こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。
2016年の秋のころ、
偶然入った北参道のギャラリーで、
中園孔二という画家を知りました。
まだ若い人のようでしたが、
その作品に、なぜかとても惹かれて、
しばらくの間、眺めていました。
数年後、またも偶然、今度は
中園さんの作品集を手にしました。
2016年の展覧会の光景が、
数秒でよみがえってくるとともに、
その時点で、中園さんが、
すでに亡くなっていたと知りました。
そこで、中園さんと親交の深かった
ギャラリストの小山登美夫さんと、
ご友人・稲田禎洋さんに聞きました。
中園孔二さんって、
いったい、どんな人だったんですか。
中園孔二(なかぞのこうじ)
1989年神奈川生まれ。2015年7月他界、享年25歳。
2012年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
同年「アートアワードトーキョー丸の内2012」に
選出され、
小山登美夫賞、オーディエンス賞を受賞しました。
個展として、
2013年、2016年に小山登美夫ギャラリー、
2014年、8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery、
2018年には横須賀美術館にて、
初の美術館での個展
「中園孔二展 外縁ー見てみたかった景色」を
開催いたしました。
主なグループ展に「絵画の在りか」
(東京オペラシティ アートギャラリー、2014年)、
「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」
(埼玉県立近代美術館、2016年)、
「Japanorama: New Vision of JAPAN from 1970」
(ポンピドゥー・センター・メス、フランス、2017年)、
「7th Moscow International Biennale of Contemporary Art:
Clouds⇄Forests」
(New Tretyakov Gallery、モスクワ、ロシア、2017年)、
「DESIRE: A REVISION FROM THE 20TH CENTURY
TO THE DIGITAL AGE」
(Irish Museum of Modern Art、
ダブリン、アイルランド、2019年)、
「MOTコレクション第1期、第2期 ただいま/はじめまして」
(東京都現代美術館、東京、2019年)があります。
作品は、東京都現代美術館に所蔵されています。
小山登美夫(こやまとみお)
小山登美夫ギャラリー株式会社代表取締役社長。
1963年生まれ。東京藝術大学芸術学科卒業。
西村画廊、白石コンテンポラリーアート勤務を経て、
1996年に小山登美夫ギャラリーを開廊。
開廊当初、奈良美智、村上隆の作品を取扱い、
日本のアートシーンを大きく変える。
現在は菅木志雄、杉戸洋、蜷川実花、
リチャード・タトル等のアーティストや
陶芸アーティストなど、
国境やジャンルにとらわれず
巨匠から新たな才能まで幅広い作品を紹介し、
独自の視点で
現代アートマーケットの更なる充実と拡大を
目指している。
主な著書に
『現代アートビジネス』(アスキー新書)
『”お金”から見る現代アート』(講談社+α文庫)
など。
稲田禎洋(いなだよしひろ)
1985年、新潟生まれ。
中園孔二さんとは
2008ー2012年、東京藝術大学絵画科で同期。
国内外さまざまなジャンルの映像制作に
従事する他、アーティストとの共同制作多数。
過去の主な映像ディレクションに、
ナイル・ケティング「Remain Calm」
西岸美术馆(2019/上海)、
ジャポニスム2018
「深みへ -日本の美意識を求めて-」
ロスチャイルド館(2018/パリ)、
SANAA「犬島 家プロジェクト」
ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展
(2016/ヴェネチア)など。
- ──
- 中園さんは、いつごろから
絵を描きはじめたんですか。
- 小山
- 高校2年の6月までは、
バスケばっかりやっていたそうです。 - なんでも、
すごく運動神経がよかったらしくて。
- ──
- へえ。
- 小山
- お父さんが、体育の先生だったから、
基本的には彼も、
体育教師か運動選手になるって、
そういう考えを
持っていたみたいなんです、聞くと。
- ──
- 体育の先生。
- 小山
- でも、突然、
「絵をやる」って言い出したらしい。
- ──
- そんな‥‥急に。
- 小山
- 家族にしてみたら、
よくわからないわけですよ。
- ──
- それまで絵を描いていたりとかは?
