森保一監督と糸井重里。
ほぼ日をよく知っている人は、
意外な組みあわせに思うかもしれません。
きっかけをくださったのは森保監督でした。
2022年のカタールワールドカップのとき、
糸井がSNSに書いたことばに感銘を受け、
いつか対談したいと思っていてくださったようです。
サッカーの話はもちろんのこと、
ことばの話、チームづくりの話、リーダーシップの話、
興味深いテーマが次々に飛び交いました。
森保監督のほんとうの想いを糸井が聞きだします。

>森保一さんのプロフィール

森保一(もりやす・はじめ)

サッカー日本代表監督。

1968年静岡県生まれ。
長崎日本大学高校卒業後、
「マツダ(現サンフレッチェ広島)」へ加入。
1992年、オフト監督のもと日本代表に初招集。
1993年、W杯アメリカ大会アジア予選に出場し、
先発メンバーとしてドーハの悲劇を経験。
2004年、現役を引退して指導者の道へ。
同年サンフレッチェ広島のコーチに就任。
2012年、サンフレッチェ広島で監督デビュー。
2017年、東京オリンピックを目指す
U-20日本代表監督に就任。
2018年、サッカー日本代表監督に就任
(五輪代表監督と兼任)。
2021年、東京オリンピック2020で
ベスト4の成績を残す。
2022年、カタールでのW杯でベスト16入りを果たす。
大会終了後、2026年までの続投が決定。
W杯で指揮を執った日本代表監督が、
大会後も続投するのは森保監督がはじめて。

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05 選手たちはヒーロー

糸井
歴代の監督のなかで、
つづけておやりになったのは、
森保さんがはじめてなんですって?
森保
そうだと思います、はい。
4年を2回目です。
糸井
8年ですね、つまり。
森保
最後まで完結した場合は8年ですね。
糸井
そうか、完結しない可能性もなくはないのか。
森保
最後まで目標を達成して
終わることを目指してますけれど、
どんなふうに終わりがきても、
後悔だけはないようにと思っています。
私自身も先人の方からバトンを託されて
いまがありますので、
どんなタイミングで終わったとしても、
自分たちのやったことがいいバトンになって
次につなげられたらと思っているんです。
さきほど糸井さんが言われたとおり、
いまは代表監督という役割ではありますが、
私自身は日本サッカーの
いちサポーターと思っているところがあって、
今後たとえ監督をやってないにしても、
いちサポーターとしては日本代表の勝利と、
日本サッカーの発展を願いつづけていると思います。
糸井
森保さんは監督であり、サポーターであり、
当然のように広報の役もされますよね。
それは森保さんの頭のなかにも
相当意識があるような気がします。
森保
そうですね、はい。
糸井
期待かけすぎた人に
がっかりしたとか言うなよって思うわりに、
そういう目があるところにいる
自分たちの役割に喜びと誇りをもっていらして。
森保
はい。
糸井
ぼくはいつも、たくさんの人が
「おぉ、すげー!」ってわかるものが
文化になると思っているんです。
春になると桜の咲き具合を
日本にいるみんなが語れるのも、
そういう文化をもってるからだと思うんです。
そんなふうに考えると、
ふだんの生活のなかで100年以上、
サッカーという文化を見てる国の人たちは、
「あのプレーはセンスがいいね」とか、
「あいつはいい顔して走るね」とか、
文化の裾野にいるような人たちですら、
そういう楽しみ方を知ってるんでしょうね。
森保
世界を見ていると、
それはすごく想像がつきます。
糸井
サッカーにしろ野球にしろ、
わかる人がいっぱいいるところで試合してると、
選手たちも気持ちいいですよね。
森保さんがいまやっていらっしゃることも、
そうやってサッカーを見る人たちを
ふやしていくことになると思うんですけど、
その裾野をひろげるお手伝いを、
ぼくらもできればといつも思っているんです。
森保
ありがたいお言葉をかけていただいて。
ありがとうございます。
なんか私がいま考えてることを、
そのまま言葉にしてくださってるようです。
糸井
そうですか。
森保
私はいま監督をやらせていただいてますけど、
自分では監督兼広報兼営業だと
思っているところもあるんです。
もちろん現場の実務をおろそかにはしませんが、
すばらしいコーチがたくさんいるので、
彼らに任せるところは任せて、
表に出ていく必要があるときは、
自分が出ていくというふうに話しています。
いま糸井さんが言ってくださったように、
サッカーに関心を持っていただける方がふえて、
選手たちのすばらしいプレーを実際に見て、
そこからさらにサッカーを好きになってもらう。
そうやって裾野が広がっていけばいいなと思っています。
試合中の選手たちのがんばりを見て、
みなさんの日常の活力にもしてもらいたいですし、
それこそがわれわれが社会に
還元できるものだと思っていますので、
そういう関係をもっとつくっていけたらとは、
いつも考えているところです。

