美術館や博物館の所蔵作品や
常設展示を観に行く連載・第2弾は
東京都現代美術館です。
今回は、おもに明治の終わりから
1950年代にいたる
日本人作家の美術の作品を、
たっぷりとご案内いただきました。
知らない作家が、たくさん‥‥!
近・現代の日本美術の「厚み」を
とくと味わって、
美術へのワクワクが深まりました。
社会情勢や美術・美術館の歴史を
しっかり押さえつつ、
作品の解説をしてくださったのは、
学芸員の水田有子さん。
担当は、ほぼ日奥野です。どうぞ!
- 水田
- つづきまして、中原實。
- ──
- なんだか素人目には、
シャガールみたいな雰囲気を感じます。 - 今回のコレクション展の
ポスターに採用されている絵ですよね。
- 水田
- あ、そうです。
- ──
- つまり、ある意味で、
このコレクション展を象徴するような人。
- 水田
- 中原實は、東京都美術館の新館の
最初の企画展である
1976年の「戦前の前衛展」にも
出品されています。 - 中原の作品は長らくご寄託、
つまり美術館がお預かりしていましたが、
現代美術館がリニューアルした機会に、
ご遺族からご寄贈いただきました。
- ──
- なるほど。
- 水田
- その、リニューアル・オープン記念の
「百年の編み手たち」展のときも
まとまったかたちで
展示されていたのですが、
ちょっと変わった経歴を持っている人で。
- ──
- 変わった?
- 水田
- まず、お父さんが
今の日本歯科大学の創設者だったのですが、
中原もハーバード大学で歯科を学び、
そのあと第一次世界大戦中に渡仏、
フランス陸軍の歯科医になるんです。
- ──
- なんと。
- 水田
- そして、第一次世界大戦の終了後は
パリの芸術学校へ入学し、
油絵を学び、こうして画家となった。
- ──
- すごい人生ですね。
- 水田
- 中原がいたころのフランスは、
まさしく
モダニズムが花ひらいていく時代。 - こちらが、帰国後、
二科会にはじめて入選した作品です。
- ──
- 作品名が「モジリアニの美しき寡婦」。
- たしかに、どこかモディリアーニ風。
細おもてな感じが‥‥どこか。
- 水田
- そうですね。
ただ、この作品が展示された二科会は
開幕直後に震災が起こって、
すぐに閉鎖されてしまったのです。 - 中原は、画業を続けながら、
生涯、歯医者さんでもあり続けました。
九段の家が震災で壊れたあとは、
そこに「画廊九段」という
オルタナティブ・スペースを
オープンしたり‥‥。
- ──
- 私設のギャラリーみたいなものですか。
- 水田
- 報知新聞主催で、
ムンクなどの海外作品が展示されるような場にも
なっているんです。 - 村山知義など
当時の前衛芸術家たちの活動の舞台にもなり、
日本の美術に、
さまざまな貢献をした人物です。
- ──
- 当たり前ですけど、日本美術の歴史と言っても、
いろんな流れがあるんですね。
- 水田
- だんだん、1930年代に入りますよ。
- ──
- 世界大恐慌のあとの時代ですね。
- 水田
- 日本では、関東大震災後の時代。
- 徐々に復興をとげる東京のようすを、
時代の版画家たちが
「新東京百景」として残しています。
いわゆる「モボ、モガ」がいたり。
- ──
- モダンボーイ、モダンガール。
当時のイケてるボーイとガールのことですね。
- 水田
- 1920年代に映画館が次々にできたり、
ラジオ放送もはじまった時代。
都市文化の花ひらく様子が伝わってきます。
- ──
- はい。
- 水田
- 美術界では、前衛的な作品をつくるグループが、
次々にできていきました。 - 二科会のなかでも前衛的な作品ばかりが
「第九室」に集められて、
のちに
「九室会」という研究団体も生まれています。
- ──
- なんとなく、
サロンの落選作品だけが集められて
「落選者展」になって、
それが「印象派展」につながっていくみたいな。
- 水田
- 九室会は、後年「具体」を立ち上げる
吉原治良(よしはらじろう)が呼びかけました。 - 最初期の女性の前衛画家である桂ゆきも、
創立会員に名を連ねています。
- ──
- 吉原治良さんは知っておりましたが、
桂ゆきさんは、はじめて聞きました。 - 女性画家って、ここにいたるまでは、
あまり出てきませんでしたね。
- 水田
- 最初の女性作家の作品で、
実際、いませんでした。
- ──
- そうなんですか。
- 水田
- こうして見てくると、
男性が描いた女性像はたくさんありますが、
女性が描いた作品が、
まったくないことに気づきますよね。 - 今回、戦後では草間彌生、福島秀子など、
女性作家もたくさん紹介していますが、
桂ゆきは、とくに、
前衛的な作品を展開した女性作家の中でも
先駆け的な存在です。
- ──
- いまでこそ女性のアーティストって
たくさんいますけど、
昔は、極めて「男の社会」だったと。
- 水田
- 日中戦争がはじまり、このあたりからは
戦争の時代へと入っていきます。 - 当時の東京府美術館の歴史に目を向けると、
戦争が進むにつれて、
いわゆる「戦争画」が展示される会場にも
なっていました。
- ──
- この時代の「戦争画」と言いますと、
何を伝えようとして‥‥
つまり「反戦」ではないですよね?
