今年(2024年)1月に刊行された
junaidaさんの絵本『世界』は、
じつは、
「大きな大きな1枚の絵」を、
30ページに分割したものだった‥‥!
(手にした人は、知っている)
どうしてそんなに壮大で、
難しいであろうことに挑んだのか。
junaidaさんに、じっくり聞きます。
担当は「ほぼ日」奥野です。
なお現在、神田のTOBICHI東京では、
絵本のもとになった原画を展示中。
ぜひ、見に来てください。

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第3回 絵は絵でしかないし、絵は自分。

──
毎日毎日絵を描いて、経験を積んできて、
技術も向上するでしょうけど、
コンセプトとか構想の部分が、
どんどん磨かれてくって感じなのかなあ。
ぼくは残念ながら画家ではないんですが、
それこそ「世界を描こう」なんて、
若いうちは、
そうそう思いつかないような気がします。
junaida
年齢を重ねるにつれて、「自分」って、
だんだんふくよかになっていきますよね。
肉体的にも、精神的にも。
その感じを、
心地よく思えるようになってきたのかな。
──
ふくよか。
junaida
自分はこうあるべきだ‥‥じゃなくて、
いろいろ混ざってる、
日々、グラデーションの中にある。
そんな当たり前を、
受け入れられるようになったというか。
反逆者、みたいな気分の次の日に
世界中に感謝したくなる日がくる。
何にもしたくない日もあれば、
もう、やる気がみなぎってる日もある。
──
それでいい、と思える?
junaida
それが自分だなって、思えるんです。
だから、作品に向き合うときにも、
へんに気負わなくなってます。
若いころは
こういうものをつくらなければとか、
この域に達しなければ‥‥
みたいに思い込んでいた気がします。
──
それって、切れるほどに鋭い反面、
軽く触れても
刃こぼれしちゃいそうな感じですね。
junaida
最近は、そのときそのときで
自分なりに一所懸命できればいいな、
みたいな感覚なんですよ。
言葉にすると
語弊があるかもしれないんですけど。
──
いや、でも、その感じはわかります。
年齢が同じくらいだし。
適当でいいといったら変ですけどね。
junaida
そうそう。
ね。ダメなときは、ダメだし(笑)。
──
結局、何をするにしても、
自分でしかないようなことだなって、
思うようになってます。ぼくも。
junaida
そうですね。うん。
どうにもならないことは
ジタバタしてもしょうがないと思えるし、
逆に、作品をつくるって、
そんな自分の「先」へ手を伸ばすというか、
自分自身の延長線上にある気がします。
いつでも自分は自分の途上にいるんだし、
そこまで気負う必要はないなと。
──
そう思えるようになってきた。
junaida
うん。そのときの気持ちがすべてだから、
ひょっとしたら、来年とかに
「もう、絵なんか描く気が起きないです」
とか言ってるかもしんない(笑)。
──
でも、それだって「自分」ですもんね。
そのときの、ありのままの。
junaida
そうですね。
──
手垢のついた表現かもしれませんけど、
「自然体」だなあ。憧れます。
それって、絵を描く場面でいったら、
どんな感じなんですか。
junaida
サラーッと描きはじめて、
サラーッと描き終わるみたいな感じが
理想なんですけど、
最近、ちょっと近づけてる気がします。
──
おー。
junaida
別のインタビューでも言ってるんですが、
ぼく、「イライラしてから描く」
ということを、ずっとやってるんですよ。
いい感じにイライラしてから、描き出す。
──
イライラ?
junaida
自分では、もう描く準備はできてるのに、
わざと描き出さず、
もうどうにも
フラストレーションがたまってきたとき、
エイヤって描きはじめる。
──
弓をギリギリ思いっきり引いた状態から、
バーンと弾けるような感じ?
junaida
でも、いまは、そんなことをしなくても
自然にイライラする。
で、自然に描きはじめて、自然に終わる。
この『世界』を描き終えたあとに、
そんなふうに、できるようになりました。
──
へええ。
junaida
そうとう変わった気がします。

──
それほど大きな経験だったんですね。
「世界を描く」ということは。
junaida
ぼくは、すごく「休み下手」で、
作品を描きはじめると、休めないんです。
今回も絵を描いていた5ヶ月間は
ずっと「途上」にいた。
その間ちゃんと休んだのって、
たぶん1日か2日くらい。
──
ひゃー、そうなんですか。
junaida
手を止めてても心ここに在らずだし、
夢の中でも描いてました。
──
あっちの「世界」に行ってたんだ。
junaida
完全に行っちゃってましたね‥‥。
夢の中ではあれだけ描いたのに、
朝、起きたら1ミリも進んでないんです。
で、心の底からがっかりする(笑)。
──
わはは、なるほど(笑)。
で、それくらいの経験を経たことで、
junaidaさんの中で、いろいろ変わった。
junaida
はい。
──
クリエイターに話を聞くと、
この人は、自分のことを知りたいために、
ものをつくってるんじゃないかなと、
思うことがあるんです。
さっき話した写真家の大橋仁さんもだし、
映画監督の原一男さんは
「自分自身を知りたいから
ドキュメンタリーをつくっている」って
明言されてましたし。
junaida
そうなんですね。
──
junaidaさんには、
そういう感覚ってありますか。
junaida
うーん‥‥ぼくの場合は、
たぶん、自分の描く絵が見たいっていう
気持ちのほうが強いかもしれない。
──
自分自身を知りたいと言うよりも?
junaida
はい。自分の絵から、
自分がわかるのかもしれないんですけど、
それよりまずは、
自分の描く新しい絵が見たいって、
たぶん、誰よりも思っているのがぼくで。
──
自分が自分のいちばんのファン。
junaida
そう‥‥なのかもしれない。
──
それは、すばらしいことですよ。
junaida
自分という人間がどんな人間なんだって
あんまり気にして描くことはないんです。
でも、自分ってきっと
ぼくの描く絵に、表れていると思います。
──
そうなんでしょうね。
junaida
描いている間は、
へその緒で絵と繋がってるような、
不思議な一体感があります。
でも完成した瞬間に、
絵は絵という独立した存在になる。
だから「絵は絵でしかない」って
思うと同時に、
きっと「絵はあのときの自分」なんですよね。
そのときの気分や、
体調含めて自分の状態が反映されるから。
だから、もしかしたらぼくは、
自分の絵をつうじて、
自分のことを知っているのかもしれない。
──
他のところでも、何度も聞かれてるかも
しれないんですけど、
なんでこういう絵になったんですかね。
junaida
なんでなんでしょうね‥‥?(笑)
──
結局、見たい絵がこれだということは、
自分の好みってことだし、
ここに至るまでの、
自分の歴史がそうさせてるんでしょうけど。
junaida
そうですよね。
何でこうなったのかな。謎です(笑)。

(つづきます)

2024-12-11-WED

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