特集「色物さん」第6弾は、
現在、日本に「たった6人」しかいない
「幇間」つまり「太鼓持ち」の
松廼家八好(まつのやはちこう)さんに、
ご登場いただきます。
ふだんはクローズドなお座敷でのお仕事、
でも八好さんは、幇間の存在やその芸を
より一般の人にも知ってほしいと、
寄席にも出てらっしゃるんです。
色物さんのなかでも、めずらしい存在。
幇間さんの仕事論を、うかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>松廼家八好さんのプロフィール

松廼家 八好(まつのや はちこう)

東京都江戸川区生まれ。幼少期からテレビでお笑い番組を見て育ち、中学生の頃より芸人を目指す。高校卒業後に芸人オーディションを受け、たびたび最終選考に残るも、毎回のように「きみはしゃべらない方が面白い」と言われ落選。
しゃべらずに笑いを取る方法を考え、日本マイム研究所に入所。そこで出会った先輩らと結成した「パフォーマンスシアター水と油」で国内22都市、海外9カ国22都市で公演を行い、多数の賞を受賞。
2006年パフォーマンスシアター水と油が活動休止。以降はソロ活動に加え、野村萬斎、串田和美の演出作品や、一青窈のPVへの出演等多彩な活動を展開。
2012年かねてより憧れていた幇間修行を志し櫻川七好に弟子入り。2014年浅草花柳界にてお披露目。
2018年松廼家八好で自前披露目。松廼家の看板で置屋を持つ。
現在は浅草を中心に、全国の花柳界にあがっている。幇間の伝統的な踊りや振りだけでなく、パントマイムで培ってきた要素も加え、これまでにない幇間芸を生み出すなど、花柳界に新しい風を起こそうと奮闘している。また、文学座研究所の特別講師のほか、幇間の間の取り方は企業活動にも活かされると、さまざまな研修に講師として呼ばれている。

主な舞台出演
1998年〜2006年 「パフォーマンスシアター水と油」
国内22都市、海外9カ国22都市公演
2007年 野村萬斎演出『国盗人』
2008年 串田和美作品『ウル・ファウスト08』
2010年〜ソロ作品『~風』 他多数

主なメディア出演
テレビ東京 ビートたけし「誰でもピカソ」
NHK土曜ドラマ「トップセールス」
NHK 「SAVE THE FUTURE」
ミュージックビデオ 一青窈「Lesson」 他多数

受賞歴
パフォーマンスシアター水と油として
2000年 英国エディンバラ演劇祭 TOTAL THEATRE AWARD(日本人初)
2000年 東京都千年文化芸術祭 優秀作品賞』
2001年 英国エディンバラ演劇祭 HERALD ANGEL AWARD(日本人初)
2003年 第2回朝日舞台芸術賞(朝日新聞社主催) 寺山修司賞
およびキリンダンスサポートダブル受賞