- 小山
- まあ、描いてたとは思うんですけど、
それにしたって、突然だから。 - お父さんも、
スポーツのほうで期待していたんで、
最初、受け入れられなかったと。
- ──
- そうでしょうね、それは。
- 小山
- もちろん、展覧会の準備のときには
車を出してくれたり、
お父さんも手伝ってくれたんだけど。 - 一度、お父さんの実家に帰省しての
帰り道、
福岡から東京までの10時間、
もう一言も口きかなかったんだって。
- ──
- ひゃー、そんなに!
- でも、バスケを辞めて方向転換して、
美術の予備校に行って、
東京藝術大学に入っちゃうんですか。
- 小山
- そうらしいです。学生時代のことは、
稲田くんのほうが詳しく知ってます。
- 稲田
- そうですね‥‥ただ、ぼくも
大学で知り合ったので、
それ以前のことはわかりませんけど、
とにかく、
絵を描きたいって言いはじめたのが、
高校2年のときだったそうです。
- 小山
- 実家の2階で制作をはじめたのかな。
- 中園くんの部屋、
もう、すごいことになってるんです。
壁じゅうに絵が描かれていて。
- ──
- 壁じゅう、ですか。
- 小山
- 階段なんかにも絵を描いちゃって、
お父さんに怒られて、
白く塗り直した跡があったりね。 - これ、大学1年のころの絵です。
人には見せないんですけどね、一切。
- ──
- え、そうなんですか。見せない?
- 小山
- ほとんど見せてないと思います。
この絵も大学1年生のころの絵です。
- ──
- あ、素敵。大学1年ということは、
絵を描きはじめて2、3年で、これ。
- 小山
- 作品に値段がつくようになる品質感、
クオリティってあるんですけど、
すでに、その基準を満たしています。 - 大学1年くらいのときに描いた絵が
売れる人って、ほとんどいないから。
- 稲田
- そうですね。
- 小山
- 高校生のときに描いた絵については
まだ少し若い感じがあるけど、
大学1年のときにもう、
値段のつく域に到達してるんですよ。
- ──
- ものすごいスピードで、
才能が開花していったんでしょうか。
- 小山
- そうなんでしょうね。
- 稲田
- ぼくらが大学2年のときに
大学にアーティストのO Junさんが
先生としていらしたんですけど、
中園くんが、その年齢で、
すでに
大量の絵を描いていたということを、
すごく気にされていました。 - おそろしく多作な学生だな‥‥って。
- ──
- 生涯で‥‥。
- 小山
- おおよそ500枚、
いや‥‥こないだまた出てきたから、
550枚くらいかな。
- ──
- 出てきた?
- 小山
- 先日ね、新しく発見されたんですよ。
- ──
- どこから出てきたんですか。
- 小山
- 彼のアトリエの段ボール箱の中から。
- 稲田
- たぶん本だろうと思っていたんです。
読書家だったから。 - で、整理しようと思って、
なんとなくダンボール箱を開けたら、
出てきちゃったんですよ。
- 小山
- 稲田くんは、
中園くんのお父さんやお母さんと
仲がいいので、
遺品の整理を手伝ってるんです。 - 高松にあったアトリエも、
ぜんぶ整理したんだよね、仲間で。
- 稲田
- はい。
- ──
- 友人としての中園さんって、
どういう人だったと思われますか。
- 稲田
- ええ、作品はもちろんですが‥‥
彼と一緒にいる時間が、
本当にすばらしかったと思います。 - ただ、歩いたり、話をしたり‥‥。
見たことや、あったことを、
ぼんやりと共有していくような。
- ──
- 口数の多い人でしたか。
- 稲田
- ていねいに、よくしゃべりますね。
言葉を選んで話すタイプ。
- 小山
- よく遊んだ?
- 稲田
- そうですね‥‥遊ぶというより、
一緒にいたという感じです。 - 彼と過ごすことで得られる、
感度の高まりのようなものが、
あったように思います。
- ──
- ただただ、一緒に、いた。
- 稲田
- はい。
(つづきます)
2020-02-15-SAT