中原淳一さんのファンを公言する
ファッションデザイナーの丸山敬太さんが、
語ってくださいました。
中原さんが貫いた「哲学」について。
中原さんが残した、美しい文化について。
お洋服について、
クリエイティブということについて。
中原さんのお話をしながら、
丸山さんの創作論にも、とどいていきます。
全5回、担当は「ほぼ日」奥野です。
丸山敬太(まるやまけいた)
文化服装学院卒業。1994年にコレクションデビュー。世界の舞台でもコレクションを発表。『晴れの日に着る服・心を満たす服』をコンセプトに、新たなモードエレガントを提案。その他、ミュージシャン、俳優、舞台の衣装制作をはじめ、ブランドやイベントのディレクションなど、広い分野で活動。近年ではJALの制服を手掛ける。2016年、青山本店をコンセプトストア『丸山邸』としてリニューアルオープン。2019年、ブランド25周年を迎えた。
第1回
むしろ、「哲学」の部分。
- ──
- 今度、中原淳一さんの展覧会を、
やらせていただくことになりまして。 - 中原さんのつくった
雑誌のふろくの展覧会なんですけど。
- 丸山
- ええー、素敵!
- 中原淳一さんのつくったふろくって、
あんまり残ってないですよね?
- ──
- はい、そうみたいですね。
- 現存しているものを
拝見させていただいたんですけど、
段ボール箱ほどの容れ物ひとつに、
「これでぜんぶです」って。
- 丸山
- 貴重なものですよ、それは。
- ──
- 丸山さんは、中原さんがお好きで、
中原さんデザインのドレスを、
実際に、つくったりされてますね。
- 丸山
- そうなんです。
- ──
- ですので、今日は、
中原淳一さんのどのような部分に
惹かれたのか、
うかがいたいと思ってきました。
- 丸山
- はい。なんでもどうぞ(笑)。
- ──
- まずはぼくたち、
中原さんのことを知れば知るほど、
その「多才ぶり」に、
かなり、ビックリしておりまして。
- 丸山
- 今っぽく言うとすれば
「スーパーマルチクリエイター」
って感じですもんね。
- ──
- ああ、なるほど。
- 丸山
- 物資のない戦中・戦後のあの時代、
編集長として
『それいゆ』や『ひまわり』を
つくっていただけでなく、
アートディレクター、デザイナー、
イラストレーター、スタイリスト、
ヘアメイク‥‥
本当に、おひとりで何もかも、
やってらっしゃったって言うから。
- ──
- キャリアのスタートが
人形作家だった‥‥ということも、
また、ビックリでした。
- 丸山
- 本当ですよね。
- ──
- 絵やお洋服をさんざんやったあとに、
いつか「お人形」にたどりつく‥‥
というのなら、
なんとなく納得できるんですけど、
10代の少年が、
いきなり「お人形でデビュー」って。
- 丸山
- 逆に安っぽく聞こえると嫌ですけど、
やはり「天才」だったんでしょうね。 - でも、その淳一さんの才能に比べて、
アーティストとしての評価は、
ありえないくらい低いと思うんです。
- ──
- はい、そう思いました。
- 丸山
- それはやっぱり、
原画や作品が残っていないからだと
思うんですよ。 - 雑誌のために描いたイラストを
印刷屋さんに渡して、
そこで、
「そういうもの」として扱われて、
無くなっちゃったのも多いって。
- ──
- 中原淳一作品の原画というより、
まずは、「雑誌の原稿」だったから。
- 丸山
- そう。
- ──
- いろんなことを、
全部ご自身でやっていたことも、
すさまじいと思いました。 - 雑誌のカバーガールを描くのも、
中面の細かなカットも、
女の子のためのエッセイも、
素敵なふろくの考案も、
すべてご自身でやっておられた。
- 丸山
- そうです、そうです。
- ぼくが、いちばん共感したのも、
その部分なんです。
もし、それだけの才能があって、
許されるのなら、
「ぜんぶやってみたい!」って、
自分も思うだろうなあ‥‥って。
- ──
- ああ、そういうものなんですね。
クリエイターというのは。
- 丸山
- ぜんぶ自分でやりたいって思う人は
たくさんいるでしょうけど、
実際にやれる人って、
めったに、いないと思うんですよ。 - ジャン・コクトーとかみたいな人は、
そういうタイプだと思うけど。
- ──
- ああ、なるほど。
詩人、小説家、画家、映画監督‥‥。
- 丸山
- それに、
ぼくが淳一さんを好きなところって、
ものをつくっていただけじゃなく、
