なにもかもが
「これまで通り」ではいかなくなったこの1年。
演劇界でもさまざまな試行錯誤があり、
それはいまもなお続いています。
お芝居の現場にいる人たちは
この1年、どんなことを考えてきたのか、
そして、これからどうしていくのか。
まだまだなにかを言い切ることは難しい状況ですが、
「がんばれ、演劇」の思いを込めて、
素直にお話をうかがっていきます。
第2回目にご登場いただくのは、
脚本家・演出家の末満健一さんです。
2.5次元舞台の人気作品である
舞台『刀剣乱舞』シリーズの
脚本・演出でも知られる末満さんは、
コロナ禍の中の演劇である挑戦をされました。
演劇を主に取材するライター中川實穗が
聞き手を務めます。
撮影:タケシタトモヒロ
末満 健一(すえみつ けんいち)
1976年生まれ。脚本家・演出家・俳優。
2002年、演劇ユニット「ピースピット」を旗揚げし、大阪を中心に活動。
2011 年以降、活動の場を東京にも広げ、現在に至る。
主な作品に、舞台『刀剣乱舞』シリーズ、
舞台「鬼滅の刃」シリーズ(以上、脚本・演出)、
TV アニメ『ボールルームへようこそ』(シリーズ構成・脚本)など。
2009 年より発表している演劇オリジナル作品「TRUMP シリーズ」は、
演劇公演のほか小説やコミカライズ
(「ヤングエース」にて連載中)もされている。
2021年6月27日まで、IHIステージアラウンド東京にて
舞台『刀剣乱舞』无伝 夕紅の士 -大坂夏の陣-(脚本・演出)を上演中。
2021年夏には舞台「鬼滅の刃」新作(脚本・演出)を上演予定。
- ――
- 商業演劇の状況が厳しくなることは、
ご自身の職場がなくなるようなものですから、
焦る気持ちになりませんでしたか?
- 末満
- う~ん‥‥。
僕の場合は、結果的に今、
なんとか食えているというだけなので。
そもそも焦るほど安定してなかったというか。
僕、今年45歳なんですけど、
38歳で東京に出てくるまで自分の演劇が
まともなお金になったことはなかったですし。
- ――
- 長く大阪の小劇場でやられていましたよね。
- 末満
- ええ。その頃、収入という意味ではまったくでした。
- ――
- じゃあ、「職業」という感じじゃなかったのですか?
- 末満
- 職業‥‥なんだろうなあ、考えたことないな(笑)。
好きでやってる、っていうのともちょっと違うし。
「これでお金を稼げたらいいのにな」
とはぼんやり考えてはいましたけど、
明確に「仕事にしていかないと」とは
僕は思っていなかったんですよ。
大体、38歳で東京に出てくるっていうのも
遅いですしね、この業界的には。
- ――
- どうして東京に来ることになったのですか?
- 末満
- 東京での仕事が増えたからですね。
しばらくは大阪から通いながら仕事してたんですけど、
その頻度が増えた頃に
そろそろ移動がめんどくさくなって。
- ――
- 「演劇がやりたくて東京へ!」
みたいな感じではないんですか。
- 末満
- やりたいかどうか、みたいなことは
あまり考えたことがないですね。
むしろ「もう今さら辞められへん」
ってところですかね。
なにも成し遂げてこなかった自分が
唯一やれていることが演劇だったので。
「これ辞めると、
どう生きていっていいかわからない」っていう。
大阪ではバイトもしてましたけど。
- ――
- そんなふうに
「演劇を仕事にするぞ!」とは
あまり考えていなかった末満さんは、
ご自身が手掛ける公演のチケットが
即完売したりするような現状については、
どう思っているんですか?
