美術館や博物館の所蔵作品や
常設展示を観に行く連載・第2弾は
東京都現代美術館です。
今回は、おもに明治の終わりから
1950年代にいたる
日本人作家の美術の作品を、
たっぷりとご案内いただきました。
知らない作家が、たくさん‥‥!
近・現代の日本美術の「厚み」を
とくと味わって、
美術へのワクワクが深まりました。
社会情勢や美術・美術館の歴史を
しっかり押さえつつ、
作品の解説をしてくださったのは、
学芸員の水田有子さん。
担当は、ほぼ日奥野です。どうぞ!
- 水田
- こちらが、横山大観の作品です。
- ──
- おお、日本画と言えばの。
- 水田
- 山本鼎(かなえ)の版画なども。
創作版画を創始した人と言われています。
- ──
- 創作版画?
- 水田
- はい。「自画自刻自摺」、
つまり一人の作家が描いて彫って刷る、
そのように制作された、近代版画の運動です。 - たとえば浮世絵は、
絵師・彫師・摺師による分業制でした。
でも、創作版画の作家たちは、
すべての工程にかかわり、
自己表現としての版画を展開していったのです。
- ──
- なるほど。
- 水田
- このあたりは、
都美術館の新館以降に収蔵されました。 - 収集が本格化し、
いま見た版画や日本画なども含め、
コレクションがどんどん多様化していきます。
- ──
- たしかに20世紀に入ってくると、
一気にいろんなテイストの絵が、
描かれるようになったようですね。 - 技法も含め、
時代が下るにしたがって、いろいろと。
- 水田
- こちらの牧野虎雄は、
東京都現代美術館の所蔵作家のなかでも
特筆すべき存在です。
- ──
- 牧野虎雄さん‥‥存じ上げませんでした。
- 水田
- 東京都美術館の旧館時代、
1968年に収蔵された作品なのですが、
牧野自身は、
終戦直後の1946年に亡くなっていて。
- ──
- ええ。
- 水田
- そのあと、友人の画家・木村荘八をはじめ
仲間の有志が、
牧野の遺作をまとめて保管する場所を、
当時の都立駒場高校につくったんですね。 - そして、ながらく
学校教育の場面などで活用されていましたが、
保存上の面や、
より広く人々に公開していこうということで、
1968年に東京都美術館に移管されました。
- ──
- じゃ、この方の作品は、けっこう網羅して。
- 水田
- そうなんです。
- 初期から晩年まで、
画業を網羅して収蔵された、最初の作家です。
- ──
- 風景画を多く描かれた方なんですか。
- 水田
- そうですね。
- 自宅の庭や植物を描いた絵などを
たくさん手がけています。
東京都美術館の新館がオープンして
最初に個展が開催されたのも、この牧野です。
- ──
- それほどまでの重要な作家さんのことを、
すみません、
ぜんぜん知らなかったのですが、
ご存命のころから、有名だったんですか。
- 水田
- 文展という政府主催の官展には、
長く出品していた作家です。 - 決して有名というわけではないけれど、
埋もれていた画家でもありません。
- ──
- そうですか‥‥知れてよかったです。
- 水田
- ちなみにこちらは、
東京都美術館のご協力で紹介している
「コレクションを巻き戻す」の
関連資料ですが、
1972年、
東京都美術館の旧館のころの展示風景。 - いま見ていただいた牧野の作品が、ここに‥‥。
- ──
- あっ、ほんとだ! すごい‥‥というか、
ついさっき見た絵が、
何十年も昔の、
別の美術館の写真に写り込んでいるって、
時を超えるような気持ちです。
- 水田
- これは1972年、1フロアをすべて使って
旧館で大規模に開かれた、
所蔵作品展のひとこまです。 - 旧館時代は所蔵品が多くなかったので、
ふだんは「佐藤記念室」という、
1953年に開室したちいさな部屋で、
コレクションを展示していました。
- ──
- 佐藤さん‥‥というのは、どちらの。
- 水田
- はい、東京府美術館ができるときまで
話はさかのぼりますが、
当時、博覧会はあっても仮設の建物で、
恒久的な展示の施設は、まだありませんでした。 - そこで、美術家をはじめとして、
日本にも美術館が必要だという建設運動が、
徐々に、高まりつつあったんです。
- ──
- 西洋に渡って美術を学んだ人たち、
そこで最新の美術や
伝統ある美術館に接してきた人たちが、
続々と帰国してきた時代ですものね。
- 水田
- でも、そのためには
莫大な資金が必要ですよね。 - そうしたとき、九州で石炭商を営んでいた
実業家・佐藤慶太郎が、
たまたま東京に仕事で来ていて、
心ある人たちが
寄付金を募って美術館を建てようと
呼びかけている新聞記事を
読んだそうなんですね。
- ──
- ええ。
- 水田
- ならば、このわたしが、
資金を出しましょうと。
- ──
- 気前がいい!
