さあ、満を持しての登場です!
「常設展へ行こう!」を名乗る本連載には
決して欠かすことのできない美術館、
上野の「国立西洋美術館篇」。
かの「松方コレクション」をベースにした
見応え120点満点のコレクションを、
4時間半もかけてご案内いただきました。
全13回に渡って、たっぷりお届けします。
これを読んだら、ぜひぜひ、
東アジア最高峰とされる西洋美術の殿堂を、
訪れてみてください。
きっと、いっそう楽しめると思います!
担当は、ほぼ日の奥野です。

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第2回 松方幸次郎さんのこと。

──
国立西洋美術館さんを語るうえで
欠かすことのできない
「松方幸次郎さん」について、
まずは、お聞かせくださいますか。
新藤
はい、川崎造船所の社長だった人ですが、
1916年から1927年くらいにかけて、
ヨーロッパで
美術作品を収集していました。
でも、世界恐慌にむかう時代のなか、
メインバンクの十五銀行も経営が悪化し、
やがて川崎造船所も破綻してしまう。
そのため、松方の収集した作品は
28年から売り立てがはじまって散逸し、
あるいはまた1939年には
ロンドンの保管倉庫が火災に遭ったり、
第二次大戦では
ロダン美術館に預けていた作品群を
ナチスに見つからないよう、
フランスの田舎のほうへ疎開させたり‥‥。
──
過酷な運命をたどった作品が、あった。
新藤
そのような苦難をくぐりぬけた作品も、
第二次大戦が終戦を迎えたとき、
当時の敵国・フランスに没収されます。
その後1951年に
サンフランシスコ平和条約を締結するとき、
没収された作品の返還交渉がはじまり、
紆余曲折を経て、
ようやく1959年に寄贈返還されたんです。
で、その交渉のなかで、
「返還するからには、美術館を建てなさい」
と、それで建ったのが当館なんです。
──
なるほど、そういういきさつでしたか。
よくわかりました。
新藤
あくまでも、返ってきた松方コレクションを
保存・収蔵・展示するための美術館だったんです。
──
たしか松方さんは、ご自身でも
美術館の構想を持っていらしたんですよね。
新藤
はい、懇意にしていた英国人画家で
松方の収集アドバイザーでもあった
フランク・ブラングィンに
「共楽美術館」の構想図を描いてもらっています。
場所は、東京の麻布。
結果的に、夢に終わりましたが。

──
ブラングィンさんって、
松方さんの肖像画を描いた人‥‥ですよね。
コレクションのうち、
いくつかは返還されなかったと聞きました。
新藤
はい、いまオルセー美術館にある
ゴッホの《アルルの寝室》は、
フランス政府が返してくれなかった作品として
有名ですね。
──
それはつまり、フランスにとって、
とりわけ重要な作品だからってことですね。
返還交渉したのは、日本の政府なんですか。
新藤
そうですね。当時の総理大臣の吉田茂が
ミズーリ号上で
条約に調印して日本の主権が回復しますが、
そのとき返還交渉もはじまりました。
──
つまり、あの松方さんの集めた美術作品を
返してほしい‥‥というのは、
当時の日本人の切願だったってことですか。
新藤
松方幸次郎という人は、
「松方財政」の松方正義の三男なんですが、
彼が松方コレクションを築いていたことは、
当時、非常に有名な話でした。
もともとは日本人の財産で、
非常に貴重なものである‥‥ということは
知られていましたから、
主権回復とともに返還交渉がはじまったことは、
まあ、自然だったろうと思います。
ただ、お金がなかったんですね。
だから民間の協力もたくさん仰いだうえで、
松方コレクションは帰ってきたし、
この美術館も建ったんです。
──
官民で迎えて、日本への帰還をよろこんだ。
新藤
昔は、松方コレクションの作品が
地方に巡回したりすると大行列で、
ほんの数週間で、
何十万人もの人が訪れたりしたそうです。
ある世代までの人にとってみれば、
松方コレクションといえば大きな存在で、
たとえばフランスの印象派って、
日本の多くの人たちが大好きですけれども、
そのような嗜好の部分にも、
少なからず影響を及ぼしているのではないかと。
──
モネ、ルノワール、ドガ、ゴッホ、マネ、
ゴーガン‥‥と、
松方コレクションには、
印象派やその前後の、
いまも人気の画家の作品が多かったから。
新藤
戦後民主主義の展開のなかで、
西洋美術といえばフランスの美術であり、
さらには
印象派を中心とするフランス近代美術だ、
と考えてきた人は多いと思います。
そういったイメージを
全面的に醸成したとはいえませんけれど、
少なくとも「支えた」とは思います。

