演歌歌手・神野美伽さんと話す

神野美伽さんのコンサートに行ったら、
びっくりしました。
The Collectorsの古市コータローさん、
元ミッシェル・ガン・エレファントの
クハラカズユキさんと3人で、
ロックな「石狩挽歌」をやったりして。
でも、いちばんかっこよかったのは、
神野さんの歌う「演歌」でした。
はい、かっこよかったんです、演歌が。
ニューヨークのジャズクラブや
世界最大級のロックフェスに参加する
神野美伽さんに、歌のこと、
ご自身のこと‥‥いろいろ伺いました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>神野美伽さんプロフィール

神野美伽(しんの・みか)

1977年、テレビ東京「東西対抗チビッコ歌まね大賞」に
出演しスカウトされる。
1984年、高校の卒業を待ち「カモメお前なら」でデビュー。
市川昭介門下ということと
デビュー年が都はるみさんの休業した時期と重なることから
「都はるみの再来」と話題に。
1985年、3作目となる「男船」が70万枚を超えるヒット。
1987年、NHK紅白歌合戦初出場。
その後も各賞レース等で受賞歴多数。
1999年には、日本人初の韓国デビュー。
2001年、NHK教育テレビ「ハングル講座」レギュラー出演など
韓流ブームの先駆けとなる。
NHKラジオ番組の司会や
10年以上にわたって放送中の
「神野美伽のオツな一日」などトークにも定評。
座長公演等の芝居歴も豊富で、
緒形拳追悼公演「王将~坂田三吉の生涯」では2役を演じ、
吉本興業100周年公演「吉本百年物語」にも出演。
役者としてストレートプレーもこなす。
近年、ニューヨーク公演でLIVEを継続的に行い、
国内外のロックフェスなどの出演や
グラミーアーティストとの共演、
他ジャンルのアーティストとのコラボも積極的に行い
活動の幅を広げている。

神野さんの公式サイトは、こちら

前へ目次ページへ次へ

第3回 大江千里さんとの出会い。

──
何のツテもなくニューヨークに渡り、
歌わせてくれる場所を
ようやく見つけたと思ったら、
もらえたのは、たった15分だけ‥‥。
神野
うれしかったですけど、
正直「15分かぁ‥‥」と思いました。
でも、その15分に賭けてみよう、と。
──
そこは、何という‥‥。
神野
グリニッジ・ヴィレッジの
スモールズ・ジャズ・クラブってお店。
今も歌わせていただいてるんですけど、
オーナー自身、
スパイク・ウィルナーという
素晴らしいジャズ・ピアニストで、
ヨーロッパをはじめ、
世界各国で演奏している人でした。
──
じゃ、そのスパイクさんが。
神野
うん。15分、わたしにくれるって。
これは千載一遇のチャンスですから、
15分でもなんでも、
やらないわけにはいかない。
ただね、はじめて会った日の翌日が、
ライブの日だったんです。
──
え、翌日ですか。
神野
だから、はじめましてのあいさつも
そこそこに、
「リンゴ追分」の楽譜を渡して
「はじめまして!
 ところでスパイク、この曲弾ける?」
みたいな感じでした(笑)。