暗い世の中に、
光を灯し続けていたことなんです。 - 戦前から戦時中、戦争直後と、
ともすれば飲み込まれてしまうほど、
大きな闇みたいなものと向き合いながら、
当時の女の子たちに、
光を灯し続けてきたというところが、
素晴らしいと思っていて。
- ──
- あの、繊細で美しい絵の後ろ側には、
時代がどんなに暗くても、
女の子には美しくあってほしい、という
「つよい思い」があったようですね。
- 丸山
- つくり出すものもすばらしいけれど、
内面的・精神的なものや道徳観、
人として
どうあるべきかという信念をもとに、
あれほどの、
ファンタジーのような作品をうんだ。
- ──
- つまり、表面的なものじゃなく。
- 丸山
- 淳一さんのすごさって、
むしろ「哲学」の部分だと思います。 - だからこそ、
いつの時代にも響くんだと思います。
- ──
- なるほど。
- 丸山
- 女の子の絵がかわいい、
お洋服がすばらしい‥‥だけでなく、
そこに込められた
彼の思想や生き方に共感するんです。 - 女の子たちに向けた雑誌をつくって、
女の子のためのファッションを
提案していましたけど、
女の子が‥‥というより、
人として、
何が清くて何が品なのかを、
問うていたような気がするんですよ。
- ──
- 品。
- 丸山
- 品格‥‥というんですかね。
- まずしい時代に美しくあるためには、
やっぱり、
美しい心を持たなきゃならないって、
そういう思いが、
彼のベースにあったんだと思います。
- ──
- なるほど。
- 丸山
- だから、ただおしゃれしましょうと
提唱するのではなく、
一輪の花を部屋に飾ることが
いったいどういうことなのかを‥‥。
- ──
- はい。
- 丸山
- お金がなくて花が買えないのならば、
野に咲く花を摘んで飾りましょう、
それが、
あなたの心を豊かにするんですって、
丁寧に教えているんです。 - あの感じ、ぼくは、
今の時代にこそ必要かもって思うな。
- ──
- あの時代、
中原さんは「何を見ていた」んだと、
思われますか。
- 丸山
- いったんは戦争で途絶えたとしても、
欧米のカルチャーは、
どんどん、入ってきていましたよね。 - そういうものだとか、
淳一さんは、
あの時代にパリへも行ってますから、
あの街からも、とても多くの刺激を、
受けてるんじゃないでしょうか。
- ──
- なるほど。
- 丸山
- それこそ、ココ・シャネルも
ジャン・コクトーも、ピカソだって、
そこにいた時代なわけです。 - 同じ時代、遠く離れた日本にも、
中原淳一さんという
すばらしいアーティストがいた。
なんかもう、すごいよね。
- ──
- 時代がちがったら、
また別の評価もあったんでしょうか。
- 丸山
- もし今‥‥彼がいたらって思うとね。
どんな感じに、なっちゃうんだろう。 - きっと、素敵なホテルをつくったり、
おもしろい学校を設立したり、
いろんなこと、やってるでしょうね。
- ──
- あー、それはワクワクしますね。
- 丸山
- 街のギャルとも仲良くなっちゃって、
もっとかわいくしてあげたり。 - 彼のエピソードですごく好きなのが、
館山かどこかで、
おしゃれとは無縁な
漁村の貧しい女の子たちの髪の毛を、
毎日いろんな形に
結ってあげていたという話なんです。
- ──
- ご病気で療養中のお話ですよね。
- 丸山
- 根っからそういう人なんでしょうね。
きっとね。
(つづきます)
2020-09-21-MON
-
現在、発売中の「ほぼ日手帳2021」では
昭和の時代、雑誌という舞台の上で
イラストレーター、編集者、
ファッションデザイナー、
アートディレクター、スタイリスト‥‥と
多彩な才能を発揮した中原淳一さんの
別注版ほぼ日手帳WEEKSが
登場しています。
この発売を記念して、TOBICHI2では、
中原さんがうみだし、
昭和の時代の女の子たちをときめかせた
少女雑誌『少女の友』『ひまわり』の
「ふろく」を、
ずらりと一堂に展示しています。
いつも大盛況の中原さんの展覧会ですが、
ふろくだけを集めるのは、初のこころみ。
創意工夫と、かわいらしさと、
女の子たちへの思いがこめられていて、
じつに繊細で美しく、クリエイティブ。
現存する貴重な品々を、ごらんください。
会場では、別注WEEKSはもちろん、
中原淳一さんのグッズも販売いたします。
会期は、9月27日(日)まで。
くわしいことは
こちらの特設ページでご確認ください。