元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(11歳)と、
自由で食いしん坊な次男(7歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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今日はローラースケートにのって

昨年の暮れに息子たちが
地元の野球チームに入団してから、
ほぼすべての休日は野球場で過ごしている。
朝8時から夕方5時まで、
試合があれば朝7時集合のときもある。
ふだんの仕事と変わらない。

とはいえ今どきは、「お当番さん」と呼ばれる
ママさんの見守り係は交代制で、
出番はひと月に一回程度。
保護者同士のおつき合いで
なかなか家に帰れないような風潮もなくなった。
わたしの場合「次男坊の暴走」見守りのため、
自主的に常にグラウンドにいる。

係はなくとも、頑張っている子どもたちの横で
のんびり座ってはいられない。
ついつい球ひろいに走る。
最近は低学年のキャッチボール相手をしたり、
縦ノックのキャッチャーを頼まれたり、
忙しくなってきた。

好きなことをやっているからストレスはない。
ストレスはないが、
月月火水木金金の生活に身体が悲鳴をあげ始めていた。
「明日は、どこか遠くへいきたい」。
急に提案したのは、長男だった。
わたしも正直、休みがほしかった。

天気は曇り、気温は35度オーバーの予報。
兄弟が行き先を検索しているiPadをのぞくと、
国営昭和記念公園や、葛西臨海公園、
野田市清水公園の水上アスレチックなど、
ハードモードの夢がひろがっていた。

結局、疲労困憊の母が
「どうしても室内にしてほしい」と懇願して、
新三郷のレジャー施設ラウンドワンに決まった。
鉄道博物館でひんやりのんびり過ごした休日は
もう戻ってこない。
今思えば、あの頃はよかった。

男児には特殊なアラーム機能が備わっている。
登校日も野球の日も、ギリギリまで寝ている兄弟。
遊びに行く朝は、5時に目覚めた。
てきぱきと支度をして、予定より早い電車にのった。
目的駅につくとホームで車掌さんに敬礼し、
改札を抜けて目的地まで
意味のない猛ダッシュで向かった。

施設に入るなり、
彼らはひとつの場所に目を輝かせた。
ローラースケートリンクだ。

わたしに似たふたりは運動神経があまりよくない。
ろくに立ち上がれずにいじけたり、
転んで大泣きする未来が見えた。
目標にロックオンしたふたりの手際のよさは、
止めようとする母の想像をこえていた。
兄弟はあっという間に、ヘルメットとひじ膝あて、
手にも防具をつけて完全防備の姿勢を整えた。
お利口な様子でベンチにならんで座って、
スケート靴を履かせてもらうのを待っている。
しかたなく、棚から
彼らのサイズのローラースケートを選んだ。

広いスケートリンクと、
昔ながらの無骨なローラースケート。
ローラーがガチャガチャと鳴る靴を手にとると、
わたしの幼いころの記憶がよみがえった。

子どもの頃、『東京マリン』の近くに住んでいた。
競泳プールに流れるプール、波のプール、
高くそびえ立つウォータースライダー。
都内屈指のレジャープールの地下には
大きなローラースケート場があった。
スーパーアイドル光GENJIの影響で、
世は空前のローラースケートブーム。
娘に甘い父が
ピンクのローラースケートを買ってくれた。
同じカラーでヘルメットとひじ膝あてもそろえた。
気分は憧れのアイドル。
でも現実は厳しかった。
立ちあがるのが精いっぱい、前に進めない。
へっぴり腰でピースする写真をみて心がくじけた。

ブームの余波は我が団地にも来た。
団地のスキマの空き地に突如現れたスケートリンク。
腰高の囲いの中をアスファルトで固めただけで、
地面はゴツゴツしてほとんど滑らない。
でも、滑らないからこそ、良い練習場所になった。
父にねだって教則ビデオも買ってもらい、
テープをすり切れるほど見て、あざだらけで練習した。

わたしが上達するよりも先に、
ローラースケート人気は下火になった。
デコボコのスケート場は自治会の苦肉の策で、
「どじょうすくい」のステージに生まれ変わった。
夏祭りの時、水を浅くはって大量のどじょうを放つのだ。
どじょうを素足で踏んづけた感触を今でも覚えている。
何年も後に通りがかったら、広場自体が消えていた。
跡地には土が盛られて、芝生が生い茂っていた。

『東京マリン』もつぶれた。
「次はどんなレジャー施設ができるのか」と
ワクワクしたが、中層のマンションになった。
無くなってみると、
すべてが夢だったかのように思えた。

その後、縦にローラーが並んだインラインスケートや、
かかとにローラーのついたスニーカーなど、
ちょこちょこ「すべりものブーム」はあった。
わたしも息子たちも興味をもたなかった。

生まれてはじめてスケート靴を履いて、
ヨロヨロする兄弟。
ふたりの手をしっかりにぎり、
「気をつけていっておいで」とリンクで手を離した。
言ったそばからリンク中央に走り出そうとして、
おしりから豪快に転んだ。
男児は本当にアホである。

すぐに泣きごとを言うかと思ったら、
生まれたての子羊のように
おぼつかない両足で必死に立ち上がろうとしている。
その様子を兄弟でお互いに笑い合っては、また転ぶ。
靴のまま何度も、息子たちのレスキューに向かった。
なぜ壁ぎわでおとなしく練習する手順をふまないのか。

何をいっても聞かない。
通りかかった外国人客が「君、大丈夫?」と
流暢な日本語で声をかけてくれた。
「ダイジョーブデース!」と、
なぜかカタコトで次男が返事をした。
自力でなんとかしたい意地があるらしい。

30分もすると、
自己流のすべりかたを身につけた。
すべるというより、
力技でローラーの回転に耐えながら
気迫と勢いで前進していく。
カツカツカツと、
ローラースケートっぽくない音が響いていた。

最後にはそれらしいすべりかたになり、
自由にリンクを駆けまわった。
さすが、男児だ。
根性で習得してしまった。
リフレッシュ休暇のはずが、汗をびっしょりかき、
ヘルメットをはずした頭から湯気がたった。
「ジュース飲んだら、もう1セットいこうか」
「そうだね、にいちゃん」
意気投合した兄弟は、もう誰にも止められない。
午前中だけ滞在する予定が、
昼ごはんを食べることも忘れて遊んでいた。

ふだんなら空腹で機嫌がわるくなる時間になっても
まだローラースケートへの熱が冷めやらず、
食欲に素直な次男でさえ「まだすべれるのに!」と
鼻息があらい。
「野球も好きだけど、こんな休日もいいね」と
長男が満足げに笑った。

また来ようね、と兄弟を説得して
まだ日盛りの外に出ると、うだるような暑さだった。
今年も、新発見と冒険の夏がはじまる。

イラスト:まりげ

2024-07-25-THU

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