個人として
2003年 江戸川区文化奨励賞

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第2回 「最後の幇間」にあこがれて。

──
いまや日本に6人しかいないという
「幇間」のことを、
八好さんは、なんで知ったんですか。
八好
テレビのニュース番組で見たんです。
そこで玉介師匠という
明治生まれの師匠が特集されていて。
その方にあこがれて、
「自分は最終的にはこの商売に就く」
と決めちゃったんです。
まだハタチそこそこだったんですが。
──
悠玄亭玉介師匠。
八好
もう、粋で洒脱な師匠だったんです。
小柄なんですけどね、
江戸弁のおしゃべり、
立ち居振る舞い、ぜんぶかっこいい。
シビれちゃって、シビれちゃって。
粋って字は「すい」とも読みますね。
「水」に通じてるんです。
水ってのは力強さもあるけれど、
うつわによって、
自由にかたちを変える柔軟性もある。
「四角い桝に入れば四角になるし、
丸なら丸、細長かったら、細長く。
そういうのが粋なんだ」
そんなお話を、されていたんですよ。
「うわあ、かっこええ!」と。
──
その「最終的には幇間になろう」の、
「最終的には」というのは?
八好
もともと、お笑い芸人になりたかった。
志村さん、たけしさんが大好きで、
若いころフランス座に通ってたんです。
──
修行時代のたけしさんが、
エレベーターボーイをやってたという。
名付親の永井荷風さんからはじまって、
たけしさんや井上ひさしさん、
渥美清さん、東八郎さん‥‥など、
ご出身のみなさんの写真が、
いまの東洋館にも掲げられてますよね。
八好
そうそう。そうなんです。
ストリップを見て、幕間の芸を見て。
たけしさんがここで育った、
欽ちゃんが出た、渥美清さんもいた、
そういう
浅草の芸どころに通ってみたんです。
親を連れて行ったこともあります。
俺はここに入りたいんだと言って。
でも、
フランス座の前に来た瞬間に親父が、
「ほかに方法があるんじゃないか?
今日は帰るぞ」
と言って、連れ戻されちゃいました。
──
おいくつくらいのときですか?
八好
高校を出てすぐ、くらいのことです。
──
芸の世界に、あこがれて。
八好
素人ものまね番組とかに出てるような、
トボケたところのある親父だから、
まあ、遺伝したのかもしれませんね。
青春時代にハマったのがバカルディ。
いまのさまぁ~ずさんです。
同じころに、芸能事務所へ
オーディションを受けに行ったんですけど、
「キミは、しゃべらない方がいいね」って、
言われちゃって。
──
なんでですか(笑)。
八好
「七言、八言多いよ」と言われまして。
──
一言どころじゃなく(笑)。
八好
ムダが多かったんだと思います。
でも、どうしてもお笑いやりたくて、
そしたらチャップリンが浮かんだ。
それでパントマイムをはじめました。
──
あ、そういうきっかけだったんですか。
パントマイムって。
八好
はい。4年ほど基礎をしっかり学んで、
こんどは、大好きだった
(春風亭)昇太師匠の師匠である、
柳昇師匠に弟子入りしようと、
浅草演芸ホールに通いつめたんですね。
パントマイムをやり続けながらも、
浅草の芸人として、
浅草演芸ホールに出るという、
もうひとつの夢が諦められなくて。
──
なるほど‥‥。
八好
楽屋口のドアに
いざ手をかけようとするんですが、
これを開けたら、
ブラックホールみたいに
落語の世界に
のみ込まれるんじゃないか‥‥と
怖気づいてはスゴスゴ帰るという、
ハタチそこそこのわたしは、
そんなことを
1か月近く毎日繰り返してまして。
──
わあ‥‥。
八好
パントマイムの師匠には、
噺家になると言って辞めたんですが。
──
ええ。
八好
マイムの学校を辞めてしばらくして
マイムの先輩に誘っていただき、
「水と油」というグループで
活動をはじめました。
10年間、活動している間には、
テレ東の『誰でもピカソ』って番組、
あれに出させていただいたり。
──
たけしさんの番組じゃないですか。
八好
そうなんです!
たけしさんと一緒の画面に映りたい、
その夢が、そのとき叶いました。
でも、お会いできたのに、
「好きです!」って一言が言えない。
──
ああ‥‥。
八好
そして「水と油」の活動休止後は、
ソロで公演を打ったり、
芝居に出演したりして
さらに10年経ったころ、
昔テレビで見た玉介師匠のことを
思い出したんです。
ああ、明治のお生まれだから、
そんなには
お時間は残されてはいないかもと、
浅草を訪ねたら‥‥
すでにお亡くなりになってまして。
──
そうでしたか。
八好
師匠を特集していた番組では
「最後の幇間」
というふうに紹介されていんです。
だから、
最後の幇間がいなくなっちゃった、
もう幇間になれない‥‥って
落胆していたら、
玉八師匠がいらっしゃると知って。
──
そこで、念願の弟子入り?
八好
もちろん、最初は門前払いですよ。
──
あ、ダメでしたか。
八好
玉八師匠を訪ねたんですが、
芸者衆の付き人である「箱屋さん」に
師匠方はお帰りになられましたって、
取り次いではいただけなかったんです。
「え、そこに見えますけど‥‥あれ?」
みたいな。
──
そういう世界なんですか。
八好
アポなしだったから、
ヘンな人だなと思われちゃったのかも。
──
