このところ、美術家の横尾忠則さんは、
中国の伝説的な僧侶
「寒山」と「拾得」の絵を描きつづけています。
102点におよぶ横尾さんの寒山拾得の絵が、
2023年12月3日まで、
上野の東京国立博物館 表慶館で公開されています。
糸井重里も大絶賛したこの展覧会に、
すべりこむようにして行ってきました。
横尾さんの「寒山百得」を観て歩くのは、
イラストレーターの南伸坊さんと伊野孝行さんです。
進行役はほぼ日の菅野です。
まだごらんになっていない方、お早めにどうぞ。

>南伸坊さんのプロフィール

南伸坊(みなみ しんぼう)

1947年東京都生まれ。イラストレーター、
ブックデザイナー、エッセイスト。
東京都立工芸高等学校デザイン科卒業、
美学校・木村恒久教場、赤瀬川原平教場に学ぶ。
雑誌「ガロ」の編集長を経て、フリーに。
著書に『モンガイカンの美術館』
『装丁/南伸坊』『私のイラストレーション史』
ほか多数。
伊野孝行さんとの共著に『いい絵だな』がある。

>伊野孝行さんのプロフィール

伊野孝行(いの たかゆき)

1971年三重県生まれ。イラストレーター。
東洋大学卒業。セツ・モードセミナー卒業。
2013年に講談社出版文化賞、2014年に高橋五山賞、
2016年にグッドデザイン賞を受賞。
おもな著書に『画家の肖像』『となりの一休さん』
『いい絵だな(南伸坊さんとの共著)』など多数。
Eテレの番組「オトナの一休さん」
「昔話法廷」の絵を担当するなど多彩な活動。
WEBサイト「伊野孝行のイラスト芸術

 

>横尾忠則さんのプロフィール

横尾忠則(よこお ただのり)

1936年兵庫県生まれ。美術家。
1972年ニューヨーク近代美術館で個展。
パリ、ヴェネツィア、サンパウロなど
各国のビエンナーレに出品し、
ステデリック美術館(アムステルダム)、
カルティエ財団現代美術館(パリ)、
ロシア国立東洋美術館(モスクワ)など
世界各国の美術館で個展を開催。
また、東京都現代美術館、京都国立近代美術館、
金沢21世紀美術館、国立国際美術館など
国内でも相次いで個展を開催し、
2012年神戸市に兵庫県立横尾忠則現代美術館、
2013年香川県に豊島横尾館開館。
1995年毎日芸術賞、
2011年旭日小綬章、朝日賞、
2015年高松宮殿下記念世界文化賞、
令和2年度東京都名誉都民顕彰、
2023年日本芸術院会員、文化功労者。
著書に小説『ぶるうらんど』(泉鏡花文学賞)
『言葉を離れる』(講談社エッセイ賞)
小説『原郷の森』ほか多数。

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第3回 面倒くさいが、一致。

この絵と次の絵のあいだ、
3日しか空いてないんだぁ。
9月3日にこれを描いちゃって、
そこから6日までにこれ描いてる。
すっごいなぁ。
──
で、9月9日にはもう別の絵を描いてるんですね。
スピードがすごい。
伊野
最初のほうで見た横尾さんの「寒山拾得」は、
寒山はトイレットペーパー(巻物)、
拾得は掃除機(ほうき)を持っていましたが、
どんどん変化して、この絵ではなぜか、
大谷選手の前のお皿にトイレットペーパーが(笑)。

──
レストランの、
お皿にかぶせたフタをあけたら
トイレットペーパーが。
こういう発想も横尾さんの
「手のアイデア」で出てくるのでしょうか。
あはは、ていうかさぁ。
「手のアイデア」で思い出した、
伊野くんが言ってた、シミを見て絵を描く‥‥

