1981年に放送された名作ドラマ、
『北の国から』をご存じですか?
たくさんの人を感動させたこのドラマを、
あらためて観てみようという企画です。
あまりテレビドラマを観る習慣のなく、
放送当時もまったく観ていなかった
ほぼ日の永田泰大が、あらためて
最初の24話を観て感想を書いていきます。

イラスト:サユミ

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#1

はやくも思い出した。

『北の国から』第1回のあらすじ

純(吉岡秀隆)と螢(中嶋朋子)は
父親の五郎(田中邦衛)に連れられて
北海道・富良野へやって来た。
両親が別居したため、東京を離れて
富良野で暮らすことになったのだ。
しかし、電気もガスも水道もない
大自然の中での新しい生活に、
都会育ちの純は拒絶反応をおこす。
「拝啓、恵子ちゃん。
北海道がロマンチックだなんて全然サギです!」
純はさっそく東京に逃げ帰る作戦を練り始めた。

 

夜になったらどうするんですか。
夜になったら寝るんです。

有名なフレーズがもう出てきてしまった。
予想していたものよりもずっと、
切羽詰まった問いかけだった。
「夜になったらどうするんですか?」ではなく、
「夜になったらどうすンですか!」という感じだった。

ちなみにそれは吉岡秀隆さん演じる純が、
田中邦衛さんに連れられて
富良野のはずれの荒れ果てた小屋に
はじめてやって来て、
ここには、というよりも「このあたりには」、
水道も電気もガスもないと知ったときに言う。

「夜になったらどうすンですか!」
「夜になったら寝るんです」

そして、第1話を観ながらぼくは、
はやくも思い出してしまった。
まさか、放送当時の気持ちが
よみがえってくるなんて思いもしなかった。

ああ、そうだった、としみじみ思い出したのは、
当時みんなが観ていた
『北の国から』という人気ドラマを
自分がなぜ観なかったのかということだ。

だって、たいへんそうだったんだよ。

番組の予告のようなものを観て、
「こりゃぁたいへんだ」とぼくは思った。
つまり、物語の過酷さやドラマの重さのようなものを
予告編をちらっと観ただけでだいたい察して、
「こりゃぁたいへんだ」と思った。

東京で育った小さな子どもがふたり、
いかにも不器用っぽいお父さんといっしょに、
北の辺境の、夜は寝るしかないような
ぼろぼろの家で暮らしていく。
正直、そんなたいへんなドラマを
引き受けたくなかったのだ、ぼくは。
たとえおもしろいとしても、
そういうしんどいものに時間をつかうのではなく、
もっと、気軽な、観たらすぐにわははと笑えるような、
へーとおもしろがれるような、
ほどよいものだけを適当に観ていたかった。

それでぼくは『北の国から』を観なかった。
観なかったというよりも、
「近寄らないようにしていた」のだと思う。

そういうふうに勝手な理由で警戒して
距離を置いているものって、
じつはいまもたくさんあると思う。
ドラマに限らず、映画、小説、マンガ、ゲーム。
すごくいいとわかっているけど、
重そうだからやめておく。
暗そうだからスルー。
長いからパス。

もちろんそれは悪いことじゃないと思う。
いつ何を観るかはその人の自由だし、
「いい作品だから絶対観るべき」なんていう理屈は、
たとえ善意であってもやっぱりちょっと乱暴だ。

だから、重いものや長いものを避けるのは、
まったく後ろめたさは感じなくていいと思うんだけど、
それをたっぷり理解したうえで、
でもさ、ずっとそうでもちょっとどうよ?
という気持ちがぼくのなかにはある。
ラクで手軽で簡単なものだらけの世界って、
ちょっとどうよソレ、ヘイヘイ?
というふうにぼくは思いながら、
ディストーションのかかったギターを
一発、ギャーンとストロークする。

ぼくは思う。
少なくとも人生のある季節には、
重そうで長そうでたいへんそうなものを、
ごっくんと飲み込むことがきっと必要で、
大げさにいえばそういうごつごつした
消化の悪いようなものこそが
のちの自分のユニークな礎になっていく。
実際の自分の経験をいえば、
二十代の前半にそういうものを
片っ端から無差別に飲み込んでいなかったら、
おそらくいまのぼくはない。

たいへんなものは、重い作品は、
受け取るのはたいへんだけど、
きっとなにか特別な価値観のようなものを
その人にもたらす。
そして、これもとても大切なことだけれど、
重そうで長そうでたいへんそうなものは、
ひとたび入り込んでしまうと
重さや長さは消し飛んで、
うっとりとした体験にしばしば変質する。
だからこそ、自分の礎に溶ける。

『北の国から』が放送された1981年、
中学生だったぼくはそんな意義などまったく感じず、
なんだか「たいへんそうー」と思ったので、
このドラマに近寄らないようにしていた。
そりゃぁそれで、悪くはないさ。反省もしないよ。

そういった感情をありありと思い出しながら、
ぼくは第1回を、さきほど観終わった。
そう、つまり、このたいへんそうなドラマを
ぼくは観ることになったのだ。
そして、述べたように、
一旦、それを受け止める覚悟が決まると、
重そうでたいへんそうな物語は、
重厚でふかふかの絨毯とかソファみたいに
観るものを包み込んでくれる。
気持ちはそこへ、ドーンと入っていく。

吉岡秀隆さんの舌っ足らずなナレーションが
危なっかしくてたまらない。
幼い中嶋朋子さんの顔の造形のあの気品!
あと、田中邦衛さんは、どうなってるんですか?
深夜、家の外で不審な物音がして、
ドアに向かって声をかけるとき、
どうしてあんなふうに
「だぁれぇ‥‥?」って
ひょろひょろの声を出すんですか。
どういう演技プランですか、あれ。
誰がどう設計図をひいたらあれになるんですか。

そんなわけで、はっと気づくと、
ぼくはもうつぎがたのしみなんですよ。
ああ、いかん、初回から長い。

(つづきます)

2020-01-25-SAT

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