作家、画家、音楽家、建築家、
「いのっちの電話」の相談員‥‥。
全くひとことでは言えない活動を
精力的に行っている坂口恭平さんが、
新刊『生きのびるための事務』をきっかけに、
糸井重里に会いに来てくれました。
今回、ふたりは初対面。
ですが、話していくと共鳴し合う部分が、
実にたくさんありました。
坂口恭平とは、いったいどんな人なのか。
(読みとくキーワードは、「猫」?)
鬱のこと、お金のこと、子供時代のこと、
これまでやってきた仕事のことなど、
大いに盛り上がったトークを
全17回のロング連載でおとどけします。
あ、いま‥‥風が通った?

>坂口恭平さんプロフィール

坂口恭平(さかぐち・きょうへい)

1978年、熊本県生まれ。
2001年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業。
作家、画家、音楽家、建築家など
その活動は多岐にわたる。
また、自ら躁鬱病であることを公言。
2012年から、死にたい人であれば
誰でもかけることができる電話サービス
「いのっちの電話」を自身の携帯電話
(090-8106-4666)で続けている。
2023年2月には熊本市現代美術館にて、
個展「坂口恭平日記」を開催。

著書も多く、2004年に刊行した
路上生活者の家を収めた写真集
『0円ハウス』(リトルモア)をはじめ、
『独立国家のつくりかた』
『苦しいときは電話して』(講談社)、
『幸福人フー』『継続するコツ』(祥伝社)、
『躁鬱大学』(新潮社)
『お金の学校』『cook』
『中学生のためのテスト段取り講座』(晶文社)、
『土になる』(文藝春秋)、
『幻年時代』(幻冬舎)などがある。
最新刊は『その日暮らし』(palmbooks)。
画集に『Pastel』『Water』(左右社)など。

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7 ノーギャラという方法。

糸井
坂口さんは『0円ハウス』という
最初の本を出したときに、
自分の初版のギャラを「0円」にして
貰わなかったわけですよね。
そのギャラって、嬉しいかもしれないけど、
それを貰うことでいろんなことが
縛られちゃうじゃないですか。
坂口
そうなんです。
糸井
そこを最初に出版社に
「それ、要らないんで」と言ったおかげで、
できることが格段に増えてる。
坂口
だけどこれ、別に誰からも教わってはないんです。
だけど「そっちのほうが遊びやすいよね」
って考えると、すごく通常の考え。
糸井
そのとおりですね。
坂口
僕からすると、初版の印税0%って、
どうでもよくて。
『0円ハウス』は、中身はほぼ写真集で、
しかも写真家ではない若手の本なんです。
写真集って、当時から出しにくい状況があって。
よく印税って10%とか聞きますけど、
写真家の人たちも、自分の印税を
6%とかに下げて本を作っていたんです。
僕は出版社に友人がいたから
「10%も安くない?」と聞くと、
「いや、いろいろ原価計算すると
いまの大手だと10%が限界だから」
みたいなことも言っていて。
そういう話も聞きつつ、いろいろ考えて。
糸井
はい。
坂口
それでまあ、二枚腰で。
まず、初めて本を出す人間による、
どこかギャグのような
「印税0%でいいので作品を作ってください」
「早く出したいんです」
「そうすると本の値段も下げられるでしょ」
といったあたりの話。
一方でこれは、増刷時の10%の印税を、
しっかり確保する方法でもあるわけです。
「初版の印税を0%にする代わり、
重版分からは10%くださいね」という。
実際、いまも印税10%をもらってますから。
だから、初回の100万とかを捨ててしまうことで、
初めて本をつくる僕も、著名な写真家とかと
同じ扱いを受けられるわけです。
そうやって絶対に自分を低くは見積もらない。
ノーギャラって、余裕の感じも出るし。
そういう『事務』をやってきたんですね。
糸井
僕もそういうこと、実はずっとやってきてて。
若いときの仕事って、
ほぼ全部ぐらいノーギャラだったんです。
単純に、そのちょっとのギャラっていらないんですよ。
坂口
わかります。
そしてノーギャラだとやっぱり
企画が100倍通りやすくなりますから。
糸井
なる。
坂口
それは本当にそうで。
「こいつを使いたい」ってなりやすくて。
糸井
だからそういうことって、
大人になってからもやり続けてますよね。
「最初の損を気にしないことで、
面白いことをやりやすくする」っていう。
実は、矢沢永吉の『成りあがり』の
仕事を僕がやることになったのも、
その前に自前でやった、
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの
取材記事がきっかけなんです。
坂口
へぇーっ。
糸井
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドって、
テレビに出る不良バンドだったんですね。
当時、いろんなバンドが
「テレビに出たら名折れだ!」ぐらいに
思ってたときに、
彼らは「近づいたら怖いぞ」ぐらいの格好をしながら、
じゃんじゃんテレビに出るわけですよ。
面白いな、取材してみたいなと思って。
それで当時『ローリングストーン』という
雑誌の日本版があって、相談してみたら、
編集長から
「やること自体はできるんですけどね」
って言われて。
つまり、予算がなくて全くお金が出せないと。
だから「あ、そこはぜんぜん要らないから」
と言って、やることになったんです。
まずは自前でテープレコーダーを買って。
あれこれ雑誌とかを調べてたら、
沖縄公演の情報を見つけたんですね。
それで、沖縄まで行ってしまえば
どこにいるかわかると思って、
切符を手配して、とにかく飛んで。
タクシーの人に聞いたらホテルが見つかって、
そこに自分も部屋をとって。
ホテルのフロントで、リーダーの宇崎竜童さんが
泊まっている部屋のキーボックスに
「この部屋で待ってます」という
手紙を入れてもらって、それがはじまり。
面白がってくれた宇崎さんが
本当に部屋に来てくれたんです。
だから原稿料もなければ、
飛行機代からなにから、すべてが自前。
ぜんぜんお金もなかったけど、やりたかったから。

