昨年の前橋ブックフェスの1日目、
糸井重里は母校の前橋高校で、
古賀史健さんとの対談をおこないました。
会場に集まってくださったのは、
80人近い高校生とその保護者のみなさん。
真剣に耳を傾ける若者たちを前に、
ふたりは「勇気」をテーマに
たくさんのことばを交わしました。
人生の先輩から後輩たちへ贈る
あたたかく、親愛に満ちた特別授業です。
全11回、どうぞおたのしみください。

>古賀史健さんのプロフィール

古賀史健(こが・ふみたけ)

ライター

株式会社バトンズ代表。1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年に独立。

最新刊『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』のほか、著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』などがある。構成に『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著)、『ミライの授業』(瀧本哲史著)、『ゼロ』(堀江貴文著)など多数。

2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。編著書の累計は1500万部を数える。

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第5回 自由に生きる人を、人は嫌う。

糸井
ここまで「勇気」の話をしてきましたけど、
古賀さんの本には
「嫌われる」ということばがつきます。
そのへんはどういうふうに‥‥?
古賀
嫌われる可能性って誰にでもあると思うんです。
なにか行動を起こそうとするとき、
かならず文句をいってくる人がいたり、
直接文句をいわれなくても、
なんとなく視線が冷たかったり。
でも、その「嫌われる」を恐れて、
人に嫌われないように生きていたら、
それはじぶんの人生ではなくて、
誰かの望んだ誰かの敷いたレールを
生きるような人生になってしまいます。
そのことに関してアドラーはこういっています。
「いま、もし君が嫌われているとしたら、
それは君が自由に生きている証拠なんだ」と。
糸井
あぁー。
古賀
そこまではっきりいわれると、
めちゃくちゃ気持ちいいじゃないですか。
糸井
うん。
古賀
誰しも生きてたら誰かに嫌われたり、
文句をいわれたりするんだけど、
それはむしろじぶんが自由に生きて、
自由を行使している証拠なんだと。
だからそういう目は気にしなくていい。
ぼくはその言葉を知って、
すごく割り切ることができました。

糸井
いまの話はとてもよくわかりますね。
古賀
人にはいろんな悩みがあって、
学業の悩みとか、恋愛の悩みとか。
でも、アドラーがいうには、
そういういろんな悩みというのは、
ぜんぶ「対人関係の悩み」なんです。
いまみんなが抱えるような、
あの大学に入れるか入れないかとか、
勉強を一日何時間しなきゃとか。
そういう悩みだって、
もし宇宙でじぶんしかいなかったら、
大学はないし、受験もしなくていい。
ちがう国に生まれていたら、
そういう選択すらしなかったかもしれない。
結局、まわりの人間関係や環境によって、
いまのじぶんの悩みは生じていると。
じゃあ、その「対人関係の悩み」を
どう解消していけばいいのかっていうのが、
アドラーの大きなメインテーマなんです。
糸井
それ、大発見ですよね。
古賀
そうですよね。
やっぱり嫌われることを受け入れる、
嫌われる勇気をもつっていうのは、
いちばん大事なことなんじゃないかなと。
糸井
「嫌われる」ということばの中に、
すでにいろんなものが含まれているんだけど、
人がなぜ人を嫌うかっていうと、
「じぶんが損をするから」だと思うんです。
損するっていういい方はおかしいけど、
「あいつが元気でいると俺が割りを食う」
ってときに人は人のことを嫌うんです。
古賀
あぁー。
糸井
その意味で嫌われる人っていうのは、
さっきいったように自由を見せちゃってる人。
あいつがあんなに自由に振る舞うと
俺が損しちゃうじゃないかってとき、
「あんな奴、もっと引っ込めばいいのに」って、
その人を嫌っていくわけです。
そうやって考えていくと、
じぶんが自由にのびのびやっていることが、
誰かに嫌われる理由なんだとしたら、
それ、嫌われる側になったほうが
じぶんとしては居心地がいいんですよ。
ぼくはずいぶん大人になってから、
そう思えるようになりました。
そんな駆け引きなんかしないで、
そいつのこと考えないほうがいいなって。

古賀
はい、はい。
糸井
ぼくはそれを勇気っていうことばで
表現はしてなかったけど、
勇気を代入してもいい気がしますね。
古賀
あとから身につけたのか、
もともと備わっていたのかわかりませんが、
糸井さんはそれを
ずっと行使していたんだと思います。
糸井
そうかもしれないですね。
じつは古賀さんという人は、
ぼくのインタビューを長々として
『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』
という本を出している人なので、
ぼくについてはものすごく詳しい(笑)。
古賀
そうですね(笑)。
前橋高校時代の話もたくさんうかがいました。
糸井
そういう古賀さんが、
いまのぼくの説明を聞いてどう思いましたか。
古賀
どう、っていうのは?
糸井
つまり、ひとつも「勇気」ってことばを使わず、
ここまで生きてきたってことに関して。
古賀
ああ、そうですね‥‥。
たぶん糸井さんはそのことばを
使う必要がなかったんだろうなって思うんです。
というのも、糸井さんは、
「じぶんは嫌なことを避けて生きてきたから、
嫌いな人とも会わずに済んだ」
という話をよくされるじゃないですか。
糸井
はい。
古賀
それ、糸井さんの主観の中では
「避けてる」なのかもしれないですけど、
やっぱりひとつひとつの誘いを
断ったり塞いだりするのって、
絶対に小さなストレスは感じるはずなんです。
糸井
なるほど。
古賀
まわりの人がそれをできないのは、
やっぱり断るのが申し訳ないとか、
誘われて行かないのは気が引けるとか、
そう思いながら渋々誘いを受け入れるんですけど、
糸井さんはそこをバサッと断る。
小さな嫌われる勇気の発動っていうのは、
おそらくものすごくたくさんしていると思います。
糸井
してるのかもしれないですね。
そういわれると。
古賀
多少、嫌われてもいいやとか、
冷たいと思われても構わないなって。
きっとそういうふうに思われてますよね。
糸井
でも、ぼくが「嫌だよ」って断るときは、
「嫌じゃないときにはやるよ」が
同時に入っているってことなんで。
古賀
あぁ、はい(笑)。
糸井
もし古賀さんが、
「きょう、ラーメン食べに行きませんか?」
って誘ってきたのに、
「うーん、きょうはラーメンじゃないから」
って断ったとするでしょう。
それは「ラーメンな日は行くよ」なんです。
古賀
そうですね(笑)。
糸井
だから断るにしてもやるにしても、
そういう反対側のものは
いつも含まれているんですよね。

2023-01-27-FRI

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