アーティストの荒神明香さん、
ディレクターの南川憲二さん、
インストーラーの増井宏文さん、
3人を中心とした
現代アートチーム目[mé]。
2020年夏、彼らは
《まさゆめ》というプロジェクトを
実施する予定でした。
東京の空に、
実在の「誰か」の顔を浮かべるというもの。
そのプロジェクトを前に、
「ほぼ日曜日」では、
街と人のつながりについて、
「見る」ことについて、
東京の風景について、
目[mé]のみなさんと、
3人のゲストを迎えたトークセッションを予定していました。
しかし、4月にはほぼ日曜日はお休みとなり、
このトークセッションは
それぞれの登壇者がオンライン上で顔を合わせ、
配信で行うことになりました。
直接会えない状況のなかで交わされた言葉たちを
ここに採録します。

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トークセッション#02 伊藤亜紗×目[mé]「見る」ということ 2 0.1秒後の世界。


伊藤
マーク・チャンギージー『ヒトの目、驚異の進化』
(早川書房)という本があって、
たとえば錯覚に関する話が書かれています。
止まっているけど動いているように見える絵ってありますよね。
まっすぐな線2本がたわんで見えるとか。
それも《景体》と似ているなって思います。
止まっているのに、そこに運動を見てしまう。
南川
なるほど。
伊藤
この本でとくに衝撃的だったのは、
「目は0.1秒後の世界を予測して見ている」ということ。
目の構造上、光が目に入り、
網膜に像をつくって認識するのに0.1秒かかるんです。
でも、そのままにしていると、
たとえばボールが飛んできたときにぶつかってしまう。
だからちゃんと現在を見られるように、
目と脳が協力して0.1秒後の予測を見ているんです。
現実を客観的に見ているのではなく、
その0.1秒後の位置を推測して見ている。
錯覚してしまう絵も、
「運動しているだろう」という想定で見ているんです。
これを知ったとき、
私たちは生理学的なレベルで見えてなかったんだ、
VRを見てたんだ! ってショックがありました。
南川
僕、展示中の《景体》を何度も見に行ったんですけど、
霧が見える日があるんですよ。
増井
アトリエでも見えた。
伊藤
物体に見えるということ?
南川
物体と景色の間で《景体》と名付けたんだけど、
まさにそのとおりで。
全くただの物体にしか見えずに、うなだれる日があったり、
海の真ん中あたりに霧が発生しているように
見える日があったり‥‥。
伊藤
生理的にも、文学的な意味でも、
風景って自分が見てるのか、見させられてるのか、
と考えることがありますね。
シュールレアリスムの画家は、
現実のようでいて現実でない風景を描きますよね。
ダリは風景の中に「見ちゃったもの」を描いています。
これについてはダリの中で歴史があって、
ミレーの『晩鐘』という絵に彼は取りつかれていて、
さまざまなものにこの絵を見てしまうんです。
南川
面白い!
伊藤
パラノイア的にとりつかれているけど、
それは方法論でもあるんですよ。
『晩鐘』を通じて、ダリは風景を切り取っていくんです。
最初、『晩鐘』に描かれた女性の手が
気になったらしいんですね。
彼にはその手がかまきりに見えた。

