ながくパーキンソン病を患いながら、
愛猫ROCCOを、
まるで俳優みたいに撮り続けた
星野正樹さんに聞きました。
たった独りでROCCOに向き合い、
部屋を真っ暗にして、
頭に、懐中電灯をくくりつけて。
病気に身体をふるわせながら、
どうして、そうまでして撮ったのか。
幼少時、舞台の「闇」に衝撃を受け、
長じてからは、
演劇プロデューサーとして活躍した
星野さんの半生が、
そこには、ふかく関係していました。
公私にわたる星野さんのパートナーで
ファッションクリエイター、
伊藤佐智子さんにも一緒に伺います。
担当は「ほぼ日」奥野です。
第5回
60年代、アングラの思い出。
- ──
- 星野さんの経歴を拝見すると、
オーストラリアの大学に留学したあと、
東宝に入社されて、
でも、3年でお辞めになって。
- 星野
- はい。
- ──
- その後はフリーに。
- 星野
- もともと、
演劇をつくる仕事っていうのは、
会社でやるものだとは、
あんまり思っていなかったんです。
- ──
- 星野さんの学生時代は、
60年代から70年代にかけて、ですよね。
- 星野
- ええ、中学が60年代。
あまり勉強もしなかったですね。 - なにせ、世の中が、
おもしろくて、おもしろくて。
- ──
- おもしろかったですか。
- 星野
- おもしろかったですね。
- 自分が当事者にならないことは、
わかっていましたし。
- ──
- 当事者?
- 星野
- 上の人は、当事者だったんです。
学生運動のね、みんな。 - でも、中学生は当事者じゃなく、
傍観者でいられたんです。
- ──
- なるほど、年代的に。
- 星野
- だから高校を出て大学というころには、
騒がしかった世の中はもう、
戦い済んで日が暮れてって感じでした。
- ──
- 星野さんには、興味というか、
当時の学生運動に対する「共感」って、
あったんでしょうか。
- 星野
- 中学校の先輩に聞いても、
かっこ悪いよと、そういう学校でした。 - いろんなものに興味はありましたけど、
どちらかというとノンポリで、
戦って奪い取っていくという考え方は、
個人的には、
ちがうかなと思ったりしていましたね。
- ──
- そういう、60年代の終わり。
- 星野
- 69年、です。
- おまわりさんもふつうの格好になって、
主だった人物たちは捕まっていたし、
新宿は相変わらず、
新宿のままに存在していた‥‥という。
- ──
- ひとつの季節が過ぎたんですね。
- 星野
- ただ、何かが崩壊したようすもないし、
何も変わった感じがしなかった。 - 「え、何も変わらなかったの?」って。
- ──
- あれだけやったのに、と?
- 星野
- 変わらなかった責任はお前らにあると、
そう言われている気もしました。 - 時代に遅れてやってきて、
お前らが何もやらなかったからだって。
- ──
- 遅れて来たという感覚が、あったんですか?
- 星野
- ありましたね。実際、そうですし。
- ──
- 自分は70年代の生まれなんですけど、
60年代ってベトナム戦争をはじめ、
日本にも、世界にもいろいろあって、
大変だったろうなと思う反面、
すごく社会が熱かったんだなという、
ある種あこがれのような感覚が‥‥。
- 星野
- 今とは、くらべものにならないです。
時代そのものが「熱」でした。 - でも、どうしてあんなに
きれいにことが片付いたのか‥‥は、
わからないですけど。
- ──
- 東大の試験が中止になるような時代。
- 星野
- そう‥‥うちは教育に厳しい家で、
厳格な父に、
東大に入らなければ
社会で役に立たないということを、
小学校のころから言われていて。
- ──
- 星野さんが『白野弁十郎』で、
「闇への衝撃」を受けていたころに。
- 星野
- 一方で、映画や演劇に惹かれながら、
他方で東大へ行けと言われてました。
- ──
- お父さん、東大だったんですか。
- 星野
- いや、父は横浜の大学です。
- だから父にも、コンプレックスが
あったんだろうと思います。
それで、東大に行かないのならば、
留学してハクをつけてこいと。
- ──
- それで、オーストラリアの大学に。
- 星野
- だから、就職のときも、
芝居をやりたいなんて言ったって、
とりあってもらえない。 - 芝居だなんてとんでもない、
食っていけるわけないだろうって。
こっちは、
高校生時分から言ってたんだけど。
- ──
- もうそれくらいから、
心は決まっていたんですか。
- 星野
- ええ、でも、
芝居や映画をやりたいって言えば、
何だそれは、
寝ぼけたことを言うんじゃないと、
頭ごなしに怒鳴られました。
- ──
- 当時の演劇の状況って、
どのような感じだったんでしょう。
- 星野
- アングラって言葉が出てきたのが、
60年代ですよね。
- ──
- 寺山修司さん、唐十郎さん。
- 星野
- 一言でどうとは言い切れないけど、
まわりの社会と同じように、
演劇の世界にも、
本当に濃密な時間が流れてました。 - アンダーグラウンドか新劇か、
という「わけかた」もありますが、
私はどっちにも関わってました。
- ──
- なるほど。
- 星野
- 商業演劇の人は新劇には出ないし、
新劇の人には商業演劇には出ない。 - 根城の棲み分けがあったんだけど。
- ──
- 星野さんは、
どっちともお付き合いがあって。
- 星野
- 歌舞伎の世界も、おもしろかった。
- 旧派と呼ばれて
古い印象を押し付けられてたけど、
時代を超越して、
綿々と続く力を持っていますよね。
- ──
- 歌舞伎の魅力って、
どういうところにあると思いますか。
- 星野
- 本物の世界を描きたいと思ったとき、
歌舞伎が、いちばんおもしろい。 - 許しがたいほどの官能美に溢れた、
まったく予測のつかない、
無責任な世界ですよ、歌舞伎って。
- ──
- へえ‥‥。
- 星野
- 映画については、
当時16ミリの映画が流行ったんですが、
それをアングラ映画と呼んでいた。 - 草月ホールで上映していたんです。
- ──
- 草月‥‥というと、青山の?
