スリーピースの
サニーデイ・サービスのライブは、
音が大きい。
3人だけなのに、どこよりデカい。
実際に大きいかどうかは
わからないけど、
音楽が、ズンズン、心臓に響く。
曽我部恵一さんに話を聞いたら、
その理由がハッキリわかりました。
この曽我部さんという人が、
信頼する仲間と出してる音だから、
聴いてる人の身体を
突き抜けて飛んでいくんだなあと。
全6回のインタビューを、どうぞ。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>曽我部恵一さんのプロフィール

曽我部恵一(そかべけいいち)

1971年8月26日生まれ。乙女座、AB型。香川県出身。90年代初頭よりサニーデイ・サービスのヴォーカリスト/ギタリストとして活動を始める。1995年に1stアルバム『若者たち』を発表。70年代の日本のフォーク/ロックを90年代のスタイルで解釈・再構築したまったく新しいサウンドは、聴く者に強烈な印象をあたえた。2001年のクリスマス、NY同時多発テロに触発され制作されたシングル「ギター」でソロデビュー。2004年、自主レーベルROSE RECORDSを設立し、インディペンデント/DIYを基軸とした活動を開始する。以後、サニーデイ・サービス/ソロと並行し、プロデュース・楽曲提供・映画音楽・CM音楽・執筆・俳優など、形態にとらわれない表現を続ける。http://www.sokabekeiichi.com

