数々のベストセラーを生み出し、
書くことや、本をつくることについて
考え続けてきた古賀史健さんが、
たっぷり3年の月日をかけて、
「ライターの教科書」を書きあげました。
タイトルは『取材・執筆・推敲』。
できあがったばかりの原稿を読んだ
糸井重里とじっくり語り合いました。

>『取材・執筆・推敲』はこんな本です。

『取材・執筆・推敲』

古賀史健
ダイヤモンド社

編著書累計93冊、売上の累計は1100万部以上。
世界的ベストセラー『嫌われる勇気』をはじめ
数々の名著、ロングセラーを執筆してきた
ライターの古賀史健さんが、3年をかけて
「ライターの教科書」を完成させました。
本は、「取材」「執筆」「推敲」の三部構成。
21万文字、約500ページをかけて、
書く技術、伝える心得を教えてくれる本です。

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>古賀史健さんプロフィール

古賀史健(こが・ふみたけ)

1973年福岡県生まれ。
ライター。株式会社バトンズ代表。
九州産業大学芸術学部卒。
メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年に独立。
著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著)、
『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著)、
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』などがある。
構成に『ぼくたちが選べなかったことを、
選びなおすために。』(幡野広志著)、
『ミライの授業』(瀧本哲史著)、
『ゼロ』(堀江貴文著)など多数。
2014年、ビジネス書ライターの
地位向上に大きく寄与したとして
「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。
編著書の累計は1100万部を数える。
このたび、自身の経験と思いを凝縮した
「ライターの教科書」ともいえる本、
『取材・執筆・推敲』を完成させた。

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第6回

おまえこれからどうするんだ

糸井
この『取材・執筆・推敲』というタイトルは、
みんながおもしろがるでしょうね。
人がどう受け取るか、なかなか
想像できないようなタイトルですけど、
古賀さんと柿内さんのあいだでは、
「それだ!」ってなったんですよね?
古賀
いろんなものを出し合って、
最後に彼がこのタイトルを出してきたときは、
もう「ああ、それだ!」という感じになりました。
糸井
いや、それは、出したほうも、
「それだ!」と決めたほうも両方すごい。
タイトルを決めるときは、
なにか目指す方向性があったんですか。
古賀
こういう文章読本みたいな本って、
ロングセラーになるものが多いんですよね。
清水幾太郎さんの『論文の書き方』とか、
本多勝一さんの『日本語の作文技術』とか、
いまでもずっと重版し続けているものがあって。
そういうふうに、まあ、いってみれば、
ぼくたちの寿命よりも長持ちする本に、
というのは考えてました。

糸井
ああー、なるほど。
本の世界をすごく遠くまで見通してますね。
この本のもとになった
「ライターの学校」もそうですけど、
古賀さんが、じぶんが褒められたいとかを超えて、
「これからどうするのか?」ということと
向き合った結果なんでしょうね。
それは、ぼくがコピーライターをやめて、
ほぼ日をはじめたことと似ているかもしれない。
古賀
ああ、そうかもしれません。
糸井
いまぼくが「ほぼ日の學校」に
ちからを入れてるのも同じことだと思うんです。
「學校」という名前はつけてますけど、
なにかを「教えたい!」という感じではなくて、
いちばん大雑把に言うと、
コンテンツというもので仕事していきたいという
事業の欲からはじまってるんですよ。
で、そのおおもとは、じぶんたちが
「これからどうするのか?」
というところからはじまってるわけで、
それは、かなり強い動機なんです。
法人や会社としての動機だし、
ぼく個人の動機でもある。
古賀
それはぼくも似てると思います。
糸井
そうですよね。
だから、古賀さんがバトンズという
じぶんの会社を起ち上げてなかったら、
ライターの学校も教科書もつくろうと
思わなかったんじゃないかな。
ひとりのフリーランスのままだったら、
『嫌われる勇気』と
『幸せになる勇気』を書いた流れで、
もっと専門化したかもしれない。
心理学とか精神のほうに特化したり。
古賀
あ、それはほんとにそのとおりで、
実際、『嫌われる勇気』と
『幸せになる勇気』をやったあとに、
仏教の本を読みまくったんですよ。
で、けっこう深いところまで行っちゃって、
そこから新しい哲学思想を引き出そう、
みたいな感じでやってました。
たぶん、フリーのライターをやってたら、
どんどんそっちに行ってたと思うんです。
でも、会社を起ち上げて、
人を育てるということを意識して、
それこそ「誰かのお役に立つ」ということを、
仕事のひとつとして掲げたおかげで、
こういう本ができたのはまちがいないですね。
糸井
つまり、事業をやってる私って、
じぶんだけのためにやる
フリーランスよりも大人なんですよね。
ぼくが社長をきちんと引き受けたのも、
いまの古賀さんと同じ道のりだと思います。
だから、もし事業をやってなかったら、
ぼくは‥‥遊んでただろうなぁ。