ようやくたどりついたのに。
八好
でも、玉八師匠が
演芸協会に入っていらっしゃることが
わかったので、出待ちをしました。
演芸ホールで。
めちゃくちゃドキドキするんですよ。
というのも、玉八師匠ってもともと、
弟子を取るつもりはないって
おっしゃっていたんですよね。
そこへ突撃して行ったもんだから、
「ええー、来ちゃったよ~、若いのが」
みたいな空気になっちゃって。
──
なんと‥‥。
八好
でも「じゃあ、ちょっと手伝いに来て」
って言ってくださったんですが、
師匠に、気を遣わせちゃったんですね。
師匠のところに通って、
「師匠、新聞ですか。お茶ですか」
とかって聞いてると、
師匠の手が、震えちゃうんですよ。
──
それは‥‥なんでですか?
八好
そう、どうしてだろう‥‥と思って、
あるときに
「師匠、もしかして、
わたしがいるとストレスでしょうか」
って聞いてみたら
「あ、わかった?」って(笑)。
それで
「いい師匠いるから、話してあげる」
って、
櫻川七好師匠につないでくださった。
ただ、玉八師匠は
話しといてあげるって言ってたけど、
どこへ行ってどうしたらいいか‥‥
までは、教えてはくださらなかった。
──
ヒントなし。
八好
これはってんで
三社祭という5月半ばにある祭りで、
師匠方が大行列で歩くと聞いて、
そこで櫻川七好師匠に声をおかけしたら
「あ、聞いてる聞いてる」‥‥と。
「聞いてたんかい!」
って感じで弟子入りしました(笑)。
──
弟子にしてもらえるまでにも、
すんごい紆余曲折があったんですね。
八好
弟子入り後すぐに、
七好師匠の大師匠の米七師匠から、
「じゃ、踊りを3つ覚えてきなさい」
と言われたんです。
それがつまり
「深川」「かっぽれ」「奴さん」で、
6ヶ月で仕上げて来い‥‥と。
──
6ヶ月というのは「短い」んですか。
八好
いや、めちゃくちゃ時間ないですよ。
その短期間で、日本舞踊の先生に、
稽古をつけてもらったんです。
6か月後、師匠方の前で
つたない踊りをお見せしたんですが、
「まあ、真面目にやってきましたね」
とは言っていただきまして。
──
おお、合格ってこと?
八好
「これから幇間の踊りを教えるから、
これまでに覚えた踊りは忘れて」と。
──
せっかく覚えたのに!
八好
ま、そんなふうにして、
幇間としての修業がはじまりました。
──
パントマイムをやっていたとはいえ、
やっぱり、幇間とは、
身体の動きとかはちがうものですか。
八好
ぜんぜんちがいましたね。
基本の幇間の型みたいなのがあって、
それが入ってないと、
少し変わったことをしたとしても、
「型破り」にならず、
ただめちゃくちゃなだけなんですよ。
──
なるほど。
八好
わたしは、
幇間の古典のたたずまいの中に、
自分の色‥‥つまり
パントマイムを入れるんですが。
──
ええ。
八好
他の師匠方も、もと役者だったり、
もと落語家だったりと、
それぞれに特色があるんですよね。
だから、自由ではあるんですけど、
幇間の根幹がしっかりしてないと、
パントマイムの人が
お座敷に出てるだけになっちゃう。
──
ああ‥‥幇間に見えない。
八好
あと、幇間って、
もちろん「芸人」ではあるんですが、
あくまで水商売、
酒席の接待がメインですから、
そこが他の芸人さんとちがうんです。
噺家さんの場合、寄席だと15分、
長講でも、まあ40分。
独演会でも2時間くらいですけれど、
わたしたち幇間は、 
2時間3時間があたりまえで、
5時間のお席もあったり、
旅行に一緒についてまわったりとか。
──
旅行に! 一緒に?
八好
はい。ですからまずは、
人として気に入っていただけないと、
成り立たない仕事なんです。
──
プライベートの旦那がたのご旅行に
お付きで行く場合って、
朝も昼も夜も一緒ということですか。
八好
はい、ずーっと一緒です。
まあ、たまには
「俺は釣りでもしてくるから、
芸者衆と、水族館にでも行ってきな」
みたいなことはありますが。
──
道中でも‥‥その恰好?
八好
そうです。
基本的にわたしたちはこの格好。
どこへ行くにも。

(つづきます)

2022-12-06-TUE

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  • 八好さんが月イチで開催している
    パントマイムを中心とした寄席のような会、
    和室の会。

    八好のパントマイムの生徒さんが
    メインで出演するそうですが、
    時間が余れば‥‥というか、
    何だかんだで八好さん
    基本的に毎回、出演しているそうです。
    参加可能人数は「10人未満」と、
    とてもアットホームな集まりのよう。

    場所は東京都中央区、
    料金は「500円+投げ銭」とのことで、
    こちらのLINEから予約すれば、
    当日の飲み物とおやつが付くそうです。
    時間は19時30分から40分~50分ほど。

    次回は開催は、
    12月21日(水)の19時30分~とのことです!
    その他八好さんの出演情報は
    公式ホームページでチェックしてみて。

    ※インタビューの数日後、小林のり一さんがご逝去されました。
    心よりご冥福をお祈りいたします。

    撮影:中村圭介