2020年の年末、ほぼ日は
神田の町に引っ越してきました。
はじめてのこの町をもっと知りたいし、
もっと知ってほしいと思っています。
そこで、日本全国のすべての市町村を回った
若き写真家、かつおさんこと仁科勝介さんに
神田の町を撮ってもらうことにしました。
自由にやってください、かつおさん。

>かつおさんのプロフィール

かつお|仁科勝介(にしなかつすけ)

写真家。1996年岡山県生まれ。
広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2020年の8月には旅の記録をまとめた本、
『ふるさとの手帖』(KADOKAWA)を出版。
写真館勤務を経て2020年9月に独立。
2021年10月から2022年8月にかけて、
東京23区の490ある全て駅を巡る
プロジェクト「23区駅一周の旅」を完遂。
そこで撮影した、東京のささやかな日々を
まとめた写真集『どこで暮らしても』
2022年11月に自費出版。
2023年春から新プロジェクト始動予定。

前へ目次ページへ次へ

#194


神田とふたご座流星群

何でもない1日にすることもできた。
用事を済ませて、
家に帰ると16時になっていた。
ただ、今日がふたご座流星群の日であることは知っていた。
その上で、東京の区内にいるのだから、
流れ星なんて見えっこないという
気持ちが大部分を占めていた。

わずかな心残りがあるとすれば、
神田に居ないこと。
もちろん流れ星を見たいとは思うけれど、
今まで何度神田で星を見ようとしたことか。
「ここならば」
と自信のある場所が浮かばなかった。
だから、諦めることはいかにも簡単だったが、
もし今日を逃してしまったら、
その心残りはどこへ彷徨う?  
やがて自問自答が始まった。
「お前はベストを尽くしたのか?」
と聞かれたら、
「いやぁ、ベストを尽くすなら、
行かないとダメですね」
と返事するしかない自分がいたのだ。
少し迷った末、
気持ちにスイッチが入った。

普段以上に厚着をして、
コンタクトを眼鏡に変えて家を出た。
タイムリミットは極大の22時にしよう。
それまでに一度も流れ星を見ることができなければ、
見えなかったと書くしかない。

まもなく神保町駅に着いた。
A5出口を上がると目の前には時計があって、
その下は赤いデジタル式の温度計が表示されている。
階段を登り切る直前に、
9.3度から9.2度に変わった。

流れ星を探す作戦は、シンプルだった。

「神田川を下っていこう」

空が広く、可能な限り暗いこと。
この2つの条件を考えたとき、
わかりやすく思い浮かんだのは、
神田川に架かる聖橋だ。
そして、もしここがダメなら、
川をそのまま下っていけばいい。
空が広いことは想像がつくし、
一箇所でも暗い場所があれば、
星は見えるはずだ。

淡い期待を抱いて聖橋を訪れると、
出たのはため息だった。
手前の大きなビルが明るすぎる。
とはいえ想定内でもある。
次の昌平橋へ向かうために、
坂を下っていく。
歩きながら、
高校時代に天文部の部長だったことを思い出した。
年に一度、
部でバスを借りて流れ星を見に行く日があった。
ふたご座流星群の日に。

次の昌平橋はまたしてもダメであった。
しかし、次の万世橋では「おっ」と声が出た。
もう少し暗ければ、いけるかもしれない。
どんどんと下流へ進み、
次のふれあい橋、
和泉橋も惜しかった。
千代田区内の橋はあと2つで、
残りに期待をかける。
だが、この2つの橋はオレンジ色の街灯が強くて、
肉眼でも星はあまり見えない。
試しに最後の左衛門橋で写真を撮ってみたが、
ほとんど星は写らなかった。
悔しさが込み上げる。
ああ、いまもどこかで、
「見えた!」とか「流れた!」とか、
歓声が上がっているんだろうな。

それでも、まだ諦めるには早い気がして、
近くの和泉公園に行った。
条件が悪いわけでもなかったので、
ここでも撮ってみた。
先の橋よりも、星は写っている。
だが、「ここで勝負したい」
とまでは心が動かなかった。
公園には一人で黙々とサッカーの
自主練習をする若い男性がいた。
ぼくがコソコソとやっている様子に見向きもしない。
その背中を見て、
自分のやる気も揺れ動く。

思っていたエリアは全滅だった。
徒歩移動だし、
晩御飯も食べていないし、
時刻は21時に迫ろうとしていた。
万事休すかな。
そもそも、
神田で流れ星を見ようとする人などいるのだろうか。

だから、このまま帰っても悔いはなかったけれど、
「もしかしたら‥‥」
とふと思い浮かんだ場所があって、
電車に乗った。
日比谷線の秋葉原駅から、
茅場町駅で東西線に乗り換えて竹橋駅へ。
第81回の記事でも撮ったことのある、
皇居東御苑そばの震災イチョウ辺りなら、
空が広いと思ったのだ。
だが、向かいには大きなビルがあるから、
明るすぎたらダメだろう。
行ってみるまで、
完全に半信半疑だった。

それでも、
竹橋駅から地上に出て目が慣れると、
最後のチャンスがやってきたと思えた。
いままででいちばん星が見える。
もちろん、
街灯の無い場所とは雲泥の差だが、
肉眼でもオリオン座がわかった。
悪条件の夜空に一喜一憂することも、
そうはないだろう。
震災イチョウの近くに荷物を下ろして、
ガッチリと三脚を立てた。
極大の22時までは、
あと1時間もない。
よし、ここで勝負をしよう。