──
いや、それほど大きな存在だと思います。
松方コレクションって。
ひとつ、地方に巡回とおっしゃいますが、
その当時って、美術館とか
あんまりなかったと思うんですけども。
新藤
それこそ、市民会館みたいな場所でとか。
──
おおお、世界の美術史に残る名画が、
そういったところで。
24時間365日、展示室の温度や湿度を
管理している現在からは、
ちょっと考えられないようなことですね。
新藤
そう、そうなんです。
お話のタイミングがちょうどいいので、
ひとつめの
「コレクション・イン・フォーカス」
である「保存科学」を、ご紹介します。
──
保存科学。作品の保存の、サイエンス?
新藤
はい、当館には、保存科学の専門家、
サイエンティストがいるんです。
日本の美術館ではめずらしいんですけれども。
彼女が、展示室や収蔵庫の温湿度の管理はじめ、
所蔵作品にとって
安定的な環境をつくってくれています。
──
その「専門家」は、ふつうはいない?
新藤
残念ながら、日本の美術館では例外的です。
たとえば「板に描かれている作品」は、
温湿度の変化に、とても敏感です。
急激な変化にさらされると、
最悪、割れちゃったりするんです。
──
わあ。
新藤
そのために、貸し出したりすることが、
非常に難しかったりするわけですが‥‥。
──
そうか、温湿度が
コントロールされていないところへは、
貸し出すことができない。
新藤
はい、温湿度管理は、貸し出すときも
もちろん重要なんですけど、
同じように「借りるとき」も重要です。
つまり、他から作品を借りるときにも、
当館の展示室は
環境が安定しているので、借りやすい。
──
あー、貸すほうも貸しやすい!
新藤
それはあるだろうと思います。
さらには最先端技術を用いた
科学調査なんかも、やっているんです。
今回は赤外線を用いて
絵の下描きを見るというプロジェクトを、
こちらの髙嶋が、
ニコンさんのご協力で進めていまして。
──
おおー、おもしろそうです。
新藤
その研究の成果を、
「コレクション・イン・フォーカス」
として、ここで紹介しています。
では、髙嶋さん、説明していただけたら。
──
よろしくお願いします!
髙嶋
こちらこそ、よろしくお願いします。
さっそくですが、
今回は、
可視光線よりも波長の長い赤外線で、
クラーナハの《ゲッセマネの祈り》
という作品などの「下描き」を見ています。
──
おお‥‥見えてる!

ルカス・クラーナハ(父)《ゲッセマネの祈り》 ルカス・クラーナハ(父)《ゲッセマネの祈り》

(つづきます)

※作品の保存・貸出等の状況により、
 展示作品は変更となる場合がございます。

2023-08-10-THU

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  • 国立西洋美術館の リニューアルプロジェクトを記録した ドキュメンタリーがおもしろい!

    2016年、世界遺産に指定された
    ル・コルビュジエ建築の国立西洋美術館。
    この「常設展へ行こう!」の連載が
    はじまる直前、地下にある
    企画展示館の屋上防水更新の機会に、
    創建当初の姿へ近づけるための
    リニューアル工事がはじまったのですが、
    その一部始終を描いた
    ドキュメンタリー映画が公開中です。
    で、これがですね、おもしろかった。
    ふだんは、見上げるように鑑賞している
    巨大な全身肖像画‥‥たとえば
    スルバランの『聖ドミニクス』なんかが
    展示室の壁から外されて、
    慎重に寝かされて、
    美術運搬のプロに運ばれていく姿なんか、
    ふつう見られないわけです。
    それだけで、ぼくたち一般人には非日常、
    もっと言えば「非常事態」です。
    見てて、めちゃくちゃドキドキします。
    重機でロダン彫刻を移動する場面とかも
    見応えたっぷりで、
    歴史的な名画を描いたり、
    彫刻をつくったりする人もすごいけど、
    それを保存したり修復したり
    移動したり展示する人も同じくすごい!
    全体に「人間ってすごい」と思わせる、
    そんなドキュメンタリーでした。
    詳しいことは映画公式サイトでご確認を。
    また、その国立西洋美術館の
    現在開催中の企画展は、
    「スペインのイメージ:
    版画を通じて写し伝わるすがた」です。
    展覧会のリリースによると
    「ゴヤ、ピカソ、ミロ、ダリら
    巨匠たちの仕事を含んだ
    スペイン版画の系譜をたどることに加え、
    ドラクロワやマネなど
    19世紀の英仏で制作された
    スペイン趣味の作品を多数紹介します」
    とのこと。まだ見に行ってないのですが、
    こちらも、じつにおもしろそう。
    常設展ともども、夏やすみにぜひです。

    常設展へ行こう!

    001 東京国立博物館篇

    002 東京都現代美術館篇

    003 横浜美術館篇

    004 アーティゾン美術館篇

    005 東京国立近代美術館篇

    006 群馬県立館林美術館篇

    007 大原美術館篇

    008 DIC川村記念美術館篇

    009 青森県立美術館篇

    010 富山県美術館篇

    011ポーラ美術館篇

    012国立西洋美術館

    013東京国立博物館 東洋館篇