アートチーム目[mé]による
2019年の千葉市美術館の展示には、
すっかりやられました。
「非常にはっきりとわからない」
と題された展示で、
本当に非常にはっきりとわからず、
数日、悶々とさせられる‥‥。
自分の「目」を疑う経験でした。
そんな目[mé]のみなさんが、
こんどは、東京の空に、
実在する誰かの顔を浮かべるらしい。
それも、予告なく、唐突に。
この記事を更新している間にも、
今日にも、浮かんでしまうかも‥‥?
目[mé]の荒神明香さんと
南川憲二さんに、話をうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。
目[mé](め)
アーティスト 荒神明香、ディレクター 南川憲二、インストーラー 増井宏文を中心とする現代アートチーム。個々の技術や適性を活かすチーム・クリエイションのもと、特定の手法やジャンルにこだわらず展示空間や観客を含めた状況/導線を重視し、果てしなく不確かな現実世界を私たちの実感に引き寄せようとする作品を展開している。代表作に、個展「たよりない現実、この世界の在りか」(資生堂ギャラリー、2014年)、《おじさんの顔が空に浮かぶ日》(宇都宮美術館 館外プロジェクト、2013-14年)、《Elemental Detection》(さいたまトリエンナーレ 2016)、《repetitive objects》(大地の芸術祭 越後妻有アート トリエンナーレ2018)、《景体》(六本木クロッシング2019展:つないでみる、森美術館、2019年)、個展「非常にはっきりとわからない」(千葉市美術館、2019年)などがある。第28回(2017年度)タカシマヤ文化基金タカシマヤ美術賞、VOCA展2019佳作賞受賞。2021年は個展「ただの世界」(SCAI THE BATHHOUSE、7月6日[火]〜8月7日[土])にて新作を発表。
- ──
- ビル危ない?
- 南川
- ビル危ない。
- ──
- いったい‥‥どういうことですか。
- 南川
- チバニアンを見に行った、たしか帰り。
- 荒神
- うん。
- ──
- チバニアンと言いますと、
地質年代でいう「千葉時代」ってのの、
地層みたいな場所ですか。
- 南川
- そう、はじめは「は?」という感じで
しばらくほっといたんですが、
いや、これは「アイディア」なんだなと。 - しかも、けっこういいやつだと思って。
でも「ビル危ない」以上のことを、
まったく説明してくれなかったんです。
- ──
- ビル危ない‥‥。
- 南川
- ビルが建っている‥‥ことが危なくて、
で、それが、
作品にとって非常に重要なんだと。 - そこから、
どうしてそのビルが危ないのか‥‥を、
イライラしながらも(笑)、
根気よく聞いて、
だんだんぼくなりに理解できてきて、
長いんで端折りますけど、
最終的に、ああいう展示になりました。
- 荒神
- わたしとしては、
いちおう言葉を尽くして説明しました。
- ──
- 千葉市美術館の展示は、
上の階と下の階で、
まったく同じ光景が広がっていました。 - それも、展覧会を設営中の光景が。
- 南川
- ええ。
- ──
- 最初は「間違い探し」かなあと思って、
廊下の隅っこに落ちている
使い捨てスリッパの片っぽまで含めて、
細かいところを暗記しては
上と下を往復しながら
見比べていたんですが、
どうも、そういうことじゃないなあと。
- 南川
- なるほど。
- ──
- 何が「正解」がわからず、
見ているものが信じられなくなる感覚、
自分自身さえも
信じられなくなる感覚があったんです。
- 南川
- そうですか。
- ──
- どうしてこんなことをやっているのか、
最後まで考えさせられ続けました。 - 展示の「意図」、というようなものを。
- 南川
- そこについても、
主体性と客観性が関わっているんです。 - 首都高速を俯瞰の定点カメラで撮ると、
おそらくですが、
毎日、だいたい同じくらいの時刻に、
ヘッドライトの光が走り出し、
そしてまた
ある時間になると消えてゆきますよね。
それが、ず~っと起きている。
- ──
- ええ。
- 南川
- でも一台一台の車を取り出してみると、
瀕死の怪我人を乗せた救急車だったり、
お腹を下して急いでる人の車だったり、
それぞれ、決定的に固有の物語がある。 - つまり、その「ヘッドライトの光」は、