伊野
シミの画家? あ、壁のシミのアンドレア‥‥
あ、アンドレア・デル・サルトです。
ルネサンス期の画家で、夏目漱石の
『吾輩は猫である』に名前が出てくる。
あのアンドレアがさ、
弟子にそう言ったとか言わないとか。
──
ルネッサンス時代にも
「手のアイデア派」の人が。
ぼくの家ね、トイレの床がね、
大理石の写真版なんだよ。
──
写真版?
そうそう、
「大理石の床」じゃなく、
大理石の写真を貼ったような、
プラスチックの床。
伊野
はい、おっしゃっていることはよくわかります。
その床を見てると、毎日、
違うものが見えてくる。
──
(笑)
よく、写真に「幽霊が写ってる」とか言うじゃない?
あれはさぁ、自分が勝手に見てるんだよ。
意識的じゃないんだ。
でも見えてくるの、
大理石の不定形の模様から、
自分のイメージが‥‥
──
大理石ふうの床から日々のテーマが。
そう、大理石ふう(笑)。
動物が見えたり、化けものやヌードが見えたり、
その日によって違うんです。
「あ、こんなことあるんだ」って、
最近思った。
伊野
たのしいウンチングタイムですね。
その、アンドレア‥‥
アンドレア・デル・サルト。
伊野
デルサルトという人は、
壁のシミを模写してたとかでしたっけ。
抽象画という表現形式がうまれるずっと前から、
画家たちはそういうものから
インスピレーション受けてたということですよね。
絵を描くって、知らないけど、
そういう性質があるんじゃないかと。
頭で考えるだけじゃなくってさ。
いまのぼくらは、ほとんど、
アイデアを起点にしてしか進めないんですよ。
でも、横尾さんみたいに、
絵を描く人はきっと、
描いてるうちに何かが出てきて
「こうしたい」と思ってくる、
そんな描き方してるのかもしれないね。
横尾さんがNHKの
『日曜美術館 アートシーン』で
絵を描いてるの観たけど、
筆を持って、
「ここからここを、こう塗る」って感じじゃないんだよね。
一方、ぼくらがイラストレーションで色を塗るときは、
「ここからここまで、こういう形に色を塗る」
と思って、塗ってます。平滑に。
そうして決定したあとの時間てのはもう、
「作業」なんですよ。
だけど、横尾さんの筆の置き方は、まるで違う。
横尾さんは、塗ってるうちに
そこからどんどん何かが出てくるの、待ってるんだ。
たとえば、横尾さんの絵にときどき
グジャグジャしているような柄が出てきますよね。
──
はい。

それが重なっていくうちに
別のイメージができてくることがあって、
横尾さんはそれ、つかまえてるのかもしれない。
伊野
「目的があると、到達するまでが過程になる」
というようなことを
横尾さんはどこかで話しておられました。
たとえば、とても写実的な、
タッチも残らないようなリアルな絵は、
おそらくそんな感じで描くと思います。
しかし横尾さんの場合は、
筆をキャンバスに置いていく瞬間瞬間から、
もうすでに、完成している‥‥というか、
完成していくんですよ。
うまくきれいに仕上げたものが
完成というわけじゃないので、
いつ「完成」が訪れるのかは、
わからないんですけど。
そう、うまいこと言うねぇ!
ほんとうに、デザインとは真逆の方法論。
伊野
「完成」と言っちゃいましたが、
この「寒山拾得」は、
いわば未完成な印象を受けます。
これまでの横尾さんのどのシリーズよりも、
そのことが顕著にあらわれてますよね。
きっと、横尾さんの描く寒山拾得たちは、
完成の足音を聞くと、
ヒョイっと次の絵に抜け出ていってしまうんです。
「寒山拾得」シリーズは、未完であるのが魅力ですね。
ぼくはとても気持ちが入っていきやすいです。

──
伊野さんにとって、横尾さんは、
これまでどんな印象のある人でしたか?
伊野
横尾さんはこれまで
さまざまな「宣言」をなさってきましたよね。
──
画家宣言や隠居宣言などですね。
伊野
横尾さんは、宣言のたびごとに
変化されていくわけですが、
でも区切りをつけているけど、
終始一貫しているような感じもありました。
──
たしかに。
伊野
で、横尾さんの口癖は
「面倒くさい」なんですよね?
──
はい(笑)。
伊野
「面倒くさい」と言いながら、
ものすごく面倒くさい絵を
描かれてるじゃないですか(笑)。
──
わはははは。
(笑)ほんと、そうだね。
伊野
いろんな資料を見ながら描くのも面倒だと思うんです。
一回描いたキャンバスを切り裂いて、
別の絵と組み合わせるような作品を
発表されてた時期もありましたよね。
──
キャンバスを編んで完成させるような
巨大作品ですよね。
伊野
そうそう。でもね、ついにこの
「寒山拾得」で、
横尾さんの「面倒くさい」と絵が
みごとに言行一致したような気がして。
──
わああ、そうか。
この横尾さんの「朦朧体」で。

伊野
これまで横尾さんの作品には、
まず驚かされて
次におもしろいなーって笑って
で、こんなの自分にはとても描けないやぁって思うんですが、
「寒山拾得」シリーズはどことなく
やさしい感じを受けるんですよね。
‥‥ってちょっと待ってください。
ついペラペラしゃべってますが、
これまでは横尾さんは遠くから憧れている存在で、
寄らなくてもいいと思っていたんです。
今日、こんな機会をいただいて、
ほんとにうれしいんですが
この感想を横尾さんがお読みになるのかと思うと、
イヤです(笑)。

(明日につづきます)

2023-11-24-FRI

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