- 末満
- いや~、だからありがたいなって。
バイトしなくていいから(笑)。
- ――
- コロナ禍の中で、作・演出を末満さんが手掛けられた
『黑世界』のお話もうかがいたいのですが、
この作品は音楽朗読劇で、
各6話×2バージョンというオムニバス形式でした。
まずはリモートでお稽古をされたそうですね。
- 末満
- はい。でも、
リモートで演劇の稽古をするのは無理だと、
すぐに諦めました(笑)。
タイムラグがあるし、音が途切れたりするし。
歌稽古なんかは特にダメでしたね。
伴奏とずれるから。
2人で歌うところなんかはもう、
歌唱指導の先生が、
自分の頭の中でズレてないことにして
歌唱指導をするという(笑)。
- ――
- すごいテクニック(笑)。
- 末満
- もう、よくわからない状況になって。
「演劇の稽古はリモートじゃできないね」
っていう発見が、
あのリモート稽古の最大の成果でした(笑)。
- ――
- でも、稽古場での稽古は5日間くらいでしたよね。
しかも1日は伴奏の稽古があったので、
残りの4日で、2バージョン。
(通常の稽古は1カ月間が目安)
- 末満
- 感染予防対策で、
人と人が接触する時間を短くするために
稽古期間を最小限にしてくれと言われて。
1作品2時間20分で2本立てでしたが
延べ5日間の稽古でしたね。
歌や芝居だけでなく、
そこに振付の稽古もありましたから。
- ――
- はあ、振付まで‥‥‥。
「朗読劇」ではあるので、
キャストは手に台本を持って読むわけですが、
椅子に座って静かに朗読するような形式ではなく、
もはや普通のお芝居をされていました。
しかも歌もありますから。
普通なら長期間の稽古が必須な
作品だったと思うのですが、
当時、末満さんはどう思われていたのですか?
- 末満
- まあ、「科白劇」と一緒で、
おもしろいものはできるだろうし、
こういうことができるのは今だけだろうなと。
平時であったらありえない稽古のやり方ですが、
それすらもあの状況だからできた。
キャストやスタッフは
「いや、正気かよ……」と
思っていたかもしれませんが(笑)、
この状況下でもエンターテインメントを届けるんだと、
すごく前向きに参加してくださっていました。 - 観ていただいたお客さんには、
「ああ、演劇ってこんなこともできるんだね」
という可能性を
感じてもらえたんじゃないかなと思います。
同じコロナ禍の作品でも、
「科白劇」と『黑世界』では
違うアプローチでできましたし。
- ――
- お客さんの反応も良かったですしね。
- 末満
- 「コロナ禍でもこんなやり方で表現ってできるんだ」
というお声もいただいたりもしたので、
ちゃんと届いたな、という感覚はありました。
- ――
- 私も「こんなことができるんだな」と感激しました。
稽古期間がすごく短かったことも、
ソーシャルディスタンスもそうですが、
ものすごい制限の中で
つくられた芝居だということは全く感じさせない、
自由で豊かな世界が広がっていたので。
キャストとスタッフの皆さんの
ものすごいエネルギーを感じましたし、
客席にも静かな熱気が漂っていて
これは劇場でしか味わえないものだなとも思いました。
- 末満
- そこは、
表現の方法もそうですし、
お客さんの意識的にも、
あのときじゃないと嚙み合わない感覚みたいなものが
あったと思います。
当時は大変でしたけど、
今思い返すとおもしろかったですね。
- ――
- 手を抜いてって意味ではなく、
もうちょっと苦労しないようにつくることも
できたと思うんですよ。
でも、こんな茨の道を選んだのは‥‥。
- 末満
- あの時期、
お客さんが
「どうなっちゃうの?演劇」っていう
マインドになっていたとして、
そんな状況下でなにを観たら
「演劇は大丈夫だ」と思ってもらえるかなと思って。 - 無理にいつも通りのものを遂行することも
できるんだろうけれども、
まぁそれを観ても
不安とかは払拭されないだろうと思うと、
なんかそういう、
「あ、演劇は大丈夫だ」と思ってもらえるものを、
僕らの表現から感じてもらえたらいいな
と思っていました。
(つづきます)
2021-06-05-SAT