糸井
学問もスポーツも芸能もそうだと思うんですけど、
あんまり知らなかった世界に近づいたときに、
「あ、おもしろい!」と思うのと同時に、
そこにリスペクトが生まれるというのが、
なんかとても大事なことのような気がするんです。
「あのプレーができる選手を、
俺はほんとうにかっこいいと思う」という言い方は、
その人をリスペクトしてますよね。
森保
はい、そうだと思います。
選手たちはもうほんとうにすごいので、
ぼくはいつもヒーローだと思っています。
見える部分だけでもスーパースターですけど、
見えない部分の日頃の努力はもっとすごいです。
糸井
あぁー。
森保
自分が成長するために
日頃からストイックな生活をして、
いろんなものを犠牲にしながら
競争を勝ち抜いてきている人たちばかりです。
そういう試合中とは別なところにある
彼らのすごさがすこしでも伝わっていけば、
ピッチに立ったときのプレーも、
さらにすばらしく見えるのかなと思います。
あと、糸井さんの話の
あと追いばっかりしているのですが(笑)、
先ほどおっしゃったとおり、
文化、芸能、芸術、音楽、エンタメ、学問、
多種多様なものが日本にはあって、
そのすべてが日本のためになるというか、
社会貢献できるものだと思っています。
糸井
全部がつながってますよね。
森保
サッカーもそのひとつとして、
日々の生活の潤いに
つながっていけばいいなと思っています。

糸井
これはぼくの大先輩の
吉本隆明さんという方から聞いた話で、
戦争が終わったすぐの頃って、
混んでる列車に乗って
田舎にお米を分けてもらいに行ったとか、
飢えて死にそうだったとか、
そういう話ばかりがニュースになるんです。
その絵ばかり大きく取り上げられるんですけど、
戦争も戦後も経験した吉本さんの話だと、
自分たちが食うものもやっとだった時代でも、
人々は「石けん」をほしがったっていうんです。
森保
はぁー。
糸井
食べるものが全然ない時代でも、
女性は化粧品や石けんがほしがったし、
あるいは戦後すぐの時代に、
広島に球団をつくろうと声があがったり。
そういう大変な時代でさえ、
すぐ近くにスポーツがあったり、歌があったり。
つまり、なくても生きていけると思われてるものが、
ほんとうはどれだけ人にとって必要なものか。
森保
戦争のときの話はすごく心に響きます。
私も、つい最近の話でいうと、
コロナ禍で不要の外出を控えようということで
人々が動けなくなったとき、
スポーツは何もできなくなったんです。
やっぱりあの時期を経験したことで、
多くの人も気づいたかも知れませんが、
スポーツだったり文化芸術というのは、
人が生きていくための支えになっていたり、
人生の喜びになっていたというのが、
はっきり感じられたように思うんです。
糸井
すばらしいですよね。
森保
スポーツは見る楽しさだけじゃなく、
団体競技も個人競技も、
アウトドアスポーツもインドアスポーツも、
目標に向かっていろんな壁を乗り越え、
できないことができるようになる喜びとか、
そういうすばらしい経験ができるものです。
そういう部分をもっと伝えながら、
スポーツで社会貢献ができたらとは思います。

(つづきます)

取材協力:スポーツ報知

2024-10-07-MON

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