極めて主体的で
固有の人間の動きであると同時に、
決まった時間に現れて消えるだけの
客体的な運動なんです。
そんな状況を切断して展示したいな‥‥と。
- ──
- はああ‥‥。
- 南川
- そういうような目で
あらためて美術館というものを眺めると
内容はどうあれ、
ただ、搬入と搬出を繰り返してるんです。
どっかからモノが来ては、去っていく。 - その運動を、ずっとやってる。
その状況が、ずっと続いてる。
- ──
- つまり、あの展示は、
美術館というものの「運動の断片」を
表現していた‥‥のか。はー‥‥。
- 南川
- はい。その運動なりその状況を、
俯瞰したカメラの位置からではなく、
1分の1の現実スケール、
普段の目の位置から見る。 - 美術館という現実を、普段の目線のまま、
一回、突き放して見てみる、
そんな展示をやりたいなと思ったんです。
- ──
- 忘れられない経験になると思います。
すっごく考えましたし。いろいろと。
- 荒神
- それは、うれしいです(笑)。
- 南川
- 千葉市美術館の展示では、
同じものが2つあるという状況を
つくったんですが、
他にもそういう作品があります。
- ──
- でっかい岩の作品とかですよね。
まったく同じ岩が2つ並んでる。
- 南川
- また「見る」という話に戻るんですけど、
「ただ、モノを見る」という行為は、
ぼくら、もはやできないと思うんですよ。
- ──
- 純粋には、ということですか。
- 南川
- そうです。
- たとえば、すごい景色を見ようと思って
車に乗って遠くへ行こうとしても、
その道中とかで、
ネットで写真をチラッと見たりしちゃう。
- ──
- はい、見ちゃう。
- 南川
- そうすると、本当にまったくはじめて、
その景色を「見る」経験とは、
たぶん、決定的に変わっちゃう。 - それは「すごい景色」というものを、
意味として、
もうすでに知ってしまっているから。
- ──
- ああ、そうでしょうね。
- 南川
- 逆に、準備途中の美術館の部屋が、
そっくり2つ、ただ単純にあるだけで、
「見られるもの」になるんです。 - あれ、これってどういうことだっけと。
- ──
- 純粋には見られない時代でも、
そっくり同じものが2つ並んでるという
特異な状況では「見られる」。 - 見るという行為に「挑んでいる」感じが、
ありますよね、つねに。
- 南川
- 偶然が必然になる、ということでもある。
- 同じ形状の岩を2つつくるということは、
どこかから一羽の鳥が飛んできて、
ポトッとフンを落とした、
その「どうでもいい偶然」が必然になる、
ということです。
- ──
- なるほど。
- 南川
- そのフンは、世界の座標軸のその位置に、
絶対、
落ちてなきゃダメなフンになりますから。
- ──
- まったく同じものが2つあるって事態は、
なかなか不気味ですよね。
- 南川
- そうですね。
- ──
- わかりやすいイメージで言えば、
『シャイニング』の双子の女の子とか、
『八つ墓村』の双子の岸田今日子さんとか、
同じものを並べることで
不気味効果を狙った表現は数多あるし。
- 南川
- ええ。
- ──
- まったく同じものが2つあることなど、
ありえないと思い込んでるから、
心がザワザワしちゃうんでしょうかね。
- 南川
- 運命とかとも関係するかもしれませんね。
- これは荒神の受け売りなんですけど、
地球の運動によって
山から剥がれ落ちて転がってきた岩が、
たまたま
目の前に存在しているわけですよね。
- ──
- はい。
- 南川
- でも、その岩を
そこに転がってなきゃならなかったもの、
としてとらえ返したときには、
地球とか宇宙の運動の大きな「運命」に、
自分も加担していると感じることになる。 - 言葉で言うとちょっと恥ずかしいですが、
「どうやって運命をつくるか」
ということも、
千葉市美のときには意識していたんです。
- ──
- そこまで「見る」を意識して生きてると、
「見る」行為も、
けっこう他の人とちがってきそうですね。
- 南川
- 荒神はわからないけど、
何ていうか、ぼくはもう
そこまで繊細に生きていくのは無理なんで、
たとえば、このペットボトルを
ここにこう置こうとしていたのを、
直前にちょっとずらしてやるくらいです。
- ──
- 何ですかそれ(笑)。
- 南川
- あ、やんないですか?