贅沢な目標は2つであった。
ひとつは、肉眼で流れ星を見ること。
もうひとつは、
流れ星を写真に収めること。
いずれも叶わないままに、
ここへやって来た。
ただ、ここで撮ると決めたならば、
あとは三脚を立てて、
レリーズというファインダーを
覗かなくても写真が撮れる道具を使って、
ひたすらシャッターを切る。
その間ぼくは空を見上げたままでいい。
どれか1枚でも写ってくれと願う。
肉眼でも見上げる。
じっと待つ。
ぼーっと、我慢強く。

撮影を始めて、
少し経ってからであった。
ぼくの近くに、
一人の女性がいることに気づいた。
近くとはいっても、
10mぐらい離れている。
自転車を停めて、
ぼくと同じ空の方角を見上げていた。
その方が流れ星を探していることは、
一目瞭然だった。
ぼくは東京の中心で流れ星を探している人が、
自分以外にもいることが初めてわかって、
驚くとともに仲間が増えたようだった。

しばらくしても、
流れ星を見ることはできなかった。
そこで、もちろん迷ったけれど、
不審者にならないように遠くから、
その方に声をかけた。
距離があるので、
大きめに
「あのー、流れ星見えました?」と。
もし、返事をしてくださるなら、
「見えないですねー」という返答が、
返ってくるものだと思っていた。
すると、その女性は高く澄んだ声で答えてくれた。

「さっき、ひとつ見ました」

えっ。体が固まった。
まだぼくは一度も見ていないのに。
この方は、見たというのか。
慌てふためいたのと同時に、
ぼくはいままで半信半疑だった目標が、
もしかしたら叶えられるかもしれない、
というところまでステップアップしたことに喜びを感じた。
消えかけていた炎がメラメラと大きくなった。

「なぜこの場所へ?」と、
もう一度だけ質問をした。
近くに住んでいて、
ここなら空が広くて見えるかもしれないと
思ったとのことだった。
その方はぼくと同年代ぐらいに感じたけれど、
それ以上のことは聞かなかった。

それから数十分、
震災イチョウの前で流れ星を探す人は、
二人であった。
ただ、しばらく経っても空に動きはない。
バッドエンドもよぎってきた。
果たして、それでも、やっぱり‥‥。
いろいろな気持ちが混ざり合ってはいたが、
空を見続けてはいた。
そして、いままでの感情を一瞬で吹き飛ばす瞬間は、
ほんとうにやってきたのだ。

その瞬間。思考が追いつく前に、
ぼくは大きな声を出していた。
「あ!」という、
たったひと言である。
もし昼間に上空を飛ぶ飛行機が、
その空の間を通過するならば、
1分はかかりそうなほどの広大な距離を、
わずか1秒にも満たない閃光が、
一瞬で駆け抜けた。
文句無し、正真正銘の流れ星であった。
呆気に取られて、
まもなく余韻から目が覚めたとき、
ハッと横を向くと女性は飛び跳ねていた。
ああ、これは作り話じゃない。
確かに東京の中心で、
いま、流れ星を見たんだ。

ほどなくして、
その方は
「そろそろ帰ります」
と帰路につかれた。
上京した人かもしれないし、
実家が近い人かもしれない。
それよりも、
仮に流れ星を見るには条件が悪い土地でも、
こうして星を探して見たい、
と願う人がいるのだということを、
ぼくはこれからも忘れないだろう。

それから極大を迎える22時まで、
一人で夜空を眺めた。
あれから3つ、
すなわち4つの流れ星を肉眼で見た。
2回目以降は心に余裕ができて、
星が流れると
「きたー!」や「おおー!」と声が出た。
一人でぼんやり空を見ていると、
片方からは皇居東御苑の木々が風に揺れる音が、
片方からは内堀通りを走る車の轟音が響いた。
世界の狭間のような場所だった。
そして、22時を数十分だけ過ぎたのちに、
ぼくは流れ星の観察を終えたのであった。

流れ星が写っているかどうか、
帰りの電車の中ですぐに確認した。
手応えはわからない。
ダメかなとも思った。
でも、100枚ほど撮っていたうち、
2枚に流れ星が写っていた。
こればっかりは運であるから、
電車の中で冷え切った体があたたまった。

とにかく、ぼくにとって重要なことは、
神田の土地で流れ星が見えるかどうか、
ということもだけれど、
まずは見ようとしてみることであった。
1時間で4つの流れ星を見たということは、
条件の良い場所で見える確率の、
10分の1ほどである。
きっと、見えていないだけで、
流れ星は何度も夜空を駆けた。

そして、見えた4つの流れ星のうち、
いちばん大きかったものは、
知らない方と一緒に見たひとつ目の流れ星だった。
あの残像が消えることはまだない。
ということを、
人に話しても信じてもらえるだろうか。
自分から話すのはやめにしようかな。
あの方と出会えなくても、
心の中で、
「震災イチョウの下で、
大きな流れ星を見ましたよね」
と話せるから。
それだけで、
十分である。

2022-12-19-MON

前へ目次ページへ次へ