写真評論家の飯沢耕太郎さんに、
森山大道さんの「写真」がどいうものか、
いろいろうかがいました。
一貫して路上を撮ってきた森山さんの
特異性、魅力、その功績。
さらには、あの有名な「三沢の犬」が、
「どうして有名なのか」という、
なんとも素朴な(?)ギモンについても
丁寧にお答えくださいました。
最後には「撮れちゃった写真」の大切さ。
これには、なるほど~とうなりました。
「撮った写真」じゃなく
「撮れちゃった写真」が、なぜ凄いのか。
「撮れちゃった写真」を撮れるのが、
素晴らしい写真家なんです‥‥と。
全6回の連載、担当はほぼ日の奥野です。
飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)
写真評論家。1954年、宮城県生まれ。1977年、
- ──
- ちなみに、カメラを手にした人たちは、
いつくらいから、
屋外、路上へ出ていったんでしょうか。
- 飯沢
- いわゆるスナップ的な写真って、
家族そろってピクニックに行ったとき
お父さんがパッと撮るとか、
そういうところから、はじまっていて。
- ──
- それは、19世紀ですか。
- 飯沢
- うん、アマチュアの愛好家が
カメラを手にするようになったのは、
1880年代の後半に、
アメリカのイーストマン社が
コダックという
100枚撮りフィルム入りカメラを
発売してからなんですけどね。
- ──
- フィルム入りカメラ?
- 飯沢
- 撮り終えたカメラをコダックに送れば、
現像してプリントして、
カメラに
新しいフィルムをセットして送り返す、
という画期的な事業をはじめた。
- ──
- え、20世紀の「写ルンです」の丁寧版、
みたいなサービスが、すでに。
- 飯沢
- そう、で、
そのとき、スナップショットは誕生した。 - 当初から、家庭の写真、家族の写真、
記念写真としてあり、
そういうものとして
どんどん発達していくわけだけど、
そのうちに、
いわゆるアート志向の写真家たちが、
表現として撮りはじめるんです。
- ──
- スナップショットを。
- 飯沢
- だから‥‥年表的なことで言えば
1930年代ぐらいから
スナップショットのスタイルのアートが
かたちになりはじめ、
1950年代には、
さっき話に出たウィリアム・クラインや
ロバート・フランクが
写真集を出したり、
美術館で展覧会をやりはじめたんですよ。
- ──
- それ以前の「アート写真」って、じゃあ。
- 飯沢
- 絵のような写真。
- ピクトリアリズム‥‥絵画主義といって、
まさに「絵のような写真」だった。
- ──
- 写真が登場してきたころ、
当時の画家‥‥
とくに写実を志向していた印象派の人に、
影響を与えていますよね。 - 筆触分割で写実を極めようとしたけれど、
写真には「写実」ではかなわず、
その手法が、
むしろ絵画の方向へと向かっていったと。
- 飯沢
- ええ。
- ──
- 写真の人たちも絵を気にしてたんですね。
- 飯沢
- そう。
まるで絵にそっくりの写真を撮ったりね。 - 絵から写真へ、あるいは写真から絵への
一方通行じゃなく、
おたがいの影響関係の中で、
相互に発展していくことになったんです。
そのへんは、すごくおもしろいです。
- ──
- 森山さんの『実験室からの眺め』という
著作では、人類にとっての
はじめの一枚がテーマになっていますね。
- 飯沢
- ニエプスね。
- ──
- あれは、さらに黎明期ですか。
- 飯沢
- 1820年代です。
写真の「はじまりのはじまり」ですから。 - いまの写真に近いシャープなピントで、
現実の世界を
それなりに記録できるものとしては、
1839年のダゲレオタイプの発明まで、
待たなければならないんですが。
- ──
- ええ。
- 飯沢
- ニエプスが発明したのは、
「へリオグラフィー」と呼ばれる技法で、
露光に8時間もかかるから、
何が写っているのかさえよくわかんない、
ボンヤリとしたものでした。
- ──
- 農家の2階から窓の外を撮った‥‥。
- 飯沢
- そう。テキサス大学が持ってるんだけど
実際、その前に立ってみても、
何が写ってるのかほとんど見えないです。
- ──
- そうなんですか。
- 森山さんは、その写真を寝室に飾るほど、
その曖昧なイメージに何かを感じて‥‥。
- 飯沢
