふさわしい場所ではないと、
そういうことだったようです。
- ──
- はあ‥‥。
- 前田
- 作品が納品される前、
一足早くオープンしたレストランに
ロスコが訪れたとき、
その雰囲気に幻滅したというお話も
伝わっています。
- ──
- 自分の絵が飾られる「環境」を、
ものすごく気を使っていた人だから。
- 前田
- 結局、作品は引き渡されることなく、
作家の手元に残されました。 - そしていま、
みなさんがごらんになっているのが、
その中の7枚なんです。
- ──
- あ、これが、それ! でしたか!
へえええ‥‥。
- 前田
- 《シーグラム壁画》と呼ばれている、
一連のシリーズの、7枚です。
- ──
- 壁画。
- 前田
- はい、壁画です。
- ロスコが後世に残したスケッチには、
たくさんの作品を
間隔を開けずに連続展示する構想が
描かれていました。
つまり「絵」というよりも、
「壁画」と発想していたようですね。
- ──
- まさに「壁」だし、同時に絵ですし。
たしかに。
- 前田
- それまでのロスコは、
作品を1点1点、
独立したものとして制作していたんですね。 - でも、このときにはじめて、
複数の作品を1つの「シリーズ」として
発想するようになりました。
単体で観るのではなく、
複数を組み合わせて観る「シリーズ」を、
手がけはじめるんです。
- ──
- その先駆けが、目の前の「壁画」作品。
- 前田
- 1点1点を独立して見せるのではなくて、
こうしてぐるっと空間を囲むことで、
ロスコを観るというより、
ロスコを「体験する」に近い、というか。
- ──
- じゃあ、この専用ルームでの展示方法は、
ご本人にしてみれば、
かなり理想的なんじゃないですか。
- 前田
- 残念ながら、ロスコが亡くなったあとに
当館に作品が引き渡されたので、
この部屋は、作家には
ごらんいただけなかったんですけれども、
ロスコが望んでいた空間になっていたら、
と願っています。
- ──
- この暗めの照明も、根拠があるんですか。
- 海谷
- 絵が描かれたときの照明が、
これくらいだったっていう証言があって。
- ──
- そんなことまで伝わってるんですか。
- 海谷
- ロスコのお友だちだった
評論家のドリー・アシュトンさんが、
この絵を描いているロスコのスタジオを
訪問したことがあるらしいんですね。 - そのときのことを
「暗くて、床が見えないほどだった」と、
書き残しています。
- ──
- でも、かなり暗いところで描くんですね。
- ようやく、目が慣れてきた感じですけど、
最初は、ぼんやり色がわかるだけで、
細かい部分はちょっと見えなかったです。
- 海谷
- はい、そうだと思います。
- 描いてる本人が、その暗さの中で描いて、
その暗さの中で鑑賞していたわけだから、
この部屋を訪れるお客さまにも、
同じような体験をしていただこう‥‥と。
- ──
- なるほど。
- 前田
- それに、
明るくすればいいというものでもなくて、
あまり強い光の下だと、
作品の持つ微妙なニュアンスだとか、
表面のテクスチャが飛んでしまうんです。 - ですから、あえて暗くした照明のもとで、
ゆっくり、
作品の表情が変わっていくようすを、
楽しんでいただければなと思っています。
- ──
- 時間をかけなければ見えない何かがある。
おもしろいですね。 - この絵を、作家が「いい」と思った、
その同じ条件で、ぼくらも鑑賞できると。
- 前田
- スタジオでも
作品には照明を直接あてずに
描いていたそうだし、
作家が見ていたような状態で、
作品を見ることのできる部屋です。
- ──
- 長居していくお客さんも、多そうですね。
- 前田
- はい、多いです。
- お好きな方は、
本当に、じーっと観てらっしゃいますね。
- 中村
- これらの作品を描きはじめた直後に、
ロスコは、ある講演会で、
作品の制作過程を料理にたとえています。 - つまり、絵を描くときに使う材料として、
「緊張」と、「アイロニー」と、
「官能性」と、「機知」と、「希望」と、
そして「死」と‥‥。
- ──
- そんなにもたくさんの言葉や感情が、
この大きな抽象画に込められている。
- 前田
- そういったものを表現するということに、
自分はすごく興味がある‥‥と。 - この場に佇んで作品を鑑賞している人が、
それらの感情に向き合える場を、
ロスコは、
つくりたかったんじゃないだろうかって、
わたしたちは、想像しています。
- ──
- たしかに、抽象的であることで、
いろんな感情の入る余地がありますよね。
- 前田
- 具体的なイメージに縛られることなく、
軽やかに出たり入ったりできる、
そんな気持ちの自由がある気がします。 - 抽象的に描く‥‥ということには、
ひとつには、そういう意味もある。
- ──
- ちなみに、こちら以外で、
ロスコの専用展示室ってあるんですか。
- 前田
- 同じ《シーグラム壁画》の作品が、
ロンドンのテート・モダンにあり、
そちらもロスコ・ルームを設えています。 - ヒューストンにはロスコ・チャペルが、
ワシントンDCの
フィリップス・コレクションという美術館にも、
ロスコの小さな部屋が設置されています。
それと当館で、世界では4箇所でしょうか。
- ──
- こういう場所で、
いまのようなお話を聞かせてもらうと、
抽象って難しいとか思ってたけど、
ロスコさんのことを、
すごく身近に感じることが出来ました。
- 海谷
- あ、それは、
ご本人もよろこばれると思いますよ。
- ──
- そうですか。
- 海谷
- ロスコは、絵というものを通じて、
世界中の人たちと
心の奥底で通じ合いたいという希望を、
抱いていたそうなので。 - きっと、よろこぶだろうって思います。
(つづきます)
2022-04-07-THU
-
首を長くして待っていたという人も
多いと思います。
メンテナンスのために休館していた
DIC川村記念美術館が
3月19日より再オープンしました。
現在、再開ひとつめの企画展
「Color Field カラーフィールド
色の海を泳ぐ」が開催中。
カラーフィールドとは、
50〜60年代のアメリカを中心に
展開した抽象絵画の傾向だそう。
フランク・ステラや
モーリス・ルイスなど9名の作家に
焦点を当て、
60年代以降の新しい絵画の流れに
触れることのできる展覧会。
事前予約制なので、
詳しくは公式サイトでご確認を。