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第5回 「お前ら全員死ね!」で開いた世界。

──
曽我部さんは、
音楽に心が救われたような経験を
したことがありますか。
曽我部
救われた‥‥そうですね、
僕は、セックス・ピストルズとかの
パンクを知ったことが、
自分自身、
すごく大きな転機になってるんです。
それまで「音楽」って、
感動的で、真面目なことばっかりを
歌ってるもんだと思ってたから。
──
ああ、そうなんですか。
曽我部
そうじゃなくて、ピストルズなんかは
「お前ら全員死ね!」
みたいなことを歌ってるじゃない。
あんなのもアリなんだって知って、
救われたというか、
世界がパーッと開いていった感じかな。
──
お前ら全員死ね‥‥で、世界が開いた。
曽我部
まあ(笑)、中学生のころですけど、
パンクに出会わなかったら、
つまらない人生だったなと思いますね。
──
どういう少年だったんですか。
曽我部
もうね、学校もつまんないし、
当時は親も好きじゃないと思ってて、
「お前ら全員死ね」って、
本気で思ってるようなやつでしたね。
こんな世界、
木っ端みじんに終わっちゃえばいい、
と毎日、毎朝、思ってた。
──
今の曽我部さんからは
ちょっと想像つかない感じですけど、
思春期って、そういうものかも。
曽我部
でも、自分と同じ思いを歌にしてる
人たちの存在を知って、
すっごくうれしくなったんですよね。
で、「僕もこれをやるんだ!」って、
友だちとバンドを組んだんです。
──
その‥‥目のまえが開けた瞬間の
少年の気持ちを想像すると、
ちょっと、感動してしまいますね。
曽我部
ギターを買うお金はなかったんで、
親戚の人から借りました。
もう、「お前ら全員死ね!」って
思ってたこと以外、
バンドをやりはじめる前の自分が
何を考えていたのか、
ちょっと思い出せないくらいです。
──
そんなですか。
曽我部
うん、パンクに出会う前の人生は、
親とか先生とかに
学校へ行けと言われたから、
行っていただけの人生だったから。
──
そんな少年が、パンクに出会って。
曽我部
自分は、この自分の人生においては、
絶対バンドで食っていくんだ、
やりたいのはバンドだけなんだって
気持ちになったんです。
──
すごい決意。
曽我部
まだ1曲もつくってないのに(笑)。
──
いいなあ(笑)。
ちなみにセックス・ピストルズには、
どんなふうに出会ったんですか。
曽我部
僕、中高一貫校だったんですけど、
当時、高3の先輩に
パンクな人がたくさんいたんです。
あるとき「おまえ、これ聴いとけ」
と渡されたテープに、
セックス・ピストルズが入ってた。
──
それまでは、どういう音楽を?
曽我部
カルチャークラブとかのポップス、
ヒットチャートの音楽しか
聴いたことがなかったんですよね。
だから自分がバンドをやるなんて、
思ってもみなかった。
──
でも、パンクという音楽は、
自分が思ってることと一緒だったから。
曽我部
「歌詞に罵詈雑言が並んでいて最高!」
と思ったわけです(笑)。
──
でも、そこからはじまったバンド人生が、
いまも続いているんですものね。
曽我部
そうなんですよ。
──
セックス・ピストルズの他に、
ターニングポイントになったバンドとか
ミュージシャンっていますか。
曽我部
ジョン・レノン、ボブ・ディラン。
──
おお。
曽我部
ジョンの『ジョンの魂』っていう
アルバムを聴いたとき、
セックス・ピストルズ以来の、
大げさじゃなく、革命的な何かが
自分の中に生まれたんです。
自分自身というものを、
ここまで素直にさらけ出すことで、
こんなにも、
誰かを感動させられるんだ‥‥と。
──
具体的には‥‥。
曽我部
たとえば「コールド・ターキー」は、
自分の苦しみを、
ただただ言葉にしてるだけですよね。
それで自分はこんなに感動している。
ああ、これなのかって思いました。
──
きわめて個人な事柄を歌っていても、
音楽として成り立つんだ‥‥と。
曽我部
うん。同時に、そういうことでしか、
伝わっていかない恐ろしさ。
きれいに飾った音楽は心地いいけど、
魂に直接響いてくるのは、
自分の苦しみを叫んだ声なんだって。
──
そうか‥‥。
曽我部
人間の‥‥少なくとも、
僕の心のある部分に触れてくるのは、
そういう音楽、
そういう声なんだなと思ったんです。
──
声。
曽我部
うん。
──
あの、さっきも言いましたけど、
曽我部さんの歌声って、
僕、すごく好きなんですけど、
昔から、その声だったんですか。
曽我部
20代のころの声とはちがいます。
で、この先も変わると思う。
40代のいまは「出る」んだけど。
──
あ、そうなんですか。出る。
曽我部
うん、いまのほうが出ますよね、声は。
若いころに比べたら。
ただし、体力が回復するまでの時間は、
ぜんぜん長くなってますけど。
──
そうでしょうね、それは。
曽我部
どれだけ疲れたり喉が枯れたりしても、
昔だったら、少し休めば
もう一回やれるって感じだったけど、
さすがにいまは、
一晩、寝ないと戻ってはこないですね。
──
40代のほうが声が出るっていうのは、
どういう感覚ですか。
納得いく声が出る‥‥というような?
曽我部
実際、声がデカくなってきてるんです。
──
そういうものなんですか。
曽我部
うん、やればやるほど太くなっていく。
倍音も増えている気がします。
──
鍛えてるからってことでしょうか。
曽我部
たぶん。ずっと歌ってるから。
──
以前オペラ歌手の人に取材したときに、
オペラの場合は、
50代が最高の時期だと言ってました。
曽我部
ああ、本当ですか。
──
60代からは、喉の筋力が落ちてきて
声にビブラートが入ってしまうので、
それはオペラ的にはダメなので、
いっそう鍛錬が要ると言ってましたが。
曽我部
そうなんだ。なんか、わかるなあ。
ビブラートって、いろんなことを、
ごまかすこともできちゃうから。
──
使いようによっては。なるほど‥‥。
曽我部
やっぱり、さっき「全身全霊」って
言いましたけど、
自分のすべてを、
歌に載せることが大事だと思ってて。
──
漫然とは歌えないんですね。
曽我部
そうですね。少なくとも、僕はそう。
ただ、伝えたいことが出すぎてたり、
感動させようとするのもちがう。
それよりも、そういう思いを超えて、
自分の持ちうるすべてを、
歌に載せて出すということなんです。
──
はい。
曽我部
お客さんの感情をコントロールしようとか、
何かをごまかそうとか、
そういう歌には、何にも感じないから。
そこに、その人の人生や、
その人自身がいるかどうかが、すべてです。

(つづきます)

2021-02-19-FRI

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    写真:田口純也

    協力:CLUB Que Simokitazawa