坂口
もうなんかいまの話、
自分の話を聞いているみたいな(笑)。
俺がやったんじゃないかと思いました。
会場
(笑)
坂口
つまり、ノーギャラだろうがなんだろうが、
「やるのが楽しくてしょうがない」
ってことですよね?
糸井
そのとおりです。
坂口
僕もね、大工さんへの弟子入りとか、
やっぱり似たようなことをやってるんです。
昔あった「タウンページ」っていう
職業別の電話番号が載った冊子を見て、
「大工」のリストにあった工務店に、
家の電話で順番に電話していって。
僕の場合は
「つながらなかったところは縁が無いから、
繰り返し電話はしない」
というやりかただったんです。
来るものはピンって来るし、来ないときは来ない。
そういうことも経験から学んだんですね。
で、どんどん電話していって。
それでもう本当に最後あたりに、
一軒だけですけど
「東中野のカサイ工務店です」って言われて。
「いや親方、ちょっと丁稚奉公したいんです」
と伝えたら、
「丁稚奉公? 聞いたことねえけど、
うち子どもがいないんだよ」
って言うから
「これは、来た‥‥」と思って
「何杯でもごはん食べれます!」みたいな。
糸井
それ、何歳ぐらいですか。
坂口
僕が19歳でした。
糸井
それは若いね。
たぶん僕のさっきの話は、20歳ちょっとだもの。
19歳でそれをやるの、けっこう優秀だよね。
坂口
まあそこはちょっと僕ね、
ベテランの「みなしご感」があるんで(笑)。