- 水田
- 戦争を記録するものとされていますが、
基本的には
プロパガンダ、戦意高揚を目的として。
- ──
- 全体に、勇ましい感じがしますもんね。
- 水田
- 従軍画家として実際に戦地に赴いて
描いたたくさんの作品が、
政府や新聞社の主催する戦争画展で、
東京府美術館に展示されました。
- ──
- 竹橋の国立近代美術館に、
藤田嗣治さんの戦争記録画がありますけど。
- 水田
- ええ、《アッツ島玉砕》をはじめ、
それらの作品は、
1951年まで、
東京都美術館にずっと封印されていたんです。 - その後、アメリカに移送されましたが、
1970年、
東京国立近代美術館に無期限貸与されて、
今にいたります。
- ──
- え、そんな経緯があったんですか!
- 乳白色の裸婦像とか猫ちゃんとか、
いわゆる、世間に知られた
藤田嗣治さんのイメージのままで
あの絵を見ると、
びっくりするんですが‥‥そうでしたか。
- 水田
- このあたりに展示している向井潤吉や、
田中佐一郎の作品などは、
福富太郎さんという、
昭和のキャバレー王の方が‥‥。
- ──
- キャバレー王?
- 水田
- 昭和の時代の実業家で、
美術のコレクターでもあって。 - 美人画をはじめ、
膨大なコレクションをお持ちでしたが、
テーマのひとつが、
戦争に関わる絵を集めることでした。
- ──
- 知りませんでした、まったく。
- 水田
- この時代の人々の姿や
生活の様子がうかがえる作品も、
たくさん含まれていますが、
こうした福富太郎さんのコレクションは、
当館がリニューアルの休館中、
2018年度にご寄贈いただいたものです。
- ──
- 冒頭の佐藤慶太郎さんもそうですし、
美術の世界って、
いくつも伝説のありそうな
傑物みたいな人物が出てきますよね。 - 一代で財産を築いた実業家がいたり、
反面、贋作師みたいな人もいたり。
- 水田
- いろんな方がいますね。
- ──
- あ、目玉の人。
- 水田
- こちらは、靉光(あいみつ)の作品。
- 今回の展示では、
こうした前衛や、いわゆる戦争画、
戦中の官展の出品作品など、
さまざまな背景を持つ作品を
あえて一緒に並べてみました。
それぞれ在り方で時代と対峙していたのを、
見ていただけると‥‥。
- ──
- 戦争とか表現の弾圧とかで
難しい時代だったんでしょうけれど、
こう見ると多彩なんですね。 - どんな時代の想像力も、
そうですよね、
決して画一的じゃないですよね。
- 水田
- もちろん戦争中は
とくにシュルレアリスムなどの
前衛的な表現に対して、
強い弾圧がかかっていましたが、
戦後になると、
またそうした表現も一気に花開いていきます。 - こちらは、鶴岡政男の《重い手》という作品。
- ──
- ああ、この絵は知ってますね。
有名なんでしょうね、きっと。
- 水田
- 戦争の後、上野の地下道のところに
戦災孤児や浮浪者たちが
集まって
飢えや寒さをしのいでいたんです。 - そのようすから着想を得て描いたと
言われている作品です。
- ──
- ああ‥‥そういう絵だったんですか。
- そういう背景を聞くと、
いっそう迫ってくるものがあります。
- 水田
- 終戦前ですが、松本竣介の作品もあります。
- ──
- 群馬県桐生市にある大川美術館が
実家の近くなんですが、
そこに、たくさん収蔵されてました。 - 森村泰昌さんも扮していますよね。
松本竣介さんの《立てる像》に。
- 水田
- 松本竣介は、鶴岡政男や靉光などと
終戦前に
「新人画会」というグループを結成して
作品を発表していましたが、
36歳のとき、若くして亡くなりました。 - 1977年に、東京都美術館では
「靉光・松本竣介そして戦後美術の出発」
という展覧会が開かれています。
つまり当時、東京都美術館が、
戦後美術の出発点・起点として位置づけて、
展示した作家でもあるといえます。
2021-02-11-THU
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※新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、
この記事で取材している
「MOTコレクション 第2期
コレクションを巻き戻す」
は当面の間、臨時休室しています。また、次会期、3月20日(土・祝)~6月20日(日)
開催予定の「MOTコレクション」は、
一部のみ展示替えし、
引き続き「コレクションを巻き戻す」を継続します。