- ここに置こうとしていたペットボトルを、
直前に、ヒュッと、ズラして置く。
すると、神さまが「んっ?」って(笑)。
- ──
- ささやかな抵抗?(笑)
- 南川
- これ、みんなやってると思ってたけど。
- ──
- 何か大きな流れから逃れたいというか、
決められていた道を、
誰かに歩かされるのは嫌ですみたいな。
- 南川
- 大きくは抗えないんですけど。せめて。
- ──
- 荒神さんは、どんな感じですか。
「見る」とかについては。
- 荒神
- はい、「ビル危ない」と思ったときは、
チバニアンの地層からの帰りでした。 - よく見てみると、地層って、
あたり一面が氷に閉ざされていたとか、
めちゃくちゃ巨大な生きものが
そこらじゅうにゴロゴロいましたとか、
現代からは
想像できない事件が詰まってるんです。
- ──
- ええ、ええ。
- 荒神
- そんな過去のとんでもない現実の上に
現代のビルは建っている。 - そんなふうにまわりの風景を見たら、
ゾクゾク、ワクワクして‥‥
「ビル危ない」って言葉が出たんです。
- ──
- なるほど。
- 荒神
- ちっちゃいころから、
「いまのこの現実って、ほんとなの?」
というふうに「見る」ことが、
自分にとって、
すごく重要だったってこともあります。 - うまくまとまらないんですが、
「見る」については、
そういうことを繰り返してる感じです。
- ──
- やっぱり、目玉を
いろんなところへ飛ばしてるんですね。 - 時間とか空間とかを飛び越えて。
- 荒神
- ただ実際に飛ばすことはできないので、
想像するのみなんですけど。 - だから、
さっきの見えてなかった人が見えた話、
すごーく興味があります。
わたしとは
ぜんぜんちがう世界を見てる人のこと、
いつもいつも気になっているので。
- ──
- 逆に‥‥か、わからないのですが、
渋谷の松涛に
ギャラリーTOMというところがあって、
それは、
ダダイストの村山知義さんの息子さんで、
児童文学作家の村山亜土さんご夫妻が
設立されたんですけど。
- 荒神
- ええ。
- ──
- 夫妻の息子さんは、
目が見えなかったそうなんですが、
その方が、あるときに、
自分にもロダンを見る権利がある‥‥と。 - その言葉にうながされるようにして、
視覚障害者が
彫刻作品に触って鑑賞できる場所として、
うまれたギャラリーなんです。
- 南川
- へえ‥‥。
- ──
- で、そこの収蔵作品で
全盲の方のつくった「夜鷹」の彫刻を
見たことがあるんですが、
それが、まさしく「夜鷹」だったんです。
- 南川
- 触って「見て」いた‥‥んだ。
- ──
- きっと、「見えない彫刻家」にとっては
当然のことだと思うんですが、
見るというのは、奥深いなと思いました。
- 荒神
- 本当ですね‥‥。
- 生まれたての赤ちゃんって、
何の知識も偏見もなく世界を見ますよね。
もし、その状態に戻れたら、
まわりの世界はどんなふうに見れるのか。
- ──
- ええ。
- 荒神
- わたしの、この2つの目玉にくっついた
フィルターをはがして、
生まれたての赤ちゃんの目で見た世界を、
作品として、
どうにかして表現できないものか‥‥と、
ずーっと、考え続けています。
(つづきます)
2021-07-07-WED
-
年齢や性別、国籍を問わず世界中からひろく顔を募集し、選ばれた「実在する一人の顔」を東京の空に浮かべるプロジェクト。現代アートチーム目 [mé]の荒神明香さんが中学生のときに見た夢に着想を得ている。東京都、 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が主催するTokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13の一事業。公式サイトは、こちら。