糸井
いや、本当にそうだね。
坂口
その前にも僕、17歳で建築家になりたくて、
熊本中の店を見てまわって、
いちばんピンと来た建物の設計者に
実際に会ってますから。
糸井
へぇー。
坂口
当時、僕は熊本高校っていう進学校の上位にいて
「東大コース」みたいな感じだったんです。
高校までは教科書を記憶すれば
点数を取れるから、それでやってて。
そこで先生が「東大へ行け」っていうから、
「じゃ、東大にはどういった建築家の方が
いらっしゃるんですか?」と聞いたら、
「坂口ごめん、俺にはちょっとわからんぞ」
と言われて。
「え、なんでそれで東大がいいって
言えるんですか?」ということで、
とにかく自分で調べはじめたんです。
物事って基本的になんでも
「好き」だと通っていくじゃないですか。
だからまずは自分が熊本でいちばん好きな
建築を見つけようと思って、
あちこちの店を見に行って。
お店って、直接建築を体験できる場所なので。
しかもその「いちばん好き」も、
タウンページの「大工」という項目の中で
1位を見つければいいわけですから。
僕の場合、そこで感覚が拡散しないんですよね。
糸井
それも『事務』ですね。
坂口
そうそう。
で、そうやって出会った、当時の自分が
いちばんピンときた建築家の人に連絡して、
「無償でいいんで働かせてください。
明日からでも働けます。
大学行かなくていいんで」って伝えて。
糸井
だけど、まだ高校生でしょ?
坂口
そうです。だから
「お前、何をやってるんだ?」とか聞かれて。
話をしたらその人が
「それ、江戸に遊学したほうがいいだろ。
お前は能力があるんだから江戸に遊学しろ」
って言ってくれたんですよ。
で、高校の先生の声は頭に入らなかったけど、
その人の声は、入るんですよ。
自分がいちばん好きだと思った建物を
実際に作っていた人だから。
その人が「江戸に遊学しろ」と言った瞬間、
心が決まったんです。
また先生のところへ行って、
「東京の大学に行くことに決めました。
どこに行くべきか教えてください」
と言ったら、
「いや、俺はもうわからんし、お前は自分で探せ」
って言われて。
糸井
あぁ。
坂口
それで建築雑誌の『GA』を見はじめるんですけど、
本屋さんで
「バックナンバーを立ち読みできますか?」
って聞いたら、
「図書館に行きなさい」って教えてくれて。
ときどきそういう人がいるんですよ。
「なんであなた、バックナンバーを読みたいの?」
と言われて
「いや、お金の無い高校生だけど、
建築家を調べなきゃいけないんです。
『GA』がいちばんいい雑誌だと俺はみたので、
そのなかでひとり見つけなきゃならない。
そういう高校の宿題がありまして」って。
糸井
宿題(笑)。
坂口
宿題って言うと、みんな考えてくれるんです。
すぐ高校を持って来たりするの、僕、得意だから。
で、図書館で
「『GA』のバックナンバーありますか?」
って聞いたら
「閉架書庫に全部ありますよ」ということで、
何十冊でも取り寄せられるから、むっちゃ見て。
そうやって見てたら、
二川幸夫という人の建築写真がバンバン
自分の目に入ってくるんですよね。
もう、二川幸夫が大好きになって。
だから僕、大学に入ったとき、周りに
「二川幸夫の写真、ヤバイよね」とか言って。
だけどみんな、二川幸夫が誰かも知らないですよ。
「わかってないなあ」と思って。
糸井
バンドをやってる子が、いいギターを
見つけたみたいなものだよね。
坂口
本当にそんな感じでした。

(つづきます)

2024-09-07-SAT

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  • 『生きのびるための事務』
    漫画/道草晴子 原作/坂口恭平
    (マガジンハウス、2024)

    芸術家でも誰でも、事務作業を
    疎かにしては何も成し遂げられない。
    夢を現実にする唯一の具体的方法、
    それが“事務”。
    坂口恭平が人生で実践した方法を記した
    テキストをもとにコミカライズ、
    事務作業の大切さを伝えてくれる1冊。
    イメージできるものは全て実現できる。
    ただ誰もやらないだけ。
    足らないことはただひとつ、
    “事務”なのかもしれません。
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