- そうみたいですね。
- もっとも、写真史的な観点から言ったら、
あのニエプスの写真は
「写真以前の写真」と言ったらいいのか、
不完全なものなんです。
- ──
- 不完全。
- 飯沢
- でも、森山さんが大スランプに陥って
どうしたらいいかわからないとき、
写真の「原点」にもういちど戻ろうと‥‥
そのとき、
ニエプスの写真に、リアリティを見た。 - そういうことなのかもしれない。
- ──
- 1820年代に写真の歴史がはじまり、
1839年に、ダゲレオタイプという
現在の写真に近い技法が生まれて、
1880年代後半にはもう、
持ち歩けるカメラが、発明されていた。 - そう考えると‥‥写真のはじまりから
たった50年ちょっとで、
スナップ写真を撮る人たちが現れたと。
- 飯沢
- 50年以上かかってるとも言えますよ。
- ──
- ああ‥‥なるほど。
つい、絵画の歴史と比べてしまいます。
- 飯沢
- 絵画と比較したら短いけど、
でも、写真の歴史も200年近くある。 - その中で、いくつか大きな変化があり、
中でも画期的だったのが、
スナップショットの登場だったんです。
- ──
- それほどまでに、大きな出来事。
- 飯沢
- スナップショットが登場したことで、
写真の撮り方・見え方・見せ方、
そのどれもが、大きく変わったから。 - そして、森山さんの仕事は、
日本における
アートとしてのスナップショットの確立、
と捉えるべきだと思います。
- ──
- 森山さんのパリフォトでのサイン会では、
熱烈なファンが、
大行列をつくったりするじゃないですか。 - 日本ではもちろんですけど、
海外の人を
あれほどまで惹き付ける理由というのは、
どこにあるんでしょうか。
- 飯沢
- 何度も繰り返していますが、
路上の経験が普遍的な経験だということ。
これがまず、ひとつあると思います。 - それに加えて1990年代以降になると、
日本の写真への関心が、
海外でも、がぜん高まってくるんですよ。
- ──
- そうなんですか。それは、なぜですか。
- 飯沢
- 1980年代より前は、日本の写真家が
どのような表現をして、
どのような仕事をしているのか、
海外では、ほとんど知られていなかった。 - でも、1990年代以降になると
カルチャーのグローバル化の流れの中で、
森山さんはじめ、
荒木経惟さんや東松照明さんといった
日本の写真家の展覧会が、
世界各地で開かれるようになったんです。
- ──
- へええ‥‥。
- 飯沢
- さらには日本の「写真集」も注目された。
- というのも、一冊の写真集の中に、
じつにいろんな要素が入ってるんですよ、
日本の写真集って。
それが、海外の人に、おもしろがられて。
- ──
- 海外の写真集は、ちがうんですか。
- 飯沢
- アメリカだとかヨーロッパの写真集って、
カタログ的に
自分の仕事を整然と順を追って、
同じ大きさで並べていくものが多いです。 - 日本独自のセンスや編集方針でつくった
日本の写真集が、世界でウケたんですね。
- ──
- はー、そうなんですか。
- 飯沢
- その中でも代表的なスターが、
森山大道さんと、荒木経惟さんなんです。 - 荒木さんの場合は日本のエキゾチズムが、
森山さんの場合は路上での普遍的経験が、
世界的に、リスペクトされたんですよね。
- ──
- すごいなあ。
- 飯沢
- それと、さっきも出た『PROVOKE』ね。
- 中平卓馬さんや高梨豊さん、
そして2号目からは森山さんも加わった
写真同人誌『PROVOKE』は、
1960年代の終わりに起こった
写真の運動体として、
世界的に見てもすごくラディカルだった。
- ──
- 今見ても、めちゃくちゃカッコいいです。
- 飯沢
- 当時、ヨーロッパやアメリカの写真家が
やろうとしていたことを、
むしろ「先どり」していたところがある。
- ──
- 先どり!
- 飯沢
- 自己表現というかたちの写真ではなくて、
むしろ「記録」であり、
それぞれの写真家の生きざまが、
そのままストレートに現れてくるような、
そういう表現のあり方。
- ──
- はい。
- 飯沢
- そんな運動を森山さんや中平卓馬さんが
敢然と推し進めたわけだけど、
そのこと自体や彼らの主張そのものが、
世界的にも、極めて、新しかったんです。
2021-04-11-SUN