古賀
はい(笑)。
糸井
いまのこの話を知っただけでも、
古賀さんのやろうとしていることを
ただのライター講座みたいに思ってる人は
ちょっと驚いたんじゃないかな。
やっぱり、これからどうしようっていうことと
真剣に向き合って、なにかをはじめるって、
ものすごくしんどいことなんだけど、
それをやらないと、つぎがはじまらないからね。
古賀
はい、ほんとにそう思います。
糸井
だから、ぼくは、この本を
「そうさ!」「そうそうそう」って
うなずきながら最後まで読んだって言ったけど、
技術的なことに共感したというよりは、
じぶんが書いたような気がしたのかもね。
古賀
ああ、そうか、そうか。
それはなんだかうれしいです。
糸井
あと、古賀さん、
この本を書いているときの3年間って、
SNSを通じて、つらい、苦しい、うれしい、
みたいな気持ちを、かなり正直に、
日常的に発表してましたよね。
ああいうこともはじめてじゃないですか?
古賀
ああ、これまでやってなかったですね。
糸井
ですよね。
あれはなんだったんですかね。
古賀
これまでにぼくがやってきた仕事って
じぶん以外の著者さんがいて、
その人の言葉を預かってる自覚があるので、
それをまとめているときに、
つらいとか苦しいみたいなことは
を外に出せないんですよね。
うれしいとか、わかった、みたいなことでさえ、
つくってる途中に言っちゃいけないという
職業倫理みたいなものがあって。
その点、これはもう完全に「俺の本」だから、
好き勝手やるぞという、なんか、
野に放たれた感じがあったんですよ。
糸井
ああ、なるほどね。
古賀
じつはこの本をつくる直前に、
かなり進めていた本の企画が、
ひとつまるごとなくなってしまったんですね。
そのときに、人のことばを預かってつくることの
難しさと言うか、限界みたいなものを感じて、
じゃあ、おまえこれからどうするんだ?
何がやりたいんだ? みたいな問答を
じぶんの中でずっとくり返していたので、
この本に取り組んだときに「これだ!」という
特別な気持ちになったのかもしれないですね。
糸井
その自問自答の時期は、何歳ぐらいのとき?
古賀
43、4歳ぐらいですね。
糸井
それは、俺が釣りをしてたときと同じだね。
そのころに、一旦、なんか、
いち人生が終わるっていうか。
古賀
ああ、そうですねー。
「つぎのじぶんを貫くテーマを探さなきゃ」
みたいなぼんやりした焦があって、
なんとなく、仏教おもしろそうだぞ、
っていう感覚で掘ってみたりもするんだけど、
やっぱりそうじゃないなってまた考えて、
ようやくこの本と学校の構想に
たどり着いたというか。
もちろん、ここからもまた
考えていくんだと思いますけど。
糸井
うん。だから、きっと、
これからも変わっていくんですよね、
落ち着いたところからも、おもしろい旅、
新しい旅のやりかたがあるっていうか。
古賀
そうですね。

(つづきます。)

2021-04-11-SUN

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