増井
やばい。
伊藤
やばいですよね。
女性が男性を食べようとする、
性的と同時に恐怖を掻き立てるイメージだった。
そのうち、2つのものが向かい合っていると
もう全部その手と同じに見えちゃう。
自分で自分を拘束してしまう力というのが
目にはあるし、風景にあると思うんです。
南川
荒神もしょっちゅう何かを見て
「これはやばい」っていうよね。
しめ縄とか。
荒神
濡れた紐の結び目とか、しめ縄を見ると、
熱でうなされたときの夢を思い出すんです。
ふわふわしたものにぎゅーって押しつぶされる夢。
気になって調べてみたら、
母の胎内から出てくるときの
トラウマが悪夢になっているんだ、と。
南川
こじつけがすごい。
伊藤
ポイントはそれをどう解釈するかですよね。
荒神
気になって、
熱でうなされたときの夢を
まわりに聞いたことがあるんですよ。
「細い髪の毛の上にでかい石がのった夢」とか
いろいろあったんですけど、
なにか共通点があるかもしれない。
南川
僕は世界が遠くなるんですよ。
目の前のものがちっちゃくなる。
伊藤
私は数学的な夢を見ますね。
x軸y軸z軸が出てきて、
1cm角の立方体がぴゅんぴゅん飛ぶ。
荒神
「グラフが出てくる」って言ってた人がいた。
そっち系ですね。
伊藤
目が見えない人のなかにも、
すごく「見ている」人がいるんです。
とくに中途失明の方だと、
見ていたときの記憶がよみがえることがあるので、
ちょっとした音を視覚的に捉えるんです。
たとえば、かばんを机の上にぽんと置いたとする。
その音からかばんの材質、
そこからその人の性別や年齢、
中身が本なのか携帯なのか、
置き方やキーホルダーがついているかいないかで
性格もわかったりする。
すごく敏感な人は一回の「かばんを置く」動作で
そこまで見ているんです。
南川
記憶の中で鮮明に見ているということですね。
伊藤
とはいえ、記憶って
意図的には出せないんだなと思うこともあって。
全盲の人で、キャップをかぶると
すごく見づらいという人がいます。
キャップをかぶっているときには、
かぶっていないときの記憶が出せない。
同じように、全盲でも
日中と夜だと見えやすさが違うとか、
見にくいから電気つけるとかが、
実際にあるんです。
その人の中ではすごく必然性がある。
南川
話がとんじゃうかもしれないけど、
荒神が記憶は光なんじゃないかと言うんです。
脳の乳液のなかに光の粒子が残っていて、
眼球を通して見ている、と。
荒神
光って、出口を狭めると一部分に照射されたり
広げたら広がったり、物質的だなと思っていて、
記憶って、眼球をひっくり返して、
脳の中の光を見てるんじゃないかなって。
南川
僕、荒神から練習するようにいわれて。
オカルトみたいな話ですけど、
信じ込んでやってみたんです。
しっかり目を閉じてた上で、そこに光をめっちゃ探す。
すると僕の場合は、まず青っぽい光が出てくる。
目を開けている時と同じように
受け身の視界になっているのがわかります。
この前見たのは、透明のセロハンテープに
英語の文字がびっしり書かれていて、
それで白い箱をぐるぐるに梱包してるもの。
超高解像度で、一文字一文字も見えるし、
箱の裏も覗くことができる。
伊藤
それは、身体の動きとは連動してるんですか?
南川
ベッドに寝ていて、足とかさわれます。
荒神が「おじいちゃんの昔住んでた家の
ひきだしが開けられる」とか言うんで、
絶対ウソだよって言っていたけど、
やってみたらできるようになったんですよ。
見え味は光を見ている感じです。
伊藤
見え味(笑)。
光なんですね。物体じゃなくて光。
荒神
光を見つけて、ずっとそれを見ていると、
画像になって空間になっていくみたいな感じです。
伊藤
怖いですね。
南川
理屈がかなってなさすぎて怖い。

(つづきます)

2020-06-20-SAT

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  • 目 [mé]
    アーティスト 荒神明香、ディレクター 南川憲二、インストーラー 増井宏文を中心とする現代アートチーム。
    個々の技術や適性を活かすチーム・クリエイションのもと、特定の手法やジャンルにこだわらず展示空間や観客を含めた状況/導線を重視し、果てしなく不確かな現実世界を私たちの実感に引き寄せようとする作品を展開している。
    主な作品・展覧会に「たよりない現実、この世界の在りか」(資生堂ギャラリー 2014 年)、《Elemental Detection》(さいたまトリエンナーレ 2016)、《repetitive objects》(大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ 2018)などがある。第 28 回(2017 年度)タカシマヤ文化基金受賞。2019 年は、美術館では初の大規模個展「非常にはっきりとわからない」(千葉市美術館)が話題を呼んだ。

    《まさゆめ》とは
    年齢や性別、国籍を問わず世界中からひろく顔を募集し、選ばれた「実在する一人の顔」を東京の空に浮かべるプロジェクト。現代アートチーム目  [mé]のアーティストである荒神明香が中学生のときに見た夢に着想を得ている。
    東京都、 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が主催するTokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13の一事業。
    公式サイト