- 星野
- そう、青山の草月会館の地下の、
草月ホールという、50人足らずのね。
- ──
- ええ、ありますね。
あの場所で、アングラ映画の上映が。
- 星野
- 高校生のときに
草月ホールの会員の申し込みに行って、
アングラ映画を見たいのでと言ったら、
上から下までじろーりと見られて、
「あなたが?」みたいな感じでしたね。 - 上映は夜の10時からだけど‥‥って。
- ──
- そんな遅くからなんですか。
- 星野
- アングラだから、闇の世界のさらに地下。
でも行ったんです、夜まで時間を潰して。
- ──
- お父さんには怒られなかったんですか。
- 星野
- 父は知らない。どんな言い訳をしたかは
忘れちゃいましたけど、
そんなことは、誰も知らないことです。
- ──
- じゃあ、黙って行ってた。
- 星野
- 黙って行かなきゃダメだと思ってました。
- アンダーグラウンドシネマという言葉が、
ものすごく新鮮に響いた時代です。
- ──
- 高校生には大それた行動というか、
まぶしい世界だったんでしょうね。
- 星野
- 世界中から日本に10本運ばれてきたけど、
税関で2本没収されたので、
今日の上映は8本ですってアナウンスに、
みんな「わぁーっ!」って(笑)。
- ──
- 具体的には、どんな作品が?
- 星野
- オノ・ヨーコさんの作品もあったし、
ケネス・アンガーもあった。 - まわりの大人が、大興奮してました。
- ──
- 星野さん、だいぶ早熟で。
- 星野
- 秘密めいたところで、
寺山さん、唐さんもいたかもしれない。
淀川長治さんは、隣にいました。 - なにせ、時代の先陣を切って生きてる、
みたいな顔をした人たちは、
全員、集まって来たような場所です。
- ──
- 高校生で理解はできたんですか。
- 星野
- 正直、何がおもしろいのか分からないと
思いながら見ていました。 - でも、自分がここにいるということ自体、
大事なことのような気がしていました。
- ──
- なるほど‥‥。
- でも、その後、東宝に入社されるわけで、
お父さんも、どこかで折れて。
- 星野
- 最終的には、
株式会社とつくところに入ってくれと。
- ──
- あ、そういう妥協点。
- 星野
- 一部上場の会社ならいいと言われました。
それなら、3年は見逃してやると。
- ──
- ちなみに劇団に所属する、
もしくは自分で劇団をやるって選択肢は、
なかったんでしょうか。
- 星野
- 結局ね、私も、極貧の生活をしてまで‥‥
歯を食いしばって、
ごはんが食べられなくても演劇やるぞとか、
そういう感じではなかったんです。 - いい芝居を見て、楽しんで、
ほどほどにおいしいものが食べられて、
芝居をつくって、見ていただいて、
お客さまの感想を聞いて、
それを自分の喜びにして生きていきたいと、
その程度だったんでしょう。
- ──
- それだって、素晴らしいことだと思います。
- 星野
- そうですか。
- ──
- もっと自ら険しい道に進め‥‥と?
- 星野
- 当時は「甘ちゃん」だって思ってました。
そういう時代だったんですね、結局。
(つづきます)
2019-04-07-SUN
-
病身の演劇プロデューサーが
憑かれるようにして撮った、
「俳優」ROCCOの写真展。星野さんが、自由にならない身体で、
部屋を「暗闇」にして照明をつくり、
ときには
『八つ墓村』の「要蔵」みたいに
頭に懐中電灯をくくりつけて撮った、
愛猫・ROCCOの写真。
10年以上、発表の方法を模索した結果、
昨年、ようやく写真集として結実した
星野さんとROCCOの「共作」を、
TOBICHI2に展示させていただきます。
世の中には、
かわらしい猫ちゃんを撮った写真って、
いろいろあると思いますが、
それらのどれともまったくちがいます。
猫の写真ではありますが、
そうであることを忘れると言いますか。
演劇プロデューサー・星野正樹さんと、
「俳優」ROCCOがつくりあげた、
ちょっと見たことのない、猫の写真展。
ぜひ、ご来場ください。
(本展は、開場時間を2時間、延長し、
午後9時閉場といたします)会場では、
写真集『Luv.ROCCO』はもちろん、
写真を撮りながら
星野さんがつづったROCCOの物語
『ROCCO 夢をこえた猫のお話』
なども販売いたします。
オリジナルのTシャツも、素敵です。
さらに、ROCCOの写真と
小説『ROCCO 夢をこえた猫のお話』
から抜いた言葉を組み合わせた、
特製「ROCCOみくじ」を、
無料で一回、引いていただけます。
もし「当たり」が出たら‥‥
素敵な景品をプレゼントいたします!
どうぞ、いろいろ、お楽しみに。なお、展覧会場で上映されている
ドキュメンタリーがまた素晴らしいです。
これまで、日本とパリで展示された際の
記録映像なのですが、
YouTubeにアップいたしましたので、
会場に来れない方はもちろん、
会場でご覧になった方も
ぜひ、あらためてごらんください。 -
Luv.ROCCO
暗闇の俳優。展写真 星野正樹
期間/
2019年4月5日(金)~
2019年4月14日(日)
会場/TOBICHI2
時間/11:00~21:00
※展示内容により通常より2時間延長して営業
※よりくわしいことは
展覧会の公式サイトでご確認ください。