──
おお(笑)。
神野
そしたらスパイク、楽譜を見ながら、
開店前の誰もいないお店で、
「リンゴ追分」を、
ゆーっくりと、弾きはじめたんです。
ありえないほどスローで、
ぜんぜん違うコード感で。
──
わぁ‥‥。
神野
その、彼のピアノにこたえるように、
わたしも精一杯、歌って‥‥。
まあ、そんな感じで
アメリカで歌いはじめたんですけど、
しばらくしたら、
あちらで大江さんと出会ったんです。
──
ああ、そうでしたか。大江千里さん。
いま、ニューヨークを拠点に
活動をしてらっしゃいますもんね。
神野
それまで、日本では、
一度も会ったことなかったんです。
でも、わたしが自分のFacebookに
「アメリカに渡って、
 日本の演歌の可能性を問いたい」
って書いたら、メッセージをくれて。
──
そうなんですか。Facebookで。
神野
「ニューヨークで何かなさるとき、
 ぼくでよければ、
 ぜひ、手伝わせてください」と、
申し出てくださったんです。
──
大江さんは、ニューヨークへは、
けっこう前から?
神野
わたしより8年くらい前かなあ。
とにかく、
ジャズピアニストとして生きていく、
そのために
ニューヨークへ渡ったんですよね。
──
ええ。
神野
アメリカで
自分の人生を終えるんだくらいの
一大決心、覚悟を持って、
すべてを整理して行ったんですよ。
──
そうだったんですか。
神野
「ジャズを歌いたいから手伝って」
というオファーなら、
正直、たくさん来るんですって。
──
ええ。
神野
だから、わたしのことを
「え? わざわざニューヨークに
 演歌を歌いに来るの?」
って、おもしろがってくれました。
千里さんは、ニューヨークという場所で
日本人が
ジャズピアニストをやることの大変さを、
あらためて、
痛感している時期だったみたいです。
──
なるほど。
神野
そういうタイミングで、
アメリカで演歌の可能性を試したいという
わたしの思いを、受け止めてくれた。
ニューヨークの2度目のライブでは、
バッキングを、
もう千里さんがやってくれてました。
──
音楽家同士、話が早い。
神野
千里さんは、そのとき、
はじめて演歌を弾いたんだそうです。
千里さんの自宅で、
ピアノと声とで合わせるんですけど、
あれもやろう、これもやろうって、
とっても自由な発想で、
エキサイトして、取り組んでくれて。
──
ええ。
神野
そして、千里さんと出会ったことで、
ありえないところまで‥‥
つまり、
有名なジャズコーラスグループである
マンハッタン・トランスファーの
ジャニス・シーゲルさんのところまで、
わたしの歌が届いたんです。
「ミカの歌を聴きたいって
 ジャニスが言ってるらしいんだけど、
 会ってみる?」って。

──
わあ‥‥有名なかた、なんですね?
神野
世界的なジャズアーティストです。
だから「もちろん!」って。
雪の降る日に、千里さんとふたりで、
ジャニスの家に行ったんです。
──
大江さん、大活躍ですね。
神野
わたしは歌う気満々、
何でも歌ってやろうという気持ちで、
ジャニスの家に乗り込みました。
ジャニスがお茶を入れてくださって、
さっそく「ミカ、何か歌って」と。
──
何を歌ったんですか。
神野
はい、「リンゴ追分」を歌いました。
「♪リンゴの花びらがぁ‥‥」って
歌ったら、ジャニスが
「Wow‥‥‥‥One more!」
とかって言いながら、
スキャットで、
どんどん演歌に絡んでくるんです。
──
すごいセッション。
神野
わたしも、これまでに、
いろんなアレンジで歌ってきたけど、
あんな「リンゴ追分」は初めてでした。
日本の演歌が、
ぜんぜん違うジャンルの歌になったの。
──
聴いてみたいです。
神野
そのとき、わたしは、
「いつか、この人といっしょに歌いたい、
 絶対に歌ってやる!」
くらいに意気込んでたんだけど、
千里さんは、
ガチガチに緊張しちゃってて(笑)。
──
すごい人なんですもんね(笑)。
大江さんも面識はなかったんですね。
神野
うん、日本から来た
ジャズ・ピアニストのポジションで、
ジャニスと共演するなんて、
まあ、まず、考えられないことです。
──
そうなんですか。
神野
アメリカは自由の国で
チャンスはいくらでも転がっている、
それは、その通りなんですけど、
他方で、アメリカほど、
区別や差別のわかりやすい国はない。
レストランに入ったって、
わたしたち日本人に案内される席は、
白人たちとは違う、それが当たり前。
──
うーん、そうなんですか。
神野
だから、千里さんも、ニューヨークで
本当に大変な思いをしてきた。
いっしょに演奏してる学校の仲間から
「お前のリズムは違う」
「血を入れ替えてこい」
なんてことも言われたりしたそうです。
──
大江さんって、
音楽の学校に通われていたんですか。
神野
ジャズの名門、ニュースクール大学。
──
でも、そんなことを言われてまで。
神野
つらい思いをすることがあっても、
千里さんは、
日本人ジャズピアニストとして、
必死に、がんばってらっしゃった。
わたしと、ジャニスのおうちへ
いっしょに行ったときは、
そういう時期でもあったんです。

(つづきます)

2019-05-17-FRI

前へ目次ページへ次へ