- 水田
- 100万円を寄付したんです。東京都に。
- ──
- すごいです。九州の人なのに?
- 水田
- はい。当時の「100万円」という額は、
今でいうと「30億円」くらい。 - その寄付のおかげで、
東京府美術館が誕生したんです。
日本で最初の公立美術館でした。
- ──
- つまり、その佐藤慶太郎さんを記念して。
- 水田
- 佐藤記念室が、つくられました。
- ──
- いろいろ「うわー」と思いますが、
新聞で読んだっていうのもすごいですね。
- 水田
- 時事新報の記事だったようです。
- ──
- そうやって、メディアの影響力も、
これから、どんどん高まっていく時代で。
- 水田
- 東京都美術館では、
2012年のリニューアルオープンのとき、
「佐藤慶太郎記念 アートラウンジ」
というスペースを新たにつくりました。 - 朝倉文夫による佐藤慶太郎像の彫刻を置き、
改めてその功績をたたえています。
- ──
- 知らなかったです。佐藤さん。
知らないことばっかりだなあ。 - 美術に造詣の深い人だったんでしょうか。
- 水田
- そういうわけじゃなかったそうなんです。
- ──
- え、じゃあ、心意気で。30億円以上も。
- 水田
- カーネギーホールを造った
アンドリュー・カーネギーさんっていますよね。
アメリカの実業家で「鋼鉄王」の。
あの方を尊敬していたそうなんです。 - なので、もともと大金持ちで、
財産のほんの一部を寄付したというわけでなく、
自分の持っているお金のうち、
かなりの部分を、寄付されたそうですね。
- ──
- たまたま読んだ新聞記事が、きっかけで。
ちょっと真似できないですね‥‥。
- 水田
- 本当に。
- ──
- そのおかげで東京府美術館が建設されて、
のちに東京都美術館となり、
その収蔵作品を持ってくるかたちで、
ここ東京都現代美術館もできたわけだし。
- 水田
- 素晴らしいですよね。
- ──
- 日本で最初の美術館というか博物館って、
上野の東京国立博物館じゃないですか。
- 水田
- そうですね。
- ──
- でも、東博ができる前にも、
日本にも「美術」はあったわけですよね。 - それって「どこにあった」んですか。
- 水田
- 仏像や障壁画など、お寺にあったものや、
権力者が力を誇示するために
狩野派の絵師に描かせたものは
お城や大名家など、
それぞれの文脈の中に、
存在していたと思うんですけれど。
- ──
- 一方で、浮世絵とかは気軽に売買されて、
「うやうやしく展示する」
みたいなことにもなっていなかった、と。 - 現代から見れば芸術ですし、
モネやゴッホも影響を受けたほどですが。
- 水田
- とても身近なものでしたよね。
- ──
- じゃあ、日本の美術史みたいなものは、
体系的には、誰も知らなかった?
- 水田
- そうですね、
近代国家が成立していくなかで、
「日本美術史」というものも
かたちづくられていったようです。
- ──
- それまでは、縄文の火焔式土器も、
埴輪とか土偶も、
運慶快慶も、永徳の洛中洛外図屏風も、
学問的に体系化されたり、
位置づけられたりすることもなく、
歴史のなかに、ゆらゆら佇んでいたと。
- 水田
- 東京府美術館でも、設立の翌年ですが、
1927年に、
東京朝日新聞社の主催で、
「明治大正名作展覧会」が開かれます。
- ──
- へえ‥‥また新聞社。
- 水田
- そうしたことも、
人々が、日本美術を振り返る視点や
美術史的な視座を持つきっかけと
なりますよね。
- ──
- 学問的な日本美術史が生まれたのも、
そんなに昔ではないってことですね。
- 水田
- そうですね。
- ──
- はあ‥‥つい最近になってから、
それ以前の何百年とかの美術の歴史を
どんどん知っていくのって‥‥
おもしろかったでしょうね、その勉強。
- 水田
- 今も、そうかもしれないですね。
2021-02-09-TUE
-
※新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、
この記事で取材している
「MOTコレクション 第2期
コレクションを巻き戻す」
は当面の間、臨時休室しています。また、次会期、3月20日(土・祝)~6月20日(日)
開催予定の「MOTコレクション」は、
一部のみ展示替えし、
引き続き「コレクションを巻き戻す」を継続します。